タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「鯨」チョン・ミョングァン/斎藤真理子訳/晶文社-これぞエンタメ小説!圧倒的な想像力で創造される物語の迫力に魅了されました。

 

 

ワイドスクリーンバロックという言葉をご存知だろうか。

2020年1月に大阪の梅田蔦屋書店で開催された「はじめての海外文学スペシャルin大阪」イベントに登壇された翻訳家増田まもるさんのプレゼンで知った言葉だ。物語をいかに大きくいかにとんでもなく語るかが『ワイドスクリーンバロック』であり、いうなれば「徹底的に大風呂敷を広げる」ということ。物語の語り部(作家)の非常識で旺盛な想像力を最大限に駆使した物語が『ワイドスクリーンバロック小説』である。

チョン・ミョングァン「鯨」は、まさに『ワイドスクリーンバロック小説』である。

長い獄中生活の末に釈放されたチュニが、かつて自分が暮らした煉瓦工場に戻ってくるところから物語は始まる。生まれたときにすでに7キロという巨体だったチュニは、人並み外れた怪力の持ち主でもある。長い道のりを戻ってたどり着いたピョンデの街は、チュニが収監される理由となった事件の後に荒廃し、かつての栄華は完全に消え失せていた。

この物語のすべてが一編の復讐劇でもある。「第一部 波止場」の第2章「鬼」の最初に著者はそう記す。ピョンデで汁飯屋を営んでいた老婆の話から始まる一連の物語は、やがて壮大かつケレン味に溢れた騙りの世界に読書を誘い込み、その心をガッチリと掴んで離さない。まだるっこしい前書きも思わせぶりな前フリもすっとばして、いきなりドンッとピョンデの街なかに突き落とされるような感覚。一度落ちたら最後まで現実世界には戻ってこれないような想像の世界がそこに広がっている。

次々と姿をあらわす登場人物たちのインパクトは強烈だ。あまりの醜さに婚家を3日で追い出され、流れ流れてピョンデにたどり着いた汁飯屋の老婆。老婆の娘で、老婆に片目を潰された一つ目は、蜜蜂を自由自在に操る能力を持つ。

物語の中核をなすクムボクは、類まれなる才覚を持ち次々と事業を成功に導く実業家であり、説明不能な魅力で次々と男たちを惹きつける女性だ。クムボクの魅力に絡め取られた男たちは、魚売り、荷役夫のシンパイ、港町のやくざ刀傷、そして彼女ともに煉瓦工場を立ち上げるために奔走する文。彼らは、クムボクの前では従順であったり嫉妬に苛まれたりする。クムボクに翻弄され続ける男たちだ。

他にも、クムボクが女乞食としてうまやでチュニを産み落とすときに手助けし、それ以降クムボクを援助し続けた双子と彼女たちが飼っている象のジャンボだったり、クムボクが成功者としてピョンデに大劇場を建設したときに支配人となる幼馴染の薬売り、ピョンデの娼館から逃げ出しクムボクの愛人となった絶世の美貌を持つ売春婦睡蓮といった人物たちや、クムボクの娘チュニに関わる人物たち(トラック運転手や刑務所の女囚仲間、冷酷かつ残虐な看守鉄仮面)のどのキャラも強烈すぎる。

こうした登場人物の強烈さを演出するのが、著者による語りの巧みさだ。

クムボクの恋人となる刀傷について、著者は繰り返し書いていく。

稀代の詐欺師であり、悪名高い密輸業者であり、この町で並ぶ者のないドス使いの名手であり、音に聞こえた遊び人で、港町の娼婦たち全員のダンナであり、またやり手のブローカーでもある刀傷

こういう描写が他の登場人物にも同様にあって、読者はその人物のイメージをいやが上でも脳裏に刻みつけられていく。それはもう、とにかく圧倒的すぎてこんなレビューでは伝えきれない。本書を読んでもらうしかない。

登場人物の魅力だけではない。次々に披露されるエピソードの数々がどれもこれもたまらなく面白いのだ。

登場人物のインパクト、エピソードのインパクトを読者に植え付けるのが、本書の語り口である。それはまるで講談を聞いているような語り口。講談師がときに軽快にときに濃厚にときに盛大に講ずるように、著者はエピソードを畳み掛けるようにして積み重ねていく。それは、著者の物語師としての能力でもあるし、その魅力的な騙りをイメージを損なわずむしろより一層の迫力を加えて翻訳した訳者の能力でもある。読みながら「この本を元に神田伯山が講談にして演じたら猛烈に面白い演目になるんじゃないか」と考えてしまった。

あらすじなどストーリー紹介を一切していないので、どんな小説なのか全然わからなくなっているが、本書はあらすじなど知らぬままとにかくページを開いて世界に飛び込んでみるべき本なので、もうとにかく読んでくださいとしか言えない。マジですごいから読んでください。