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【書評】アン・ヴァン・ディーンデレン/ディディエ・ヴォルカールト「誰がネロとパトラッシュを殺すのか-日本人が知らないフランダースの犬」(岩波書店)-ラストシーンではきっとあなたも泣いたはず。そんな「フランダースの犬」を現地の人はほぼ知らないという現実

「パトラッシュ、疲れたろう。ぼくも疲れたんだ。なんだか、とても眠いんだ」

 

誰がネロとパトラッシュを殺すのか――日本人が知らないフランダースの犬

誰がネロとパトラッシュを殺すのか――日本人が知らないフランダースの犬

 

 

1975年に放送されたアニメ「フランダースの犬」の最終回、大聖堂のルーベンスの絵の前で愛犬パトラッシュの身体を抱き、疲れきった身体で深く永遠の眠りにつくネロの姿は多くの視聴者の涙を誘った。今、40代~50代くらいのおじさん/おばさん世代には、今だにこの場面で号泣できる人がいる。

日本では大メジャー作品である「フランダースの犬」だが、その舞台となっているベルギーではまったくといっていいほど知られていないらしい、というのは結構有名な話である。「フランダースの犬」の舞台を訪ねてきた日本人にいわれて初めて作品を知ったという人もいるとかいないとか。

本書「誰がネロとパトラッシュを殺すのか」は、映画監督であるアン・ヴァン・ディーンデレンとベルギーで日本のアニメとオタク文化を研究しているディディエ・ヴォルカールトのふたりによる「フランダースの犬」という作品のメディア論と世界における評価についての研究本であり、以下の章立てで構成されている。

「第1章 悲劇を描いたウィーダの悲劇」
原作小説である「フランダースの犬」の著者マリア・ルイーズ・ラメ(別名ウィーダ)の生涯と「フランダースの犬」という作品の生まれた背景について記している。幼いころの育った環境から作家としてのデビュー、人気作家となってからの活動、不遇な晩年とその死について、そして、「フランダースの犬」という作品が生まれた背景としてのウィーダとベルギーの関係、ウィーダと犬との関わりについて書かれている。

「第2章 ハッピーエンドに変えるアメリカ人」
第2章では、アメリカで映像化された「フランダースの犬」について解説している。アメリカでは、1914年に初めて映画化されて以降、1999年までに全5作の映画版「フランダースの犬」が制作された。そのすべてに共通しているのは、

  • 本当の意味での貧困を表現した作品ではない
  • ネロが最後にはアメリカンドリームを体現している
  • ラストが(アメリカの)映画様式を尊重した形で描かれる

ということだという。アメリカ映画版「フランダースの犬」では、ネロもパトラッシュも最後に死なずにハッピーエンドとなる作品があり、悲劇的な終わり方ではなく幸福なラストに話を変えてしまうところがアメリカらしさだと言える。

「第3章 アニメに涙する日本人」
第3章では、日本における「フランダースの犬」について書かれる。つまりは例のアニメの話だ。1975年の1年間で全52話が放送されたアニメ「フランダースの犬」について、各話を逐一解説していて、その熱意には思わず「アンタたちの方がよっぽどハマってるんじゃないか!」と突っ込みたくなった。

「第4章 ネロとパトラッシュはどこにいる」
「第5章 悲しい結末を愛する日本人」
第4章および第5章では、特に日本でのアニメ人気よって注目された「フランダースの犬」の舞台となったベルギーで、作品の舞台と「フランダースの犬」の痕跡を求める日本人観光客に困惑する地元の様子と、観光コンテンツとしての「フランダースの犬」について書かれている。そこには、地元ではまったく知られていなかった作品の痕跡を求める日本人の欲求に困惑し、観光コンテンツとしてどうにか対応しようとする混迷ぶりが伺えて、今後外国人観光客のさらなる誘致を目指す日本の観光業においても参考になる部分があるように思えた。

フランダースの犬」という作品が地元であるベルギーではまったくと言っていいほど知られていないという話は、以前からなんとなく知っていた。今回、本書を読んで、その事実が確認できたと思う。

本書によれば、「フランダースの犬」は原作を執筆したウィーダがイギリスの作家であり、映像化され人気に火をつけたのは日本であって、いずれも地元からは離れた異国である。つまり、「フランダースの犬」は地元からしてみると外国で書かれた作品にすぎないのだ。

そういう意味では、地元の人たちが、ある頃から突然見たこともないような日本人が続々とこの土地を訪れるようになり、「フランダースの犬」という彼にしてみれば、「あぁ、そんな作品あったような」程度の認識でしかない作品の舞台だからと、あちらこちらと訪ね歩くような状況が起きたのは、驚愕と困惑以外のなにものでもないだろう。

先に書いたように、私が本書の特に第4章、第5章を読んだときに考えたのは、地元の人が認知もしていなかったような話が、自分たちから遠く離れた異国の地で人気となり、その国の人たちが観光客としてやってくるという予想もしていなかった現実が、日本でも起こりうるんじゃないかということだった。そういう意味で、本書を参考にというわけではないが、観光立国を目指す中では固定観念に縛られず、意外な方面からアプローチがあるのだということも考えおくべきなんだろうなと思った。

フランダースの犬

フランダースの犬