タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

スズキコージ「きゅうりさんあぶないよ」(福音館書店)-『きゅうりさん そっちへいったら あぶないよ ねずみがでるから』。みんなのサポートを受けて、きゅうりさんは冒険の旅を続ける...話だよね?

夏野菜の美味しい季節になりましたね!

ナス、トマト、ピーマン、みょうが、とうもろこしやスイカ。夏野菜をたっぷり使い香辛料をピリリと利かせたカレーライスなんて、猛暑の夏を乗り切るにはうってつけのごはんです。

それにしても、今年(2018年)の夏は連続の猛暑。35℃を超える猛暑日はもはや当たり前で、地域によっては40℃を超えたところもあります。こうなると、夏野菜を作っている農家の皆さんも昼間の農作業は完全に命がけです。また、いかに夏野菜といえどもここまでの暑さには耐えられないようで、収穫にも影響が出ているとか。

夏野菜の代表格ともいえる『きゅうり』も例外ではありません。猛暑のため農家さんでは昼間の収穫作業を取りやめたり、きゅうりそのものの発育にも影響が出ているそうです。「夏は暑いのがあたりまえ!」なんて言ってられる状況ではありませんね。

さて、本書「きゅうりさんあぶないよ」は、地球温暖化にともなう猛烈な夏の暑さに敢然と立ち向かうきゅうり農家の奮闘ぶりを描いたノンフィクション、ではありません。絵本作家のスズキコージさんによる『きゅうりさん』の冒険物語です。

きゅうりさん
そっちへいったら あぶないよ
ねずみがでるから

きゅうりさんは、旅の途中で出会ったみんなから口々にそう言われます。作中に登場するセリフは、これだけです。クマさんも、トナカイさんも、ウシさんも、トリさんも、きゅうりさんに「そっちへいったらあぶないよ」と声をかけます。

きゅうりさんは最初まるごしです。肩掛けカバン(ポシェット?)をたすきがけしただけのカジュアルスタイルです。それが、みんなと会い、言葉をかけられるたびに装備が充実していきます。帽子、手袋、ブーツ、リュック、ほうき、等々。いざねずみと遭遇したときには、思わずねずみが「あぶない!!」と叫んでしまうほどなのです。

この絵本、読者の対象年齢は『2才から4才むき』となっています。小さい子どもの視点でみれば、裸一貫だったきゅうりさんが街のみんなの力を借りて装備を充実させ、最後は悪いねずみを退治するという勧善懲悪スタイルの冒険物語となるのでしょう。

しかし、成長し、大人となって社会の常識/非常識を我が身と実感し、「世の中きれいごとばかりじゃねぇんだよ!」と居酒屋のカウンターで焼酎を煽りながら店のママに愚痴をこぼすようなスレた中年ともなると、そんな純粋な読み方ができるわけがありません。

終始一貫、薄ら笑いを浮かべたようなきゅうりさんの変わらぬ表情

次第にエスカレートしていく装備品の充実具合

装備品が、みんなから提供されたのではなくきゅうりさんが奪い取ったのではないかという疑惑

ねずみは本当に『悪いねずみ』なのかという疑念

次から次へと穿った見方が脳裏に浮かび、純粋無垢な気持ちで素直にこの絵本を読み進めることができないのです。

大人としてぜひ手にとって、読んでみていただきたい絵本です。そして、読んたときに自分が『まだまだ子どもの心を忘れていない純真無垢な大人』でいられているのか、それとも『世の中の酸いも甘いも噛み分けて荒みきった大人』になってしまったのか。自分を今一度見つめ直してほしいと『荒んだ大人』である私は思います。

 

友田とん「『百年の孤独』を代わりに読む」-マジックリアリズム小説の代表的作品『百年の孤独』。傑作とわかっていてなかなか読み通せないこの作品を代わりに読んだ足掛け4年の記録

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ガブリエル・ガルシア=マルケス百年の孤独は、南米マジックリアリズム小説を代表する作品であり、『本好きが選ぶオールタイム・ベスト』だとか『20世紀の世界文学』のようなベストテン、ベスト100的な企画になると、必ず上位(ほぼベスト3)にランキングされる。

(余談だが、この手の『海外文学オールタイム・ベスト』のようなランキングには、重厚長大で「ベストテンに選ばれるなら読んでみようか」と思った読者の高いハードルになるような作品が上位にラインナップにされる。『百年の孤独』、『ユリシーズ』などなど、確かに読めば面白いが読み通すのは大変な作品。でも、こういうラインナップが海外文学苦手の人を増やすんじゃないかなと思ったりする)

友田とん「『百年の孤独』を代わりに読む」は、文字通り「『百年の孤独』をみなさんの代わりに読んでみます」という内容の本。友田さんが誰に頼まれたわけでもなく個人の勝手ではじめて、2014年からネットで連載してきたものだ。

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「第0回 明日から「『百年の孤独』を代わりに読む」をはじめます」がネット公開されたのが2014年8月。そこから実に足掛け4年もの間、友田さんは「百年の孤独」を代わりに読み続け、そのレポートをネットに公開してきた。ネット連載は、「第17回 如何にして岡八郎は空手を通信教育で学んだのか?」である。なお、本書には「第18章 スーパー記憶術」と「第19章 思い出すことでしか成し得ないものごとにについて」、「第20章 代わりに読む人」の3章があるが、これらは書き下ろしである。ちなみにネット連載時は「第0回」、「第8回」のように「回」となっているが、本書では「章」に統一されている。

代わりに読むにあたって、友田さんは2つのことを「なんとなく」決めた。

・冗談として読むこと
・なるべく関係ないことについて書く(とにかく脱線する)

である(「第0回 明日から「『百年の孤独』を代わりに読む」をはじめます」より引用)

その決めごとのとおり、第1回から話は「百年の孤独」とは全然関係のない昔のテレビドラマ(「それでも家を買いました」)の話に脱線する。友田さんは、1991年にTBSで放送されたそのドラマの中で発せられる「海老名は、ゼッタイにいやー!!」というセリフの強烈なインパクトを思い出すのだが、そこから、「百年の孤独」の中でホセ・アルカディオ・ブエンディアの無計画な考えに翻弄される妻ウルスラを想起し、物語とドラマを絶妙に融合させて話を進め、まとめていくのだ。

確かに、いきなりドラマの話に『脱線』し『冗談』のように論考を進めているのだが、いやいや実にそこがうまい。読んでいて、「オイオイ、いきなりそっちの話かよ!」とツッコミつつ、読み進めると「なるほど、そうくっつけるのか!」と感心してしまう。その繰り返しで、グイグイと先へ先へと読み進めたくなってくる。

脱線先はドラマばかりではない。ドリフのコント、タモリの記憶術、植木等の無責任男。「百年の孤独」を読みながら、その場面から別の関係ないドラマやコント、映画に脱線できるのは、それだけ友田さんの知識のひきだしが豊富だということなのだろう。ただ、その豊富な知識が他になんの役に立つのかは・・・考えないほうが良さそうだ(笑)

百年の孤独」は、20世紀の世界文学を代表する作品だ。でも、よほどの本好きでなければ読むことはないし、読む始めても最後まで読みきれない人も多いだろう。本書「『百年の孤独』を代わりに読む」は、「百年の孤独」を読んだことがある人も、途中で挫折した人も、全然読んだことない人も、誰でも楽しめる。そして、本家の「百年の孤独」を読んでみたくなる。

そういう私だが、百年の孤独」はもう読んでいる(今ちょっとドヤ顔してます)。それも、もう20年以上前のことなので、内容についてはほとんど忘れていた。今回、本書を読んでみて「百年の孤独」の内容をはっきりと思い出せた場面もあるし、「そんな話だったっけ?」と思ったところもあった。

私も二十数年ぶりに「百年の孤独」を読み返そうか、と部屋に山と積まれた未読本を横目に考えたりしている。

【補足】
本書は、友田さんの自費出版本であり、一般書店やネット書店では取扱いがありません。私は、東京・駒込にある『BOOKS青いカバ』で入手しました。他に、蔵前の『H.A.Bookstore』や赤坂の『双子のライオン堂』、田原町の『Readin'Writin'』、下北沢の『本屋B&B』などで取扱いがあるようです。

■取扱い店(友田さんのTwitter情報)

 

 

ネットだと、『BOOTH』というサイトで買えるみたいです。

kawariniyomu.booth.pm

 

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

 

 

井上理津子/協力・安村正也「夢の猫本屋ができるまで」(ホーム社)-『猫が本屋を助け、本屋が猫を助ける』をコンセプトに、素敵な猫本と素敵な店員猫たちに出会える店ができるまで、そしてこれからの未来。

『Cat's Meow Books(キャッツミャウブックス)』に初めて行ったのが何時だったか確認しようと思い、2017年に撮影した写真のデータをクラウドの保管フォルダで検索してみた。

2017年10月8日

それが、私が初めて『キャッツミャウブックス』に行った日だった。ちなみにスケジュール表でも確認したら、その日は日曜日で、私は戸越神社で開催された一箱古本市に行き(このとき『本好きあるある栞』の栞文庫さんに初めてお会いした)、下北沢の『クラリスブックス』に行き、豪徳寺に当時開店したばかりだった『ヌイブックス(現在は閉店)』に行ってから『キャッツミャウブックス』に行っている。

日付の記憶は曖昧だったが、初めて『キャッツミャウブックス』に伺ったときのお店の様子は鮮明に覚えている。店内はお客さんで溢れ、店員猫たちがいるはずの奥の部屋は入る余地のないくらいだった。あぶれたお客さんの何人かは手前の新刊コーナーでドリンクを飲んでいた。私は、「ずいぶん賑わってるな」と驚き、新刊コーナーで少し本を物色して2冊の本とお店の缶バッチを購入して帰った。初訪問時の滞在時間は、たぶん15分くらいだったかと思う。

本書「夢の猫本屋ができるまで」は、三軒茶屋の住宅街に建つ猫本屋『キャッツミャウブックス』ができるまでとできてからの歩みを追ったノンフィクションであり、本屋業界も出版業界も未経験の会社員である安村正也さんがどのようにして店のコンセプトを固め、費用を試算して調達し、物件を探し、リノベーションをして本屋として立ち上げたのかを記した起業・開業のための参考書である。

けっこうハードだし濃い内容の本だ。その分、「自分の店を持ちたい」「何かビジネスをはじめたい」「副業にチャレンジしたい」という読者には、とても参考になる。もちろん、私のようなただの本好き・本屋好きにとっても、ひとつのお店ができるまでのサクセスストーリー(と書くと安村さんは否定するかもしれないが)として楽しく読める。

著者の井上理津子さんは、本書内でも繰り返し書いているが犬派の人だ。そのためか、ところどころでお店にやってくる猫派の行動を興味深く観察して記録している。

『キャッツミャウブックス』には、店長猫の三郎と店員猫のチョボ六(キジシロ)、さつき(クロ)、鈴(キジトラ)、読太(キジトラ)がいる。ちなみに、読太の読みは「ヨンタ」である。犬派の井上さんは何回通っても猫の見分けがつかない。ところが、猫派のお客さんたちは初めてお店に来た人でもすぐに猫店員たちを見分けてしまうことに驚かされる。そして、猫派のお客さん同士が一緒になると初めて会う人同士でもすぐに打ち解けて猫自慢が始めることに驚く。

私も家では犬を飼っていて、猫よりは犬の人なので、猫好きの人たちが集まったときの妙な連帯感に驚くことがしばしばある。その点、井上さんが感じたことには共感できるところがあった。

読んでいて絶えず感じていたのは、安村さんの一途な思いだ。ご自身の体験から保護猫の活動を支援したいとの思いを強くし、猫のための本屋を作ろうと決めてから、企画を練り、様々な人たちと協力しあい、夢を現実のものとしていく。その行動力はまさに有言実行である。やりたいことを諦めないことが大事なんだと、ポジティブに考えることが大事なんだということを教えられた。

2017年10月に初めて伺って以降、『キャッツミャウブックス』を訪問した回数はあまり多くない。たぶん5回くらいだと思う。というのも、私は千葉に住んでいて職場も品川のあたりなので、三軒茶屋にあるお店にはなかなか気軽に足を向けることができなかったからだ。最近になって、渋谷から千葉まで行くバスが運行されるようになった。三軒茶屋から渋谷は電車で数分だし、バスは1時間ほどで渋谷と千葉を結んでくれる。

ということで、今後はもう少しチョイチョイとお店に伺うことができそうだ。安村さんとは、猫の話もそうだが、本の話もしてみたい。そう、ビールジョッキを片手に。

和氣正幸「日本の小さな本屋さん」(エクスナレッジ)-厳選された23軒の小さくて個性的な本屋さん。エクスナレッジならではの美しい写真に思わず見惚れる。

BOOKSHOP LOVERこと和氣正幸さんの2冊めの本は、赤坂にある双子のライオン堂で入手した。版元はエクスナレッジ。表紙に使われている京都の『恵文社一乗寺店』の写真からして、もう美しい。

前著「東京わざわざ行きたい街の本屋さん」とは全然違う雰囲気の一冊になっている。紹介されているのは、関東以西の各地域にある23軒の本屋さん(関東5軒、中部4軒、関西4軒、中国5軒、九州5軒)である。まだ新しい生まれたての本屋さんもあるし、熊本の『長崎次郎書店』のように創業140年の老舗の本屋さんもある。

店構えも規模も扱っている本のジャンルもそれぞれに個性的な23軒の本屋さんに共通しているのは、本を届けるということに対する店主の熱意やポリシーであり、足を運んでくれるお客さんへの愛情だと本書を読んで感じる。大規模書店の豊富な品揃えもネット書店のスピーディーな対応もそれぞれに良い。でも、ここに紹介されているような本屋さんと出会った時の感動や体験も素敵なんだと思えるのは、私が感じたような熱意や愛情があるからなのではないか。

 

「いらっしゃいませ」ではなく「こんにちは」と迎えてくれる店がある。

高い天井と明るい雰囲気にたくさんの本が並ぶ店がある。

ネコたちに囲まれてネコの本に浸れる店がある。

深夜のオアシスのように暗闇に灯りを照らす店がある。

月に2回だけ開く店がある。

日本一長い駅名の駅舎をつかって開く店がある。

 

23軒の店には23人(それ以上)の店主がいて、23の個性的な店構えがあって、それぞれに違ってそれぞれに楽しい世界が広がっている。

一冊一冊本やその並び、背表紙の手触り、
流れるBGM、漂ってくる匂い。
その場所でしかできない体験をしている感覚。
だから本屋めぐりはやめられない。

表紙扉の折返しに記されたこの言葉が、本好き・本屋好きの気持ちをすべて言い表していると思う。もちろん私も同じ気持ちだ。この本を手にとって、この言葉を読んだ瞬間に、「この本は買わなきゃいけない本だ」と直感するだろう。じっくりと読んでみたくなる本だと思う。

前述したように、本書には関東以西の地域にある本屋さんが掲載されている。北海道や東北、北陸の本屋さんはない。四国の本屋さんも未掲載だ。これらの地域にも、まだまだ私たちが知らない素敵な本屋さんがたくさんあるに違いない。本書が刊行されたばかりで気が早いけれど、今回は掲載されなかった地域の本屋さんを紹介する続編を期待したい。

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東京 わざわざ行きたい街の本屋さん

東京 わざわざ行きたい街の本屋さん

 
東京 わざわざ行きたい街の本屋さん

東京 わざわざ行きたい街の本屋さん

 

 

ハン・ガン/古川綾子訳「そっと静かに」(クオン)-『菜食主義者』で国際マンブッカー賞をアジア人として初受賞した韓国人作家によるエッセイ集。文筆だけではない才能も持った方なのだという発見があった。

ハン・ガンのエッセイ集「そっと静かに」を読みながら、その文章から感じられる気品というか、落ち着いた雰囲気をずっと味わっていた。それは、ハン・ガンという作家の文章の美しさももちろんだが、それを美しい日本語に翻訳してくれた古川さんの文章の美しさでもあると思う。

180ページほどの薄い本である。とても読みやすい。でも、スイスイと短時間で読めるわけではない。むしろ、その文章をじっくりとしっかりと味わってしまうから、読んでいる時間は300ページ、400ページの長編小説を読むくらいかかる。時間はかかるが、それがまったく苦にならない。それは、冒頭に書いたようにハン・ガンの文章が、古川さんの翻訳が美しく心に響くからだと思う。

1.くちずさむ
2.耳をすます
3.そっと静かに
4.追伸

4つの章で構成されたエッセイは、作家がなにげなく口ずさんでしまう歌の話であり、様々な場所で耳にしたり思い出の中に残る歌の話であり、作家自身が携わった音楽に関する話であり、それぞれに書ききれなかった話である。

作家としてのハン・ガンしか知らなかった読者としては、彼女が音楽にも造詣が深く、自ら作詞・作曲を手がけ歌ったアルバムをリリースしているアーティストでもあるということに驚く。本書の巻末には『ハン・ガン オリジナルアルバム』として、作家による詩篇と自作の朗読、作家が作詞・作曲・歌を担当したオリジナル曲を2曲聞くことができるWebサイトにアクセスするQRコードが掲載されている。

ハン・ガンの声は、彼女が紡ぎ出す物語のように落ち着いていて思わず聞き入ってしまう。彼女が作った曲のメロディも心を落ち着かせる。このレビューも彼女の歌声を聞きながら書いている。なんとなく、自分の文章が落ち着いて美しくなったように思えてしまう。

s-taka130922.hatenablog.com

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少年が来る (新しい韓国の文学)

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ギリシャ語の時間 (韓国文学のオクリモノ)

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菜食主義者 (新しい韓国の文学 1)

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大倉崇裕「福家警部補の考察」(東京創元社)-鋭い観察力と卓越した洞察力。好物は缶入りのお汁粉。徹夜はあたりまえのワーカホリックなれど最高の名探偵が犯人を追いつめる

鋭い観察眼と洞察力で犯人の些細な瑕疵を見抜き事件の真相に迫る。それが福家警部補である。本書はそのシリーズ第5作となる。

今回は、4つの事件に福家警部補が挑む。対峙する犯人は、医師、主婦、バーテンダー、証券マンとバラエティ豊かだが、いずれも計画的で凶悪な殺人犯である。

聖南総合病院の皮膚科部長是枝哲は、不倫相手の医薬品メーカーMRの足立郁美を事故にみせかけて殺害する。彼にとっては完璧な計画のはずだった。しかし、福家は現場の状況や現場となった駐車場の警備員の証言などから事故ではなく事件と確認する。そして、数々の痕跡や証言から是枝を追いつめていく。(「是枝哲の敗北」)

画期的な太陽光発電パネルを開発し自ら会社を立ち上げてビジネスを展開しようと考えていた中本誠。事業の資金繰りに苦労していた彼は、ある計画を企てるがその仕込みの最中に屋根から転落してしまう。誰もが単純な事故死だと思う中、福家だけはこれが妻の中本さゆりによる殺人事件だと見抜く。さゆりは、『上品な魔女』とあだ名されていた。(「上品な魔女」)

亡き師匠の名誉が汚されようとしている。女性バーテンダーとして活躍する浦上優子には、そのことが耐えられなかった。だから、強請屋である久義英二を殺した。アリバイ工作は完璧だった。だが、相手は福家だった。福家は、彼女が殺人犯だと確信していた。(「安息の場所」)

恋人坂下ゆきの自殺の原因をつくったライバル証券会社の証券マン上竹肇を殺すため、蓮見龍一は上竹を早朝の湾岸倉庫街に呼び出して射殺した。その後、何事もなかったかのように東京駅に向かうと出張のため新幹線に乗り込む。蓮見のとなりの席に座ったのは福家だった。彼女は、新幹線が京都に着くまでに事件を解決できるのか。(「東京駅発6時00分のぞみ1号博多行き」)

小柄で外見からは警察官には見えない。警察手帳を家に置き忘れてきたりする。だから、いつも現場到着時には一悶着あったりするのがお約束の展開。それは本書でも変わらない。いったいいつ寝ているのかわからないくらいタフで、私生活がどうなっているかもわからない。

とにかく事件が好きでたまらない。事件現場では目の色が変わり、いきいきと活動する。ワーカホリックの福家の周囲にいる捜査員たちは大変だ。鑑識の二岡は一番の被害者だろう。ただ、彼はちょっと福家に惚れているところがあるようなので、本人が好きこのんで福家のための動いているとも言えるのだが。

シリーズ5作目ともなると、ストーリーの展開は一定のパターンで構成されるようになる。本シリーズの場合は、最初から『倒叙形式』のパターンで、まず犯罪が行われ、読者には犯人も殺害方法も動機も明かされる。読者は、福家がどのように事件の真相を見破り犯人を追いつめるのかをワクワクしながら読んでいくことになる。それが楽しいのだ。

パターンが決まっている物語は、読んでいて安心感がある。福家警部補シリーズは人気シリーズだ。今後もこのパターンの中で読者を驚かすような仕掛けを見せていってほしい。

 

福家警部補の報告 (創元推理文庫)
 
福家警部補の報告 (創元推理文庫)

福家警部補の報告 (創元推理文庫)

 
福家警部補の挨拶 (創元推理文庫)

福家警部補の挨拶 (創元推理文庫)

 
福家警部補の挨拶 (創元推理文庫)

福家警部補の挨拶 (創元推理文庫)

 
福家警部補の再訪 (創元推理文庫)
 
福家警部補の再訪 (創元推理文庫)

福家警部補の再訪 (創元推理文庫)

 

 

「中くらいの友だちVol.1」(韓くに手帖舎・発行/皓星社・発売)-韓国の魅力と味力。韓国文学翻訳家や韓国在住のライターたちによる韓国を楽しみを伝える雑誌の創刊号

 

中くらいの友だち (韓くに手帖)

中くらいの友だち (韓くに手帖)

 

「『中くらいの友だち』へ」と題された創刊の言葉に、本書を創刊した理由がこう書かれている。

1.まずは、日本では政治やイデオロギー、あるいはスキャンダルで扱われることの多い韓国ですが、そこから少し離れて、文化を真ん中にして語り合いたい。
2.また、ネットの世界からしばし暇をいただき、丁寧に物事を考えるために、紙の本が必要。
3.売らんがためではなく、自由に書けるメディアがほしい。ならば、自分たちで作ってしまおう。

エッセイあり、マニアックな建物探訪記あり、摩訶不思議な人物伝あり、翻訳小説あり、料理あり。「創刊の言葉」にあるように『韓国の文化を真ん中にして、韓国を楽しみ、味わい、語り合う』ためのあれやこれやがたっぷりと詰まった一冊だ。

編集委員のひとりであり、韓国在住25年になるフリーライター伊藤順子さんの「ソウル鞍山物語~マスター・リーの深くて青い夜」が面白い。伊藤さんが出会った不思議な老人の話だ。マスター・リーと呼ばれる彼は、韓国系アメリカ人のテコンドー・マスターなのだという。

彼こそは大山倍達がその著書に記した「60年代に米国に進出した700人のテコンドー師範」のひとりなのではないか!

伊藤さんは興奮し、彼から話を聞きたいとアポをとる。そして、ようやくマスター・リーのインタビューを行えることとなるのである。その顛末と彼の波乱の物語は、本書だけでは終わらない。続きが気になるところだ。

カフェのオーナーであり料理研究家のきむ・すひゃんさんの連載「韓国の美味しい知恵」の第一回は、「春の草」と題し、韓国ではポピュラーな『草=野草や山菜』の料理についてのエッセイになっている。

韓国では「ナムル」は料理法のみならず、食べられる全ての草や木の芽、葉、根の総称だ。

というのは思わず「へぇ~」となってしまった。私にとって『ナムル』は、もやしやほうれん草、ぜんまいなどを茹でてごま油などと和えた惣菜のイメージしかないからだ。

エッセイの中では、『きつねあざみ』という草の調理に悪戦苦闘する様子が記される。テンジャンクッというスープを作るのだが、生のきつねあざみはとにかく苦いらしく、その苦味をとるための下ごしらえに丸2日もかかっている。だけど、それだけの苦労を経て出来上がったきつねあざみのスープは、とても美味しいのだ。

韓国文学が多く翻訳出版されるようになり、韓国の文化的な部分はそうした文学作品を通じてだいぶ身近に感じられるようになってきた。今回、本書を読んで、より具体的に韓国の楽しみ方や食文化などに触れられたのが良かった。

「中くらいの友だち」は、現在Vol.3まで発刊されている。続きの気になる連載を追いかけて、Vol.2、Vol.3も読んでみよう。

中くらいの友だち Vol.2 (韓くに手帖)

中くらいの友だち Vol.2 (韓くに手帖)

 
中くらいの友だち Vol.3(韓くに手帖)

中くらいの友だち Vol.3(韓くに手帖)