タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「ブロード街の12日間」デボラ・ホプキンソン/千葉茂樹訳/あすなろ書房-1854年にイギリスのブロード街で起きた実話を元にした作品。『青い恐怖』に襲われたブロード街を救うためイール少年は奔走する。

 

 

巻末の「著者の覚え書き」の冒頭「執筆のきっかけ」にこう記されている。

数年前、わたしはスティーブン・ジョンソン著の『The Ghost Map』と出会いました。スノウ博士と1854年(注:書籍記載は漢数字)に起こったブロード街でのコレラ大発生のことを語ったノンフィクションです。本作はこの本から受けたインスピレーションを元に書き上げたものです。

デボラ・ホプキンソン「ブロード街の12日間」は、ブロード街を中心に起きた謎の『青い恐怖』(=コレラ)から街の人々を救おうとスノウ博士の調査活動を懸命にサポートする少年イールの視点で描かれる12日間の物語だ。

主人公の少年イールは両親を亡くしていて、弟のヘンリーのために泥さらいやライオンビール醸造所、仕立て屋のグリッグスさん、スノウ博士の手伝いをしてお金を稼いでいる。フィッシュアイという男から身を隠すように暮らしていて、自分はもう死んだと思わせるようにしていたが、どうやら感づかれてしまったらしい。

物語はイールの語り(ぼく)で進んでいく。始まりは1854年8月28日月曜日。その日イールは、泥さらい仲間の親指ジェイクからフィッシュアイが自分をさがしていることを聞く。悪いことは重なり、ライオン醸造所では一緒に働いているオーナーの甥っ子ハグジーの策略で盗みの疑いをかけられてしまう。イールが持っていたお金は、仕立て屋のグリッグスさんの手伝いやスノウ博士の実験動物の世話をしてもらった報酬だ。自分の無実を証明してもらうため、イールはブリッグスさんの店へ向かうのだが……

ぼくは目の前の光景に息もできず、なにも考えられず、なにが起こっているのか理解もできないまま、すごく長く感じる一分ほどを、凍りついたように突っ立っていた。

イールが見たもの、それはもがき苦しむグリッグスさんの姿だった。恐ろしいほどの勢いで体を何度も「く」の字に折って苦しみ、吐瀉物にまみれるグリッグスさん。彼の症状はまさに『青い恐怖』すなわちコレラによるものだった。

ブロード街でのコレラ感染はまたたく間に広がっていく。イールは、スノウ博士ならブロード街の人たちを救えると信じて彼の家を訪ねる。スノウ博士は彼の話を聞き、ブロード街で大発生しているコレラの原因を突き止めるための調査を開始する。それは、イールが期待していたものではなかったが。スノウ博士の調査がブロード街でこれ以上の犠牲者を出さないために必要と信じ、博士の助手として奔走する。

現在、コレラコレラ菌に汚染された食べ物や飲み物を口にすることで感染する感染症であることが知られている。だが、1854年にブロード街でコレラが大発生した当時、人々はこの病気が悪い空気『瘴気』によるものだと信じていた。スノウ博士は、コレラが細菌によって汚染された井戸水を飲んだためということを、はじめて疫学調査によって証明した人物とされている。「ブロード街の12日間」は、現実に起きた大規模なコレラの集団感染と、その調査にあたったスノウ博士の実話に、イールやフィッシュアイ、親指ジェイクといった架空の人物をキャスティングして描き出した小説なのだ。

2020年は、新型コロナウィルスのパンデミックにより世界中がパニックとなった。それは、2021年になったいまも続いている。新型コロナの影響は文学の世界にも影響を与えた。ジョゼ・サラマーゴ「白い闇」、カレル・チャペック「白い病」といった未知の感染症パンデミックの恐怖、その中で露呈していく人々の心の闇を描いた小説が刊行され、カミュ「ペスト」、ボッカチオ「デカメロン」が読まれた。

s-taka130922.hatenablog.com

 

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「ブロード街の12日間」も、感染症の恐怖を描く点では、それらの作品と通じている。ただ、「白の闇」や「白い病」と比べると、まだ希望や救いの要素が強く、危険を顧みずにブロード街の人々のために奔走するイールの姿からは、思わず応援したくなるような懸命さが伝わってくる。スノウ博士が仮定したブロード街の井戸水からの感染を証明する決定的な証言を得るために、イールはひとりハムステッドへ向かう。この証言があれば、ブロード街のみんなを救えるのだ。だが、イールはそこでフィッシュアイに捕まり、絶体絶命のピンチに陥ってしまう。イールは、フィッシュアイから逃れ、スノウ博士のもとへ重要な証言を届けられるのか。そして、ブロード街の人たちを救えるのか。さらにイール自身の生い立ちについても、ラストには驚くような事実が明かされる。

『はじめての海外文学vol.6』で翻訳家の向井和美さんが推薦している作品。新型コロナのパンデミックの中、感染症の恐怖を描いた作品に興味はあるが、つらい気持ちになりそうで読めないという方には、この本をオススメしたい。