タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

チョ・ナムジュ/斎藤真理子訳「82年生まれ、キム・ジヨン」(筑摩書房)-どれだけ理解したつもりでも、どこかに男性目線のバイアスが生まれる。キム・ジヨンを診察しカルテを記した精神科医と私は『同じ穴の狢』なのだ

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韓国で100万部を突破する大ベストセラーとなり、日本でも2018年12月に刊行後10万部を超えるベストセラーとなった話題の本である。

キム・ジヨン氏、三十三歳。三年前に結婚し、昨年、女の子を出産した。

こんな、ちょっと無機質とも思える書き出しで物語は始まる。この書き出しには理由があって、本書はキム・ジヨンを診察する精神科医のカルテという形態をとっているからだ。キム・ジヨンは、あるときから友人や母親の人格が憑依したような言動を繰り返すようになり、精神科のカウンセリングに通っている。カウンセリングの中で語られたキム・ジヨンの生い立ちが記録され、物語となっていく。その中で、彼女が精神的に壊れていく要因がみえてくる。

彼女が壊れていった理由は、彼女が女性であるということだ。韓国社会が抱える女性に対する理不尽や不平等が彼女をジワジワと苦しめ、過剰にストレスを与え、たまり続けたストレスはやがて表面張力を失って心のコップから溢れ落ちる。

  • 家庭でも学校でも優遇されるのは男の子で、女の子は常に我慢を強いられる
  • 仕事でどれだけ頑張って評価されても、出世するのは自分より評価の劣る男性社員ばかり
  • 結婚すれば跡取りとなる男子を産むことが求められ、女の子が産まれれば落胆される

こうして書いてみると、理不尽以外に言葉がみつからない。そして、私たち男性が当たり前のように過ごしている日常で女性と無意識に接してきたこと、彼女たちのつらさに思いが至らなかったことを恥じた。

だが一方で、彼女たちが過敏になりすぎているのでは?と感じるところもあった。たとえば、兄弟姉妹の中では長男がチヤホヤされるのは、彼が将来跡継ぎとして担う責任を考えれば致し方ない部分もあるのではないだろうか。でも、そう考えてしまうことが、無意識に家父長制というしがらみに囚われてしまっているということかもしれない。

あらゆる場面で、女性が男性より低く見られたり扱われたりすることは多い。日本でも韓国でもその他諸外国でも、そういう理不尽で不平等な環境を改善するために、女性たちは声をあげ続けてきた。その声が届いて女性の地位が改善したところもあれば、日本や韓国のように彼女たちの声を全力で叩き潰そうとしたり無視したりするところもある。

本書が韓国で大ヒットしたり、日本でも翻訳小説としては異例の10万部を超えるベストセラーとなっているのも、女性たちの支持があったからだ。男性たちの中にも、現状に問題を感じ、この本に共感した人も多いはずだ。訳者あとがきには、本社が大ヒットした理由について著者自身が「進歩的な考えを持つ男性たちが、この問題は男性が知らなくてはいけないと考えて読んだ」ことをひとつの要因としてあげていることを記している。

私は自分が『進歩的』な男性だとは思っていない。むしろ昭和生まれで前時代的な考えにとらわれた古臭いタイプの人間だと思っている。だから、本書を読むときも反発心が起こるのではないかと思いながら読んだ。だが、読めば読むほど自分を恥じる気持ちが強くなった。

  • 自分は無意識に女性を蔑んでみてしまっているのではないか
  • 何気ない言葉が女性を傷つけ、悲しませているのではないか
  • 女性が社会的な地位を確立していくことに理不尽に嫉妬しているのではないか

そういう考えが次々と湧き上がってきた。そう考えられることが『進歩的』というのなら私は進歩的な男性なのかもしれないが、当たり前の感受性を持っていれば、進歩的であろうがなかろうが、男性の傲慢さを思い知らされ恥じ入る気持ちになるはずだとも思う。

この本のレビューを男性が書くことは正直難しいと感じた。どんな言葉を使っても、結局男性は男性としての視点でしか物事を考えられない。男性の視点でこの本を評価すれば、共感であろうが反感であろうが、どちらにしても本当の意味での共感や反感にはならないと思う。

こうして書き連ねた私のレビューも、男性視点というバイアスが存在した上で書かれたものだ。「この本の本質がわかっていない」「理解したフリをしているだけ」なのかもしれない。キム・ジヨンの苦しみを理解したかのようにカルテを記して悦に入っている精神科医と私は『同じ穴の狢』なのである。