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ロープとリングの事件(レオ・ブルース/小林晋訳/国書刊行会)-『世界探偵小説全集』の第8巻。ガサツで鈍重そうな探偵とインテリだがちょっと天然な相棒のコンビがふたつの首吊り事件の真実に迫るユーモアミステリー小説

 

 

国書刊行会の『世界探偵小説全集』の第8巻。本書は、元警察官の私立探偵ビーフ巡査部長と彼の行動を記録し探偵小説として世に送り出すワトスン役のライオネル・タウンゼントのコンビがふたつの首吊り事件の謎を解明するミステリーだ。

物語のあらすじを説明する前に、本書巻末の真田啓介氏の解説からビーフ巡査部長と相棒タウンゼントの人物像について抜粋しておく。

1930年代後半の初登場時には、ビーフ巡査部長は探偵役として異色の存在であったと思われる。田舎の村の警察官で、赤ら顔とほつれた生姜色の口髭の持ち主。人の笑いを誘わずにおかない鈍重な身のこなしと立居振舞。パブでビールを飲みながらダーツに興じるのが何よりの楽しみという御仁である。

 

ビーフの扱った事件でワトソン役をつとめているのがライオネル・タウンゼントだが、これが往々にしてビーフ以上に滑稽な存在である。ビーフとは対象的に高等教育を受けたインテリで、いろいろなことによく気がついて必要以上に気を回すけれども、いざというときには頼りにならない。とりすまして上品ぶっていて、悪く言えば自意識過剰のスノッブなのだが、作者の筆づかいには愛情のこもったからかいの気分が漂っており、憎めない人物として描かれている。

ガサツで無骨な田舎者キャラの探偵役と上品ぶったインテリの探偵作家というコンビ像が示すように、「ロープとリングの事件」は全体にユーモアの溢れた作品となっている。

そもそも、ビーフが事件の解明に乗り出すきっかけからして笑えてしまう。

ある朝、ライオネルの家へビーフが電話をかけてくる。彼はベイカー・ストリート(もちろん、かのシャーロック・ホームズ氏が暮らすベイカー・ストリートだ)近くにある自宅へ来るように言い、「大事件だ。絶対確実だぞ」と告げる。訝しみながらもビーフ宅を訪れたライオネルにビーフは『デイリー・ドーズ』紙の記事を見せる。それは、ペンズハースト校のロード・アラン・ファウクスという学生が体育館の梁に首を吊って死んでいるのが発見されたという記事だった。

自殺であることは明白と思われる事件だが、ビーフ「これこそわしにうってつけの事件だ」と意気込み、自ら事件解明のために乗り出すことを宣言する。

(略)わしは前から首吊り事件を手がけてみたいと思っていたんだ。若者がいろいろな方法で縄をくくりつけ、天井から首を吊る事件は何度も新聞で読んだことがあるだろう。そういう事件を調べてみたら面白いぞ

たいがいのミステリーで探偵役が事件の捜査に乗り出すきっかけは、事件関係者や警察などからの依頼によって重い腰をあげるパターンと、たまたま事件現場に居合わせてしまったり、何らかの理由で事件に巻き込まれてしまって、立場上事件の解決に乗り出さなければならなくなるパターンが多いと思うが、本書ではビーフが自ら新聞記事で事件を見つけ、それが自分が前から手がけてみたいと思っていた首吊り事件だから関わってみたいという想像の斜め上をいくパターンになっているのだ。いまでこそ、ユーモアミステリーということで、こうした「自分から積極的に事件に関わっていく」タイプの探偵も存在するだろうが、当時としては斬新だったのではないだろうか。

さて、事件捜査にノリノリのビーフに対してライオネルは乗り気ではない。なぜなら、事件のあったペンズハースト校には、兄のヴィンセントが勤務しているのだ。兄弟はあまり仲が良くないし、兄は弟を『気取り屋』と呼び、ライオネルが探偵小説を書いていることにも否定的なのだ。そんなところに、ビーフのような男と出向くのは気が進まないどころか是が非でも避けたかった。

しかし、ノリノリのビーフの勢いと最近執筆活動も滞っている状況からライオネルはペンズハースト校行きを了承する。ただし、ヴィンセントに捜査を拒否されたら諦めるという条件付きで。その結果、ビーフは受け入れられ、病欠中の門番の代役を数日引き受けるかわりに事件を捜査することになる。

事件の捜査を始めたビーフだが、ライオネルの目から見るとなんともどんくさく、まともに事件を捜査しているようにも見えない。ここでポイントなのは、本書が記録係である探偵作家ライオネル・タウンゼントの一人称で語られるということだ。真田氏の解説から引用したように、ビーフ以上に滑稽な存在であるライオネルは、教育レベルはビーフよりもインテリかもしれないが、ちょっと天然なところがあったり、観察眼についてもいろいろと見えていないところがある。だが、インテリであるがためかビーフの能力を過小に見ているようで、自分の方が優秀だと考えているフシもある。そんな彼の視点で記されているため、読者は終始ビーフが探偵として優秀とは思えないのだが、それゆえに最後の謎解きでの驚きが倍増するという効果があるように思う。

ペンズハースト校での事件捜査は、ライオネルから見ると一向に進展している様子がない。ビーフは、門番としての仕事をこなしながら生徒たちと交流したり、地元のパブに通ってビールを飲んだりダーツをしてばかり。苛立つライオネルをよそにビーフはその生活を楽しんでいるようにも見える。

こうして捜査が行き詰まりを見せた頃、ロンドンのスラム街でペンズハースト校の事件とよく似た首吊り事件が起きる。スタンリー・ビーチャーという若いボクサーがジムの天井から首を吊って死んでいるのが発見されたのだ。ふたつの事件には何らかの関連性があるのか。ビーフはふたつの事件の謎を解明するために捜査をすすめることになる。

ふたりの若いボクサーが、場所は違えども同じ状況で首を吊って死ぬというふたつの事件。偶然状況が似てしまっただけで無関係そうにみえる事件が、実はつながっていたというのはミステリーとしては王道の展開で、本書も当然そうなっている。ビーフは、ライオネルからみれば鈍重で行き詰まっているような捜査の中でふたつの事件をつなぐ事実を見つけ出し、事件の全容を明らかにする。純粋な謎解きとしてみれば驚きの真相というほどではないかもしれない。ただ、ビーフ巡査部長という探偵役が、ライオネル・タウンゼントという探偵作家のある種恣意的な筆によって優秀な探偵に見えないという伏線があるので、「あのどんくさいビーフがちゃんと事件を解決した!」という驚きがある。「ロープとリングの事件」の面白さはそれにつきるのではないかと考える。