タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「トータル・リコール ディック短篇傑作選」フィリップ・K・ディック/大森望編/早川書房-映画化された表題作を含む10篇で構成された短編集。ディック入門にちょうどいい一冊だと思う。

 

 

1990年にアーノルド・シュワルツェネッガー主演で映画化され、後にコリン・ファレル主演でリメイクされた「トータル・リコール」の原作となる「トータル・リコール」(「追憶売ります」を改題)、2002年にトム・クルーズ主演で映画化された「マイノリティ・リポート」の原作となる「マイノリティ・リポート」など10篇の短篇作品を収録するフィリップ・K・ディックの短篇傑作選。本書はハヤカワSF文庫から刊行されているディックの短篇傑作選の中では第2作となる。

表題作「トータル・リコール」(深町眞理子訳)は、火星に行くことを夢見る男ダグラス・クウェールが《リカル株式会社》(これはクウェールの読み違いで実際には“リコール社”を訪れることから物語が始まる。そこで彼は“惑星間刑事警察機構(インタープラン)”の秘密捜査官として火星に行ったという超現実的記憶を脳に植え付ける処置を受けることで、記憶でのみ火星に行くことを実現するのである。だが、その処置の最中に思わぬトラブルが起きてしまう。クウェールの脳内には現実に秘密捜査官として火星に赴いていた記憶があったのだ。

脳の奥底深くにしまいこまれて忘却の彼方のかすかな記憶に過ぎなかった事実が思わぬ形で覚醒し、それが次第に大きな出来事へと発展していく。平凡な政府系機関の職員にすぎないはずのクウェールは、秘密捜査官として火星に赴任しある任務を遂行していたという記憶を植え付けられ/思い出したことで、彼はその生命を狙われることになる。平凡なはずのクウェールとはいったい何者なのか。彼の記憶に刻まれた彼のリアルとはなんだったのか。短篇でありながら複雑な設定が施されたストーリーは、これぞフィリップ・K・ディックという作品なのだろう。実はずっと昔に、「電気羊はアンドロイドの夢をみるか」を映画「ブレードランナー」(ハリソン・フォード主演のリドリー・スコット監督作品)きっかけで読んだだけで、その他の作品を読むのは今回がはじめてだったので断定することはできないのだが。

トム・クルーズ主演で映画化された「マイノリティ・リポート」は、事前に犯罪の発生を予知し犯罪者を犯罪を起こす前に逮捕してしまうシステムが確立された世界を舞台に描くサスペンス。この世界では、“犯罪予防局”という組織があり、予知能力者の力で犯罪の発生を事前に予知し犯罪者になると予測される人物を犯罪実行前に逮捕することで凶悪犯罪を抑止している。その犯罪予防局の創設者であり責任者がこの物語の主人公アンダートンである。

物語は、予知能力者が「犯罪予防局長官のジョン・A・アンダートンはある男を殺そうとする」という予知カードをアウトプットしたことで動き出す。アンダートンは、その情報を誤りと断定するが、犯罪予防局で出力された情報はいずれ軍にも伝わる。アンダートンは、自らの無罪を証明しなければならない。だが、彼を逮捕しようとする追跡者から逃れ、自らの無罪を証明することは簡単なことではない。それでもアンダートンは謎の協力者のサポートを受け、事件の真相を求めて闘っていく。

殺人などの凶悪な事件を未然に防止できたらとは、誰しも想像することかもしれない。しかし、現実には人の行動を事前に100%予測することは不可能だし、凶悪犯罪を未然に防ぐことも難しい。その不可能性を踏まえてこの短篇を読むと、犯罪予防局という存在に不安と恐ろしさを感じずにはいられない。予知能力者が予知した情報にもとづき、まだ事件を犯していない人物を犯罪者として逮捕し拘禁する。しかし、その予知情報は絶対的に正しいのか。このような世界が現実に存在するとしたら、いつ自分がアンダートンのように実際には誤った情報で犯罪者とされてしまうか予測できない社会。そのような社会は本当に安全で健全な社会と言えるのか。「マイノリティ・リポート」は、平和で安全な社会はどのようにして作られ維持されるべきかを現実社会の私たちに考えさせる小説だと感じた。

短篇2篇のレビューですっかり長くなってしまった。全10篇の収録作品は以下の通り。

トータル・リコール
出口はどこかの入口
地球防衛軍
訪問者
世界をわが手に
ミスター・スペースシップ
非Q
フード・メーカー
吊るされたよそ者
マイノリティ・リポート

紹介した2篇以外で印象深かったのは「地球防衛軍」。1953年に発表された短篇で、地上では核戦争が行われ、人間は地下深くに潜って暮らしているという設定。地上で戦っているのはロボット兵器で、人間は新聞記事のその戦争の様子を知る。地上は放射能に汚染されているため、人間は十分な装備を整えていないと地上に出ることはできない。しかし、実は......。という話。米ソの冷戦時代、各国の核兵器開発競争が激化していく中で書かれた作品と考えるとたっぷりの皮肉と警告の意味合いが込められているのではないかと感じる。

勝手なイメージでフィリップ・K・ディックの作品は難しいと思っていた。確かに簡単には読み込めなさそうな作品もあるだろうが、それはほんの一部で実際には面白い作品の方が断然多いのだと本書を読んで思った。長編小説はハードルが高いかもしれないので、本書のような短編集からはじめてみるのがよいと思う。そういう意味では、ディック入門書としてオススメの一冊だと思う。