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【書評】チョン・セラン「アンダー、サンダー、テンダー」(クオン)-韓国の地方の町で出会った6人の高校生の成長と青春の記録 #はじめての海外文学 ビギナー篇より。

アンダー、サンダー、テンダー (新しい韓国の文学)

アンダー、サンダー、テンダー (新しい韓国の文学)

 

 

「どうしてアンダー、サンダー、テンダーなの」
ジュヨンが青い画面の上に小さく出たファイル名をキャッチしていたらしい。そしてそのファイル名がどこからきたのかも、すぐにわかったはずだ。
「ある年齢じゃないかな」
「年齢?」
「アンダーエイジ、サンダーエイジ、テンダーエイジ」

本書のタイトル「アンダー、サンダー、テンダー」は、日本語訳にあたってつけた邦題であり、原著タイトルは「これくらい近くに」なのだと訳者あとがきにある。原題は編集者がつけたもので、もともと著者は「アンダー、サンダー、テンダー」とつけていたそうで、翻訳版で著者の意向に応えたということになる。

 

本書は、先日レビューした「菜食主義者」と同じクオンの「新しい韓国の文学シリーズ」の1冊である。著者の韓国女性作家チョン・セラン(鄭世朗)は、本書によって第7回チャンビ長編小説賞を受賞している。

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物語の舞台は、パジュ(坡州)という韓国北部の地方都市である。主な登場人物は、私(本書の語り部)、ソンイ、スミ、ミヌン、チャンギョム、ジュヨンの6人。6人は同じ高校で学び、同じバスで学校へ通った。それが、1990年代の後半、もうすぐ20世紀が終わろうとしている頃のことだ。物語は、映画関係の仕事についている私が、成長した仲間たちの姿を映像に収めながら、あの頃の思い出を語るという体裁をとっている。その映像集のタイトルが「アンダー、サンダー、テンダー」なのである。

訳者あとがきにも引用されている冒頭に紹介した場面は、次のように続いている。

ああ、とジュヨンが手を私の頭の上に落とした。なでるというより、ただ、ぽとんと落とした。
「あたしが思うに、特にいい年齢ってのもないのよ。若い時は、いつどこで暮らしたいと思っても決定権はないし、年を取ったら、今がいつなのか、どこにいるのかもわからなくなるんだから」
「いつ、どこに」
私が繰り返した。
「時空。それが何よりも重要な情報よ」

この場面だけを抜き出してもあまりピンとこないだろう。だが、物語のラストに近いところにあるこの場面は、この物語の全体像を端的に表していると思うのだ。

私は、ビデオのタイトルを「アンダー、サンダー、テンダー」にした理由を「年齢」と説明している。アンダーエイジ(underage)は「未成年の」、テンダーエイジ(tender age)はtenderに「若い、未熟な」の意味があり、そこにサンダーエイジという言葉を加えることで、物語に登場する6人の高校生たちの若さ、弱さとともに、ふとしたことで爆発する感情のようなものが立ち上がってくるのだ。ちなみに「サンダーエイジ」は著者の造語だという。

大人になって、自分がティーンエイジャーだった頃を振り返ってみることは、さてどのくらいあるだろうか。もしかしたら、あの頃を振り返るのは自分のダークな面、ネガティブな面を思い出すから嫌だと考えて思い出さないようにしている人もいるかもしれないし、輝かしい青春の1ページを永遠に記憶に刻んでいる人もいるかもしれない。本書が描いているのは、あの頃の仲間たちと過ごした日々の記録であり、そこには楽しい記憶も悲しい記憶も苦しい記憶もある。そうした思い出のひとつひとつが、6人の成長の記録であり、青春の記録なのだ。

本書が描く物語は、もしかすると今の日本あるいは韓国でも、ひと昔前によくドラマでみたような少し恥ずかしさを覚えるような青春ストーリーなのかもしれない。でも、あの頃の私たちは、みんながそんな物語を楽しんでいたのだ。中年の領域に足を踏み込んだ今、むしろこんな直球の物語が心に響く。そんな気持ちになれる作品だと思った。

菜食主義者 (新しい韓国の文学 1)

菜食主義者 (新しい韓国の文学 1)