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「ウルトラマンは現代日本を救えるか」神谷和宏/朝日新聞出版-ウルトラマンシリーズに描かれる社会的背景を時代ごとに考察し、作品にこめられたメッセージを読み解く

 

 

ウルトラマン』は、『ゴジラ』に端を発する「問題提起を含んだ壮大な怪獣映画」であり、半世紀に亘り多くの作り手が、主な視聴者である次世代の日本の担い手(=子ども)に向けて、種々の問題を提起した作品群です。このような性質を抱いた作品群は子ども番組のみならず、一般に向けて作られた番組でも、なかなか見当たりません。

本書は、1966年にシリーズ第1作となる「ウルトラQ」が放送開始されてから約半世紀にわたって放送されているウルトラマンシリーズについて、その作品が作られた時代の社会的な問題(公害、校内暴力、差別など)を踏まえつつ考察するノンフィクションである。

ウルトラマンシリーズは、M78星雲の光の国から地球にやってきたウルトラマンウルトラセブンといった正義のヒーローが、怪獣や宇宙人の襲来から地球を守るために戦う一連の特撮ドラマシリーズである。子ども向けの特撮ヒーロー作品であり、主たる視聴者である子どもたちにとっては、その物語の背景にある社会問題などは気にかけるものではないだろう。どこからともなく出現した巨大な怪獣が大暴れし、人間たちが組織する地球防衛部隊が手をこまねいているなか、颯爽と登場したウルトラマンが3分という時間的制限の中で怪獣と戦い、最後は必殺技を繰り出して倒す。その展開がすべてであって、公害問題や人口増加問題、いじめや差別の問題などがその背景に存在することなど考える余地もなかった。

しかし、大人になってからウルトラマンシリーズをみると、子どものときとは違い、作品の背景にある社会問題に気づかされる。冒頭に本書「プロローグ」から著者の言葉を引用したが、確かに他の子ども向け作品からは、ウルトラマンシリーズにみられるような社会問題を背景とした設定やストーリーを見出したことはないように思う。

本書では、1960年代、1970年代、1980年代、1990年代、2000年代と時代を分けて、それぞれの時代の社会的背景とシリーズ作品での描かれ方から作品にこめられたメッセージなどを考察している。

たとえば、 1960年代では、戦後20年を過ぎて大きく戦後復興を目指す日本社会といまだに消えぬ戦争の傷を抱えて懸命に生きる人々という構図、戦後のベビーブームによる急速な人口増加問題、都市化による人間関係や家族関係の変化などが作品に影響を与えている。これが、1970年代に入ると、ひとつの大きな目標(戦後復興、高度経済成長)に向かっていた人々の意識が次第に個々の目標へと変化し、それとともに“ウルトラマン”というヒーローの存在も絶対的な超人から次第に人間と同じ目線の存在へと変化していく。さらに時代を経ていくと、環境問題やバブル崩壊後の失われた時代、9.11テロ後の世界的な対立社会といった背景も作品に影響を与えていく。

時代を区切ってみていくと、“ウルトラマン”という存在が時代に合わせて変化しているのだということがよくわかる。1960年代には圧倒的強者であったウルトラマンは、1990年代や2000年代になると、ただ強いだけでなく優しさや弱さをもったヒーローへと変化する。それは、時代ごとに人の考え方や求められる人物像が変わるのと連動している。現実社会でも、毎日残業してがむしゃらに働く企業戦士がもてはやされた時代は過去のものであり、働き方や生き方に多様性が求められ、認められる時代になっている。そういう社会変化に順応してストーリーが作られているのがウルトラマンということなのだろう。

そして、最終章ではそれらを総括する形でウルトラマンシリーズから子どもたちに向けられたメッセージから現代日本を救うために我々はどうあるべきかを導き出そうとしている。この結論については、共感できる人もいれば、モヤッとした印象を受ける人もいるだろう。それは、本書が2012年に刊行されたものであり、そこからさらに10年超の歳月を経たことも考慮して考える必要があるかもしれない。

何冊かウルトラマンを巡る作品を読んできて思うのは、これだけ多面的に、そして多ジャンルにわたって題材となるウルトラマンの存在の大きさだ。これだけ多くの作品が存在するということが、ウルトラシリーズという特撮ドラマのすごさをあらわしていると感じた。おそらくこれからも、ウルトラシリーズを題材にしたフィクション、ノンフィクション、学術書が生まれることだろう。これまでにないような視点からアプローチする作品も新たに出てくるかもしれない。ウルトラシリーズの影響力をまたまた感じられた。