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ガタガタ書評ブログ

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

読み進めていく中で、私はこの不思議な感覚に翻弄され、そして魅せられていった-セサル・アイラ「わたしの物語〈創造するラテンアメリカ2〉」(松籟社)

ガルシア・マルケスやバルガス・リョサなど、南米の作家の小説は面白い。

マジック・リアリズム」と称されるその世界観は、読み手を翻弄し、困惑させる。時間軸、空間軸が歪み、ストーリーは展開しつつ崩壊していく。

わたしの物語 (創造するラテンアメリカ)

わたしの物語 (創造するラテンアメリカ)

 

セサル・アイラは、アルゼンチンの作家である。本書「わたしの物語」が本格的な日本初翻訳となるが、作家としてのキャリアはすでに40年で作品数も70編に達するほどと、訳者の柳原氏があとがきで記している。「わたしの物語」も本国での出版は1993年だ。

わたしの物語、というのは、「わたしがどのように修道女になったか」という物語ですが、それはだいぶ早い時期、まだ六歳になったばかりのころに始まりました。

という書き出しで始まる物語は、確かに「わたしの物語」である。

しかし、話はそう単純に展開するわけではない。なにしろ、本書には「わたしがどのように修道女になったか」などということは記されていないのだ。「まだ六歳になったばかりのころ」に始まった物語は、最後まで六歳のままの終わる。つまり、本書には、わたしが六歳のときの出来事が描かれるのである。

と書いてしまうと本書が陳腐で面白味のない作品のように思えてくるが、決してそんなことはない。ひとつひとつのエピソードは、訳の分からない面白さなのだ。父親とアイスを食べて体調を悪くした話。病院に入院した話。少し遅れて入学した学校での話。ぶっ飛んでいるというほどの突飛さではないけれど、読んでいて頭がグリングリンと揺さぶられるような感じとでも言うのだろうか。物語に酔う感じがする。

この、セサル・アイラ作品の不思議な読書体験について、訳者あとがきの中で柳原氏は、安藤哲行氏が1998年の作品「夢」について紹介した際に、「見事にかたすかしをくらわされる」、「フェイントの妙」と評したことを紹介した上で、本書「わたしの物語」でも、かたすかしの感覚は随所で感じられると記している。

この、かたすかし感、フェイント感を心地良いと感じるか、困惑するかによって、セサル・アイラの作品を楽しめるか否かが決まるというと大げさだ。作品の評価は二択ではない。私は、かなり終盤に至るまで、ずっと困惑し続けていた。ラストも唐突に終わるから、結局のところ作品を楽しむ余裕はなかったかもしれない。

でも、読み終わってしばらく経つほどに、ジワジワと面白さが湧き上がってくる。なるほど、そういう時間差でやってくる読後の快感も、「かたすかし感」や「フェイント感」ということなのだろう。