著者のオリガ・グレベンニクさんは、ウクライナのハリコフ(ウクライナ語の発音で「ハルキウ」)生まれの絵本作家でありイラストレーター。9歳の息子と4歳の娘をもつ母親でもある。
本書「戦争日記 鉛筆1本で描いたウクライナのある家族の日々」は、著者とその家族が、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻、相次ぐ空爆から身の安全を確保するために地下室での避難生活をおくり、さらに苛烈さを増すロシアの攻撃から逃れ国外へ脱出するまでの日々を記録したものである。恐怖と不安をどうにか振り払おうと持っていたスケッチブックと鉛筆で著者はこの記録をつけた。絵を描くことで心の平穏を保ち感情をコントロールした。
戦争が始まって8日間、家族は地下室で暮らした。そして、9日目にポーランドのワルシャワに逃れた。ワルシャワに脱出したのは、著者とふたりの子どもたち、愛犬、そして“絵を描く力”だけだった。夫はウクライナに敷かれた戒厳令のため国外に出られない夫は祖国に残った。ポーランドに逃れた著者の家族は、その後ブルガリアに移り、本書刊行時点(2022年9月)でもブルガリアで生活していると思われる(本書巻末、ロシア語監修の奈倉有里さんによる解説記載内容からの筆者推測)。
ある日突然、他国が自分の国に理不尽な攻撃をしかけ、無辜の市民がその犠牲になる。私のように一見平和な日本という国に暮らしている身からすると、まったく想像もつかない現実がウクライナでは起きている。いったいどのような大義名分を振りかざしているのかは理解もできないが、ロシアが振りかざしている大義名分が一方的にロシアに都合のよいものであろうことは間違いないと思う。そのような理不尽な大義名分が平和な暮らしを求めるウクライナの人々を恐怖と不安に陥れ、混乱を生じさせたということは、歴史上の悪行として後世に語り継がなければならない。もちろん、著者にはそのようなつもりはないだろうが、本書がその一助を担う記録となるだろう。
黒色鉛筆のみで描かれるラフスケッチのような絵は、それが描かれた時点での著者の置かれた環境や心境、不安や恐怖、子どもたちや家族への愛情、ともに避難生活を送る隣人たちへの連帯と感謝の気持ちがはっきりと表れていると感じる。映像を通してしかわからないウクライナの姿は、リアルな外見を私たちに伝えているが、そこに暮らし戦争の恐怖に怯える人々の心の内を映し出してはいない。カメラが映し出せるのは表に見えている部分だけだ。ロシアの侵攻が始まり、攻撃が続く中で人々がなにを考えていたのか。どのように生きていたのか。当事者である著者が描き出す絵には、その姿だけではなく心の内までもが描かれているように思えた。
著者は本書の巻頭に記した文章の中で、この日記を書くのは「戦争反対!」とためである、と記している。戦争には勝者はなく、あるのは血と破壊とわたしたちひとりひとりの心の中にできた大きな穴だけだ、と記している。戦争における“勝者”とはなんなのか。戦争は、いわゆる戦勝国となる国家にも、敗戦国となる国家にも多大なる犠牲をもたらす。国家指導者が「我が国は戦争に勝った!」と声高に叫ぶとき、その勝った国家の中にも膨大な数の戦死者があり、戦傷者があり、そして遺された家族がある。彼らは指導者が叫ぶ勝利の雄叫びに共鳴できるのだろうか。著者が記しているように、残るのは勝利と引き換えに失ったものの大きさに対する喪失感だけなのではないだろうか。そう考えた時に、戦争ほどおろかで馬鹿げていて理不尽な悪行はないと考えざるを得ない。
本書は、まず韓国語に翻訳されて出版された。日本語版は韓国語訳からの重訳になる(訳者は韓国語翻訳者なのはそのため)。また、イタリア語、ルーマニア語、ドイツ語、フィンランド語など世界各国に翻訳が進んでいる。あのときウクライナで起きていたこと、ウクライナで暮らしていた人たちが考えていたこと、彼らが感じていた恐怖と不安、そして戦争の愚かしさと理不尽さ。そうした真実が本書が世界中に広まることで知られていくことだろう。そして、後世に残る貴重な記録となるだろう。
なお、本書は売上から1冊につき100円がウクライナ赤十字に寄付されることになっている。私が購入した1冊が、ウクライナで戦争の恐怖と不安にさらされたり、実際に負傷したりした人たちを支えるわずかばかりの一助になれば幸いである。