タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

ゴーストソング(スーザン・プライス/金原瑞人訳/サウザンブックス)-嫉妬と憎悪と怒りによって生きる魔法使いクズマとは、現実世界に生きる私たちの姿なのかもしれない。

 

 

「ゴーストシリーズ」の第2作となる作品。「ゴーストドラム」でチンギスと対立する悪役として登場したクズマを中心とする物語だ。

「ゴーストソング」の物語は、夏至の日、猟師のマリュータとその妻イェフロシニアの間に男の子が生まれる場面から始まる。息子を授かったマリュータのところへ、ひとりの男がやってくる。その男は魔法使いのクズマだ。クズマは、マリュータの息子を自分の弟子としてもらいうけにきたのだ。

「ゴーストドラム」の物語が、冬至の夜に奴隷女に生まれた娘を老魔女が弟子としてもらいうけに現れる場園から始まったように、「ゴーストソング」はクズマがマリュータの息子を弟子として渡すよう要求する場面から始まる。奴隷女は娘を老魔女にわたすが、マリュータはクズマの要求を拒否する。そして、我が子を『不死』を意味するアンブロージと名付けた。

マリュータがクズマに息子を渡さなかったことで、「ゴーストソング」の物語は苦しみの物語へと動き出す。苦しむのは、マリュータだけではない。マリュータに息子を渡すのを拒まれたクズマは、トナカイを追う人々の野営地に現れ、彼らに呪いをかける。闇の中では狼の姿となる呪いだ。

こうして、マリュータとアンブロージの物語と呪いをかけられたトナカイを追う人々の物語が並行して語られる。アンブロージは成長すると、誰も教えたことのない話をし、誰も聞いたことのない歌をうたうようになる。彼の話、彼の歌を聞いたものは、誰もがそれに聞き入り、心を奪われる。アンブロージに、話や歌を吹き込んだのは、夜になると彼のもとに現れる熊だ。

狼の呪いをかけられたトナカイを追う人々の中から、『狐にかまれた子』がクズマへの復讐を胸に行動を起こす。「ぼくたちを狼に変えたことをつぐなわせてやる!」狐にかまれた子は叫ぶ。トナカイを追う人々は、大声でクズマの名前を叫ぶ。その声をクズマは聞く。そして、ほくそ笑む。

成長したアンブロージ、トナカイを追う人々の呪いを解くためにクズマの行方を追い求める狐にかまれた子、そしてクズマ。それぞれの物語はやがてひとつに交錯し、死者の世界(ゴーストワールド)へと彼らの運命を導いていく。

前作「ゴーストドラム」で、才能にあふれる一人前の魔法使いとなったチンギスに嫉妬し、悪逆非道な皇帝の妹マーガレッタに味方してチンギスを亡き者にしようと対峙したクズマ。彼がなぜそこまでチンギスに嫉妬し憎悪したのか。その理由が、この「ゴーストソング」にあるのではないか。200年間待ち続けた弟子の誕生を、ちっぽけな毛皮猟師マリュータによって拒絶され、クズマは怒り狂う。残酷な方法で、罪のないトナカイを追う人々を追い込み、アンブロージとして成長していく我が弟子をどうにかして我がものとしようとした。大いなる陰の物語である「ゴーストソング」の結末は、その陰をすべてのものたちの胸底に淀ませるように終焉する。

クズマの存在は、ある意味で、読者である私たちの姿を映し出しているのではないか。思い通りにならないことへの怒り。成功者に対する嫉妬。その嫉妬から生まれる憎悪。そうした私たちの胸の奥に常にくすぶり続け、何かのきっかけにブワッと大きく炎上する負の部分を描くのが「ゴーストソング」であり、クズマというキャラクターなのではないか。

「ゴーストシリーズ」全3作の中で、本作がもっとも私たちの生きる世界に近く、クズマがもっとも私たちの存在に近い。それだけに、前作「ゴーストドラム」とは違う感傷的な読後感を覚えた。本書を読んで、憎むべきクズマという悪役にシンパシーのようなものを感じてしまった。

 

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