タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「広場」崔仁勲/吉川凪訳/クオン-〈韓国最高の小説〉にも選ばれ、長く読まれ続けている作品。誰もが自らの『広場』を探し続けていると考えさせられる小説。

 

 

「人は広場に出なければ生きられない」

著者は本書の前書きをこう書き始めている。そして、「しかしその反面、人間は密室に引きこもらずには生きられない動物だ」と記す。

訳者あとがきによると、「広場」は、1960年に雑誌「夜明け(セビョク)」に掲載された中編をもとに1961年に長編小説として刊行された作品だ。著者の崔仁勲(チェ・イヌン)は、朝鮮戦争後の韓国を代表する作家のひとりであり、代表作「広場」は2004年に〈韓国最高の小説〉に選ばれているという。

小説の舞台となるのは、朝鮮戦争前から停戦後の時代。主人公は、李明俊(イ・ミョンジュン)という青年。彼が、中立国を目指す船に乗っている場面から物語は始める。

明俊は、日本の統合支配から解放された南朝鮮に暮らし、自らの『広場』を求めて北に渡る。朝鮮戦争の停戦後は、南へ戻ることを拒否し、やはり自らの『広場』を求めて中立国に向かう。

「広場」は、明俊が自らの『広場』、すなわち『自由』を求める物語だ。明俊は、南に暮らしながら自らが置かれている孤独を常に感じ続け、自らの居場所を探し求めている。それは、物理的な場所としての『広場』にとどまらず、友人との関係、恋人との関係の中での自由という『広場』でもある。

だが、著者自身が前書きで記しているように、人は『広場』を求めている。その反面で自らの内にある『密室』の引きこもる。そうした人間の業の象徴として、李明俊は描かれている。

南で暮らしていた明俊は、北で暮らす父が南に向けたプロパガンダ放送に出演したことで警察から執拗な取り調べを受ける。やがて彼は密輸船で北へ渡るが、そこでも『広場』を見つけることができない。朝鮮戦争に従軍し、停戦後は南へ戻るかその他の中立国へ行くかの選択を迫られる。そして彼は、中立国へ向かう船上の人となる。

明俊は、ただひたすらに『広場』を探し続ける。彼の姿は、朝鮮半島の混乱期という閉塞的な時代を舞台にしているからこそ、リアリティを有して描かれているように感じられる。だが、実際に読み進めていくと、明俊が探し求める『広場』とは、時代や土地柄や人間関係、思想信条に関わらず誰も等しく求め続けているものなのではないかとも思えてくる。まさに、いま私たち自身が、自らの孤独と不自由さを意識/無意識に関わらず感じていて、それぞれが自らの『広場』を探し求めているのだと思う。

訳者あとがきには、著者がこの作品に執着し、晩年に至るまで何回も修正・改作してきたと記しされている。「広場」は、韓国文学史上もっとも数多くのバージョンが存在する作品であるという。

明俊が自らの『広場』を探し続けていたように、著者も自らの『広場』を探し求め続けていたのだろう。明俊は、著者自身のことなのだと考えることもできるし、読者はそれぞれに明俊に自分自身を投影してこの作品を読むのだろう。だからこそ、「広場」は長く韓国で読まれ続け、韓国最高の小説にも選ばれたのだと思う。