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「最後のライオニ 韓国パンデミックSF小説集」河出書房新社-世界的なパンデミックを経験した6人の作家たちがそれぞれに描く未来の姿

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「最後のライオニ 韓国パンデミックSF小説集」は、6人の作家によるSF短編アンソロジー集だ。名前を連ねるのは、キム・チョヨプ、デュナ、チョン・ソヨン、キム・イファン、ペ・ミョンフン、イ・ジョンサン。本書で日本にはじめて紹介される作家もいる。翻訳は、斎藤真理子さん、古川綾子さん、清水博之さんが手掛けている。

【収録作品】
第一章 黙示録 終わりと始まり
「最後のライオニ」キム・チョヨプ/古川綾子訳
「死んだ鯨から来た人々」デュナ/斎藤真理子訳
第二章 感染症 箱を開けた人々
「ミジョンの未定の箱」チョン・ソヨン/古川綾子訳
「あの箱」キム・イファン/清水博之訳
第三章 ニューノーマル 人類の新たな希望
「チャカタパの熱望で」ペ・ミョンフン/斎藤真理子訳
「虫の竜巻」イ・ジョンサン/清水博之訳

本書は、3つの章で構成されている。第1章はパンデミックによって滅亡した世界を描いていて、「最後のライオニ」、「死んだ鯨から来た人々」は、いずれも地球外の遠い星を舞台にしている。

「最後のライオニ」では、人類が滅亡して機械だけの世界になった宇宙居住区に調査に向かった“私”は、そこで“セル”と名乗る視覚を失ったリーダー格の機械によって監禁されてしまう。セルは私を“ライオニ”と呼び、私が自分たちを救うためにこの場所に戻ってきたと言う。なぜ人類は滅び機械だけが残ったのか、ライオニとは誰なのか。
「死んだ鯨から来た人々」は、地球を離れ、鯨が生息する惑星で生きてきた人々の物語。この星では、島のように巨大な鯨がいて、人々はその背中に家を建てて暮らしている。その鯨たちの間で感染症が発生し、人々は死んだ鯨から新しい生活の場を求めて別の鯨を探す。彼らは生き残るために必要なものを手に入れることができるのか。

第2章で描かれるのは感染症パンデミックによる人々の混乱と生きることの意味を問う物語。

「ミジョンの未定の箱」は、パンデミックに見舞われたソウルから避難するミジョンが、その道中で光り輝くステンレス製らしき箱を拾ったことで、ミジョンの人生が過去に遡るように描かれていく。感染症が人々の命や生活を奪っていき、終末が近づきつつある中で、ミジョンが拾ったその箱は走馬灯のようにその人生を映し出していく。それはミジョンにとっての終末が近いということなのか、それとも希望のある未来が見えるのか。
「あの箱」では、ウイルスに感染した人は昏睡状態となり、ほとんどの場合意識を取り戻すことはない。そのため、安楽死が認められている。一部の回復できた人は、免疫を持つためボランティアとして活動している。ある日、ミンジュンのもとに“あの箱”が届けられる。罹患して昏睡状態になっている両親の遺骨が納められているはずの箱。だが、まだ両親は生かされていて箱は空っぽだった。この件でミンジュンはボランティアのソクヒョンと知り合う。そして、互いのAIが友達になり、ふたりも友人関係を築いていく。だが、ミンジュンがウイルスに感染。死の淵をさまようことになる。

第3章で描かれるのは、パンデミックによってもたらされた新しい生活様式ニューノーマル)をテーマとする。

「チャカタパの熱望で」は、読みはじめてすぐに違和感を感じた。“大学の歴史ガカ”や“イハン市民”といった表記がところどころに散見される。はねる音(“はっぴょう”などのように小さい“っ”で発音する言葉)や半濁音(パピプペポ)を使わずに書いているのだ。この作品は韓国語の激音(息を吐き出すように発音する)を使わない発音法が定着した近未来が舞台となっていて、翻訳にあたっては拗音の“っ”と半濁音を使わないことでこれを再現しているのである。飛沫感染防止でソーシャルディスタンスやマスク着用が言われているが、息を吐き出す発声を制限するという発想は面白い。
「虫の竜巻」で人々が恐れるのはウィルスではなく“虫”だ。虫は竜巻のように大群で街を覆い尽くし未知の病原体を運んでくる。人々は自宅にこもり、スクリーンウィンドウを通じて外の世界とつながっている。家にいながら仕事をし、人と会い、バーチャル環境で公園を散歩する。

6人の作家が描く6つの物語は、それぞれにいま私たちが置かれているパンデミック環境での、それ以前とは異なる生活や人と人との関係、なにより未知のウイルスに対する恐怖や実際に経験してきた日々、新しい生活様式といわれる在宅勤務やオンライン授業、ソーシャルディスタンスや自宅隔離といった事物から発想し、ある作品は壮大、ある作品は現実的な世界を描き出している。

それぞれの作品には、作家がその作品にどう向き合ったのか、どのような思いで書いたのかといった作品執筆にまつわるエピソードが記されている。誰も経験したことのないパンデミックという異常事態の中で作家たちは何を思っていたのか。そこからどのような作品を作り上げたのか。国は違えども同じパンデミックを経験している私たちとの考え方、捉え方の共通性や違っているところを意識しながら読んでみるのもいいかもしれない。

パンデミックがはじまって2年が過ぎ、まだまだ安心できない状況は続いている。おそらく、いま世界中の作家がパンデミックを経て、その経験を受けて、新しい作品を生み出しているのだろうと思う。パンデミック後に生み出された文学がそれまでの文学からどのように変化するのか。どこが変わってどこが変わらないのか。このアンソロジーを読みながら、その変化をいろいろな国の文学を通じて感じてみたいと思った。