タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「あのころはフリードリヒがいた」ハンス・ペーター・リヒター/上田真而子訳/岩波少年文庫-同じ年同じアパートで生まれた“ぼく”とフリードリヒ。でも、フリードリヒはユダヤ人だった。

 

 

ナチスドイツによるユダヤ人迫害を描いた作品には、アンネ・フランクアンネの日記」、ピーター・フランクル「夜と霧」など、フィクションからノンフィクションまで数え切れないほどに出版されている。

本書「あのころはフリードリヒがいた」も、ナチスドイツによるユダヤ人迫害を背景として描かれる物語だ。

1925年、同じアパートに暮らすふたつの家族にそれぞれ男の子が生まれた。ひとりは物語の語り手であるぼく、もうひとりはフリードリヒ。ふたりは友だちになった。

しかし、現実は厳しい。なぜなら、フリードリヒはユダヤ人だからだ。まだ幼いころのぼくやフリードリヒには、そのことの意味がわかっていなかった。ふたりは、互いの家を行き来し、同じ学校に通い、一緒に遊んでいた。だけど、彼らの周囲は確実に変わっていた。フリードリヒが通う病院の表札には、赤い文字で大きく『ユダヤ人』と落書きされていたし、ふたりが買いものをする『アブラハム・ローゼンタール文房具店』の前では、鉤十字の腕章をつけた男が「ユダヤ人の店で買わないように!」と記したプラカードを掲げて、商売の邪魔をしていた。

本書を読んでいて何よりつらかったのは、時代が経過し、ふたりが成長していくほどに、ユダヤ人迫害のムードが増していき、ぼくもフリードリヒも、そしてその家族も時代の波に抗いきれないことだった。

フリードリヒとその家族は、ユダヤ人だというだけで、職を失い、学校をおわれ、泥棒の罪をなすりつけられ、当局の監視の目から逃れるようにひっそりと暮らさなくていけない。ぼくやその家族は、こっそりとフリードリヒたちに救いの手を差し伸べるが、それも命がけのことだ。ユダヤ人を匿ったり、助けたりしていることがバレれば、自分たちも何をされるかわからない。周囲の目を常に警戒して暮らさなければいけない。

想像できるだろうか。自分がユダヤ人であるということだけで、周囲の人々から蔑まれ、迫害をうけ、強制的に収容所送りにされてしまうという現実を。何も罪を犯していない、ただユダヤ人として、その時代に生まれ生きていたというだけなのだ。

著者のハンス・ペーター・リヒターは、ぼくやフリードリヒと同じ1925年に生まれた。著者自身、熱心なヒトラー・ユーゲントであり、従軍兵士として志願し左腕を失っている。本書には、著者自身が経験したナチスドイツ時代のことが強く投影されているのだろう。そして、かつて自分たちがユダヤ人を差別的に扱い、ホロコストを引き起こしたことに対する贖罪も込められているのではないかと感じる。

日に日にフリードリヒたちユダヤ人への迫害は厳しさを増し、彼らを敵視する人々も増えていく。昨日まで親切だった人が明日には迫害者となってユダヤ人を罵倒する。ユダヤ人と話をするな、ユダヤ人を雇うな、ユダヤ人の店で買いものをするな、あの家はユダヤ人を匿っているぞ、あいつはユダヤ人に味方している。ユダヤ人だけでなく、ユダヤ人以外の人たちも互いを監視しあい、密告をすることでナチスへの忠誠心を示そうとする。

この物語では、フリードリヒは非業な最期を迎える。そのラストには、寂しさや悲しさが描かれているが、描写としては無機質である。その無機質さにこそ、著者の想いが込められているように思える。感情を目一杯込めて物語の最後を描くこともできたはずだ。しかし、著者はそうしなかった。それは、フリードリヒの最期を無機質に淡々と描くことが、その時代の闇や人間の弱さをより強く印象づけるからではないか。感情を抑えた描写にすることで、読者が不安や怒りの感情を抱くように考えていたのではないか。もちろん、それはすべて私の想像でしかないが、私自身は「あのころはフリードリヒがいた」を読んで、不安と怒りの感情を胸の内に抱いた。