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「古くてあたらしい仕事」島田潤一郎/新潮社-『古くてあたらしい仕事』というタイトルにこめられた夏葉社10年の軌跡

 

 

ひとり出版社『夏葉社』の島田潤一郎さんが、ご自身が夏葉社を立ち上げるまでの日々や立ち上げてからのさまざまな出来事を綴った本。

「古くてあたらしい仕事」というタイトルが秀逸だ。出版業界はかなり以前から斜陽産業と言われ続けていて、特に町の本屋がどんどんと姿を消している。本を読まない人もたくさんいて、とにかく本は売れないというのが世間一般の認知になっている。本に関わるさまざまなシステムも旧態依然としていて批判されることも多い。そんな古い業界にあたらしく身を投じた島田さんの夏葉社10年の記録が本書には記されている。

島田さんは33歳で夏葉社を立ち上げた。きっかけは従兄の死。突然の事故で愛する息子を失った叔父と叔母のために本を作ろうと考えたからだ。それがヘンリー・スコット・ホランドの「さよならのあとで」である。亡くなった人を悼み、残された人がその存在を忘れずに生きるための想いが込められたこの1篇の詩。島田さんは、この詩を本にして贈ろうと決めた。

夏葉社を立ち上げるまでの島田さんは、なんだかフワフワと生きてきたように見える。大学を出てから出版社を立ち上げるまでは、本を読んだり映画をみたり音楽を聞いたりする合間に仕事を転々とする。そんな日々を繰り返してきた。

三二歳の無職のぼくは、ぼくを必要としてくれる人のために仕事をしてみたいと思うようになっていった。

仕事探しを続ける中で島田さんはその思いを募らせていく。そして、『ぼくを必要としてくれる人』=従兄(息子)を亡くした叔父、叔母だと思う。彼らのために自分ができることをする。それが「さよならのあとで」を本にして届けることだった。

こうして島田さんは『夏葉社』を立ち上げる。2009年9月。『夏葉社』という名前は「従兄と遊んだ夏の日々をイメージして」つけたという。夏葉社の事業計画書に島田さんは事業目的をこう書いた。

何度も読み返される、定番といわれるような本を、一冊々々妥協せずにつくることによって、長期的な利益を確保する。そのために、会社を応援してくれる本屋さんを全国に一〇〇店舗開拓し、それらの店を重点的に営業していく。

まさにいま、私たちが夏葉社の本を信頼して手に取る理由のすべてがこめられていると思う。私が最初に手にした夏葉社の本は、関口良雄「昔日の客」だった。図書館の新刊コーナーに置かれていた。萌黄色というのだろうか、淡い緑の表紙に記された「昔日の客」の文字。シンプルな装丁が逆に目を引いた。当時(今もなのだが)、私が住んでいる地域の本屋さんには夏葉社の本を置いているところはなかった。そういう意味では、地元の図書館が「昔日の客」を選書してくれたことに感謝しなければならない。

「昔日の客」はとても素敵な本だった。この本と出会ったことで、私は夏葉社という出版社の存在を知った。島田さんが作った本が読者である私に伝わった。

「さよならのあとで」を出版するために立ち上げた夏葉社だったが、最初に刊行したのは「レンブラントの帽子」、2冊めが「昔日の客」、3冊めは「星を撒いた街」である。いずれも復刊だ。「レンブラントの帽子」は装丁を和田誠さんが手がけている。島田さんは、まったく面識もない和田さんに長い手紙をしたためて送った。昨年(2019年)11月に神保町の『ブックハウスカフェ』で開催された本書の刊行記念イベントで島田さんは、10月に亡くなられた和田さんとの思い出を語っていた。すでに装丁家イラストレーターとして確固たる地位を築いていた和田さんが、まだ夏葉社を立ち上げたばかりの島田さんにどう接してくれたか。和田さんとの仕事がいかに緊張感があっていかに楽しいものだったか。ふたりの関係は、師弟のようであり、同士のようであり、親子のようでもあったのだと、島田さんの話を聞きながら思った。

作家の庄野潤三さんのご家族との交流の話も素敵だ。学生時代から好きだった作家の短篇集「親子の時間 庄野潤三小説撰集」出版のため千壽子夫人に手紙を出したことでつながった庄野さんのご家族との交流は、編集者と作家家族という仕事上の関係の垣根を越えて、親戚付き合いや友人同士のような関係になっていく。まだ小さい島田さんの息子さんを自分の孫のようにかわいがる千壽子さんたちの様子が微笑ましい。

和田誠さんとの交流。庄野潤三さんのご家族との交流。夏葉社の10年は、島田さんがたくさんの人々と出会い、仕事だけでなく人間としてたくさんの経験を築いてきた10年なのだと、本書を読んで思う。その経験は、夏葉社から刊行された本にギュッとつまっている。私たち読者は、島田さんが多くの人と出会った得た感動を本を通じておすそ分けしてもらっているのかもしれない。

この本を読んで、夏葉社という出版社に興味を持ったら、ぜひ夏葉社から刊行されている本も読んでみてほしい。