タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「白の闇」ジョゼ・サラマーゴ/雨沢泰訳/河出書房新社-突然目が見えなくなる謎の感染症が蔓延した世界。異常な世界で露呈する人間の悪意とエゴを冷静な筆致で描き出す

 

 

突然、ひとりの男の目が見えなくなるところから物語は始まる。信号待ちをする車の列。横断歩道を行き交う人の波。やがて信号は赤から青に変わるが1台の車が動き出さない。不審に思った人々が集まってくる。運転席の男がなにか叫んでいる。

目が見えない。
最初に失明した男に見えるのはミルク色の海に落ちたような白い世界だけ。

ジョゼ・サラマーゴ「白の闇」は、突然失明してしまう謎の感染症パンデミックを起こし、それから巻き起こるさまざまな人間のエゴや社会の混乱を描き出す。

登場人物たちに明確な名前はない。そこには、目の見えない人たちにとって『名前』が『実態』と結合しないという本質的な問題が明示されているように感じる。

最初に失明した男とその妻
最初に失明した男を助けるフリをして彼の車を盗んだ男
最初に失明した男を診察した目医者
サングラスの女
母親とはぐれてしまった少年
黒い眼帯をつけた老人

政府が陰で『白い悪魔』と名付けた謎の感染症は、またたく間にパンデミックを起こし、街中に失明者があふれる。市民のほとんどが失明する赤、たったひとり目医者の妻だけが失明しない。彼女はその事実を隠し、夫とともに隔離施設に収容される。そこで彼女が経験するのは、失明によってあぶり出される人間のエゴ。倫理観と正義感の強い者たちは冷静に秩序だった生活を試みるが、次々と収容されてくる感染者の中には暴力的な人間もいれば権力者のごとく振る舞う人間もいる。平時とは違う異常な世界では誰もが不安と恐怖を抱え、その中で人間性を失い凶暴化していく。

感染者を救ってくれるはずの政府も、隔離された感染者たちを監視する軍人たちは、自分たちも失明してしまうのではという不安を抱え、疑心暗鬼を募らせ感染者たちに銃口を向ける。

やがて『白い悪魔』は全土に拡大し、目医者の妻を除いた全住民が失明する。隔離施設を抜け出した彼らは市中各地で泥人形のように打ち捨てられ希望を失い、醜く争い合う人々の中dどうにか安住の地を求め続ける。

サラマーゴが描くのは、感染症の原因や治療法など、病に関する謎ではない。『白い悪魔』はなぜ起きたのか。どうすればパンデミックが収束し元の生活が取り戻せるのか。そういう話は一切排除されている。ただただ、異常な状況に叩き落された人々がパニックの中でどのような人間性を露呈させるのかという点を追求していく。その事実だけを淡々とした描写で積み重ねることで、究極の危機的状況に陥った人間の醜さを描き出す。

現在(2020年)、現実世界では新型コロナウィルスによるパンデミックが起きていて、世界中で300万人以上の感染者、20万人以上の死者が報告されている(2020年5月1日時点。ジョンズ・ホプキンス大学調査)。世界各国で緊急事態宣言が出され、都市のロックダウンが行われて厳しい外出制限が国民に課せられている。長く続くロックダウンで疲弊と不安、不満を募らせ暴動の一歩手前の緊迫した状態まで発展してしまっている国もある。

日本でも、4月7日に一部都府県を対象に緊急事態宣言が出され、さらに4月14日には全都道府県に拡大した。飲食店などの小売・サービス業には休業要請が出され、ルールに沿って営業している店舗に対して悪質な貼り紙など営業を妨害するような『自粛警察』なるねじまがった正義感がはびこっている。感染リスクに怯えながら働かざるを得ない状況に追い込まれている人もいる。自営業者たちは自粛の影響で経営上の危機に直面していて、明日の生活にも不安を抱えている。

「白の闇」でも、政府は住民を守るための有効な施策をなんら講じようとはせず、隔離施設に閉じ込めて彼らの死を待ち望んでいる。日本も、本書に出てくるような非人道的な施策をとることはないが、一方的に休業や自粛を要請するばかりで、休業に対する補償については後ろ向きの思考しか持ち合わせていない。

このレビューを書いているのは5月2日の深夜だ。昨日5月1日に、緊急事態宣言をおよそ1ヶ月程度延長する方針が明らかになった。

緊急事態宣言が延長されれば、私たちの生活はさらに厳しいものになる。1ヶ月ならギリギリ持ちこたえられていた中小零細企業の体力も限界を迎える。いつ国民の不満が爆発し、「白の闇」でサラマーゴが描いたような醜悪な世界が現実化してもおかしくない。

ニュージーランドや台湾のように、強いリーダーシップと責任感のある決断で大きな成果をあげている国もある。なぜ、日本にはそれができないのだろうか。そこには、リーダーたる政治家たちの危機感のなさ、責任を回避したいという甘えがあるのだと感じざるを得ない。

レビューと言いつつ半分以上が政治不信に対するアジテーションのようになってしまった。でも、これが私がいま感じていることなのだということは。この機会にきっちりと表明しておきたい。