私が「ゾマーさんのこと」を読み返すのは、たぶん20年以上ぶりです。当時の本は手元になく絶版で書店等での入手も困難(古本屋さんを丁寧に回れば見つかるでしょうが)なので、今回は図書館で借りました。
本書は、主人公であるぼくの成長の物語です。時代背景としては、戦争が終わってしばらく経った頃でしょうか。どこか遠い田舎の湖畔の村にぼくは住んでいます。
ぼくがまだ木にのぼっていた頃の話から物語ははじまります。ぼくは木にのぼってゾマーさんが歩いているのを見ていました。ゾマーさんはいつも歩いています。バスにも乗らず、自転車にも乗らず、ステッキとリュックをもって、ただただゾマーさんは歩いていました。
ゾマーさんが何者で、どこからきて、なにをしている人なのか、ぼくは知りません。村の人たちもよくわかっていません。なんのために歩いているのかも、誰もわかりません。
それでも、ゾマーさんは歩いています。冬は裾の長いコートとゴム長靴、毛糸の帽子という格好で、夏は麦藁帽子にキャラメル色の夏服と半ズボンと登山靴という格好で、ステッキとリュックをもって歩いています。朝から晩まで、晴れの日も雨の日も嵐の日でも歩いています。
ぼくがひとつずつ年を重ねて成長していくあいだも、ゾマーさんは変わらずに歩いていました。片想いのカトリーヌから「今度一緒に帰ろう」と誘われて有頂天になったときも、その後あっさり「ごめんね、今日は一緒に帰れなくなっちゃった」とフラれたときも、はじめて自転車に乗れたときも、ピアノの先生にこっぴどく怒られたときも、ぼくの前にはゾマーさんが歩いている姿が見えていました。
物語の最後は、少しせつなくなります。だけど、ぼくの成長が頼もしく感じられる終わり方でもあります。
ぼくにとって、ゾマーさんとはどういう存在だったのか。ゾマーさんの存在がぼくに何を教えてくれたのか。大人になったときに、ぼくはきっとゾマーさんのことを懐かしく思い出すのでしょう。
わたしたちにも、ゾマーさんのような存在がいたような気がします。ちょっと変わり者だけど、実は強いポリシーを持っていて、大人になって思い返してみるとその存在の大きさが自分の人生に大きな影響を与えてくれていたと気づくような人。それは、身近な家族だったり、学校の先生だったり、近所のおじさんやおばさんだったりするかもしれません。ぼくにとってのゾマーさんのように、よくわからない存在かもしれません。
そして、もしかすると今、成長して大人になった自分自身が、誰かこどもたちにとってのゾマーさんになっているのかもしれません。