ナナロク社版の「へろへろ」を購入したのは、2月の「本を贈る展」だった。その後、すぐに読み始めることはなく、しばらく時間をおいているうちに、本書が筑摩書房で文庫化された。ちくま文庫版には、「文庫版あとがき」「下村恵美子が「よりあい」を去った日」と、橙書店の田尻久子さんの解説「物語はおわらない」が追加収録されている。なので、ちくま文庫版も買った。(@ときわ書房志津ステーションビル店)
で、文庫も発売された3月の半ば近くになって本書を手にとった。
読みはじめていきなり鷲掴みにされた。書き出しが自分の想像のはるか上空、成層圏を突き抜けて宇宙の彼方までぶっとんでいたからだ。
本書は、高齢者介護施設を舞台にしたノンフィクションである。たぶんそうだと思う。福岡に実在する『宅老所よりあい』がいかにして生まれ、どのような苦労の中で運営されているのかの記録だ、と思う。思うのだが、読んでいるとそんな堅苦しいイメージはガラガラと音を立てて崩れていく。そして、顔にはニヤニヤとした笑いが浮かび、それが次第に大きくなり、爆笑へと成長していくのだ。
最初から最後まで笑いっぱなしだった。鹿子さんの文章が面白いのは当たり前なのだが、やはり登場人物たちのキャラクターが際立っている。これが創作小説だったら、登場人物たちは“キャラが立っている”と評するところだろう。しかし、本書はノンフィクションである。登場人物はすべて実在の人物なのである。『宅老所よりあい』を立ち上げた下村恵美子さんも村瀬孝生さんも、下村さんが宅老所をつくるきっかけとなった大場ノブヲさんという強烈なばあさまも、出てくる人はみんなみんなこの世に実在している(いた)のだ。
読者を圧倒する強烈な登場人物たちは、やることなすことすべて型破りだ。
高齢者介護について、私たちには固定したイメージがある。介護の仕事は、人の命を預かる責任ある仕事だ。仕事の内容も厳しくキツイ。それなのに給料は安い。そういうイメージだ。
ところが、この本にはネガティブな部分がほとんど出てこない。運営資金には相当に苦労しているし、認知症の老人たちを相手にした介護の仕事が大変なことも書かれている。書かれているが、彼らは常に明るくて前向きなのだ。下村さんの好きな歌のフレーズを借りれば、まさに「ケ・セラ・セラ~ なるようになるわ~」なのである。
毅然としてぼけ、下の世話も覚束なくなっても「死ぬ覚悟はできている!」と言い張る大場ノブヲさんに会ったときも。
最初のデイサービス施設をつくるときに800万円の費用が必要だとわかったときも。
特養施設の補助金申請に悪戦苦闘しているときも。
どんな苦しい場面でも『宅老所よりあい』に関わるメンバーは、ケ・セラ・セラ~と乗り越えていく。手作りのジャムをバザーで売ったり、チャリティコンサートを開いたり、寄付を募って歩いたりして資金を稼ぐし、デイサービスに集まる老人たちとは人間として接する。
なんとパワフルな人たちなのか。ゲラゲラと笑って読みながら、私は心から下村さんたちを尊敬していった。彼らの取り組みに喝采をおくりたくなった。
一方で危惧することもあった。さきほど書いたように介護の仕事は安月給でキツイ仕事だ。多くの施設でヘルパーさんたちは、身体的にも精神的にもつらい仕事をこなしている。施設の運営資金も慢性的に不足しているだろう。介護の仕事が人間の命にかかわる重要で責任の重い仕事なのに、それに報いるような環境ができていないのは間違いなく国の責任だ。国が責任をもって彼らに手厚い環境を整備しなければならないはずだ。
しかし、本書を読むと「運営資金のことも、介護の仕事のことも、現場のやる気と創意工夫でなんとかなる」という考えが浮かんできてしまう。私が危惧するのはそこだ。『宅老所よりあい』の事例が全国の高齢者介護施設に当てはめられるわけではないのに、『よりあい』でできたことがなぜ他の施設ではできないのか。やる気がないのではないか。と思われてしまうのではないかと懸念してしまうのだ。
『よりあい』の人たちの話は、勇気と希望を与えてくれる。介護の現場のつらさを吹き飛ばしてくれる楽しさがある。「一人の困ったお年寄りから始まる」という行動理念を基本姿勢とする『よりあい』の取り組みは、全国の施設が参考にするべきだろうし、施設で働く人が仕事を楽しめてこそ、そこに集う老人たちも幸せに過ごせるのだと思う。
でも、これだけは書いておきたい。『宅老所よりあい』は、きわめて稀なケースなのだ。全国の施設がすべて、ケ・セラ・セラ~でなるようになるわけではないのだ。そこは勘違いしてはいけないと思う。頑張ることは大切だ。それ以上に、私も含め行政や市民が彼らを知ること。そして、支えることがもっと大切なのだと思う。