タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

和氣正幸、ことり会、荒井宏明他「全国旅をしてでも行きたい街の本屋さん」(G.B.)-北海道から沖縄まで、全国各地のわざわざ行きたくなる街の本屋さん185軒揃い踏み!

昨年(2017年)に刊行された「東京わざわざ行きたい街の本屋さん」は、東京の街なかにある130軒もの本屋さんを紹介した画期的なガイドブックであり、“◯善”や“△省堂”、“紀伊□屋”といった大手チェーン書店とは違う『街の本屋さん』が注目されるきっかけをつくった。

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本書「全国旅をしてでも行きたい街の本屋さん」では、そのタイトルにあるように北海道から沖縄まで全国の『街の本屋さん』が全部で185軒も紹介されている。その中には、本書刊行時点(2018年8月末)でまだオープン前の本屋さん(小石川の『PebblesBooks(ペブルスブックス)』)もある。

全国版ともなると、前著の著者和氣さんだけでは取材・執筆は難しいということだろう、本書では地域別のライター陣が分担して執筆している。

関西(31軒):ことり会
北海道・東北(16軒):荒井宏明
関東(20軒):和氣正幸
中部(24軒):佐藤実紀代
中国・四国(23軒):イソナガアキコ
九州・沖縄(16軒):田端慶子

読んでいくと『旅をしてでも行きたい』という言葉が実感としてわいてくる。

「この本屋さん、行ってみたい!」

そう思わせる本屋さんが次々と登場してくるからだ。紹介されている185軒の全部に行きたいが、その中で私が特に「行きたい!」と思った本屋さんは次の16軒。

竹苞書楼(京都)
とほん(奈良)
MAGASINN KYOTO(京都)
さわや書店フェザン店(岩手)
F-ritz art center(群馬)
ときわ書房志津ステーションビル店(千葉)
TSUTAYA BOOK APARTMENT(東京)
栞日(長野)
おんせんブックス(長野)
ロバの本屋(山口)
古書猛牛堂(愛媛)
書肆海風堂(香川)
あなごのねどこ(広島)
庭園の宿 石亭(広島)
Read cafe(福岡)
長崎次郎書店(熊本)

店構えが特徴的な店。棚作りが個性的な店。歴史のある店。これからの未来を見据えた店。地元で愛される店。本当にたくさんの個性的な店が日本中にあって、それぞれの本屋さんがそれぞれのやりかたで頑張っている。そういう本屋さんが日本中に185軒もあるのだと思うとなんだかワクワクしてしまう。

地方の本屋さんなら、2泊、3泊と泊りがけで観光も兼ねてでかけてみるのもいいかもしれない。本屋さんだけが目的じゃない。むしろ、温泉や観光をメインにして、その合間にちょっと地元の本屋さんをのぞいてみるのが良い。身構えずにフラリとお店を訪ねて、棚に並んだ本をながめたり、カフェを兼ねているなら飲み物を頼んでホッと一息つくのもありだろう。店主に話しかけてみるのもいいかもしれない。でも、忙しそうなときは遠慮しましょう。

書いていたら旅に行きたくなってきた。長い休みがとれたら出かけてみようと思う。

 

東京 わざわざ行きたい街の本屋さん

東京 わざわざ行きたい街の本屋さん

 
東京 わざわざ行きたい街の本屋さん

東京 わざわざ行きたい街の本屋さん

 
日本の小さな本屋さん

日本の小さな本屋さん

 

 

トム・ハンクス/小川高義訳「変わったタイプ」(新潮社)-トム・ハンクスという遅咲きの新人作家によるデビュー短編集。17篇の短編は、笑いあり涙あり、思わず引き込まれる作品揃い。

才能のある人はなにをやってもすごいんだな、というのが率直な感想である。

作家トム・ハンクスのデビュー短編集となる「変わったタイプ」には、17篇の短編作品が収録されている。そのすべての短編が面白い。まったく外れがない。本当にレベルが高い。

2014年に「ニューヨーカー」に発表されたデビュー短編「アラン・ビーン、ほか四名」を含む17篇の短編には、笑える作品があれば、笑ってほっこりできる作品もある。温かい気持ちになれる作品がある。ただ、読み終わって嫌な気持ちになったり、不快に感じる作品はひとつもない。それは素晴らしいことだと感じた。

トム・ハンクス』は、まぎれもなく、あのトム・ハンクスである。「フィラデルフィア」、「フォレスト・ガンプ/一期一会」により2年連続でアカデミー賞最優秀主演男優賞を取得し、今も第一線で活躍する俳優のトム・ハンクスである。

そのトム・ハンクスがこれほどの書き手だと、いったい誰が想像できただろう。冒頭に収録されている「へとへとの三週間」を読み始めるなり、私はその面白さに一瞬で引き込まれてしまった。

「へとへとの三週間」は、常時アクティブな女性の行動に振り回される男の話だ。主人公の『僕』は、仕事にもプライベートにもセックスにもアクティブなアンナ惚れている。だから、彼女の行動に合わせて(というかほぼ強制的につきあわされて)スキューバダイビングのライセンス講習会に通い、毎日ランニングし、『サラダのサラダ、サラダ添え、としか言えないランチ』を食べる。そして、彼女の求めに応じてセックスもする。そんな日々が三週間も続けば、それはもうヘトヘトである。その振り回されっぷり、ヘトヘトになっていく様子がとにかく面白い。

他にも「配役は誰だ」のようにひとりの女性がニューヨークの荒波の中で自分の居場所を見つける物語で、その結末に描かれる彼女の未来には希望が溢れているし、「どうぞお泊りを」は、ラスベガスに巨大な豪華ホテルを所有する億万長者と、秘書として彼の気まぐれに振り回される女性が、田舎町の小さなモーテルを営む老夫婦と出会い、彼らのために起こす奇跡をシナリオ形式で描いている。

すべての作品に共通しているのは、作品から浮かんでくる情景だ。まるで映画をみているように、そこに描かれている風景が映像として浮かんでくるのだ。

もうひとつ共通点がある。それはタイプライターだ。

トム・ハンクスは、タイプライターの蒐集家としても有名なのだという。タイプライター好きが高じて『ハンクス・ライター(Hanx Writer)』というiPadアプリを開発しているらしい。

収録されている各作品の冒頭扉ページの前には、タイプライターの写真が掲載されている。タイプライターは、あるときは重要なアイテムとして、あるときはチョイ役として作品に登場する。各作品の中でタイプライターがどのような形で登場するか確認しながら読むのも面白いと思う。

映画俳優、プロデューサー、映画監督とマルチに活躍しているトム・ハンクス。その中に作家としての経歴が追加された。多忙な方なので、作家と今後どのくらいのペースで活動されるかはわからない。本書で作家トム・ハンクスの魅力にハマってしまった読者としては、次の作品を早く読みたいと願うばかりである。

サユリ・ミナガワ「みけねこてんちょう」(虹色社)ーまちのほんやのてんちょうが、たびにでようとみせばんをぼしゅうします。あらわれたのはいっぴきのみけねこでした。

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(画像クリックで販売サイトへジャンプ)

谷中に『ひるねこBOOKS』という本屋さんがあります。その『ひるねこBOOKS』のレーベルから初めて生まれたのがこの「みけねこてんちょう」という絵本です。著者のサユリ・ミナガワさんは、ノルウェー出身のイラストレーターで、この絵本がデビュー作となります。出版は虹色社(「虹色」と書いて「なないろ」と読みます)です。

まちのちいさな本屋さんが舞台です。

本屋の店長は、海辺でのんびりする夢を見ています。「旅に出たい」と考えた店長は、留守の間にお店を任せる店番を募集します。すると、現れたのは一匹のみけねこでした。店長は、そのみけねこに店番をお願いすると念願の海へとでかけていったのです。はたして、みけねこはちゃんと店番ができるのでしょうか?

忙しいときに「ねこの手も借りたい」と言います。なら、本当にねこの手を借りたら?この絵本はそんなお話です。

絵本の世界では、現実にはできないこともできてしまいます。まちの小さな本屋さんの店長は、「みせばんをやらせてほしいのにゃ」とやってきたみけねこに「ぼくがかえってくるまでみせをたのんだよ」と留守を託して、念願の旅にでかけてしまいます。そんなことができてしまうのが、絵本の世界なのです。

さあ『みけねこてんちょう』の店番のはじまりです。やる気満々のみけねこてんちょうは、無事に店番をこなせるのでしょうか。さっそくお客さんがやってきます。「かくことがおもいうかばない」と困った様子の絵かきの女性にみけねこてんちょうがオススメした本とは? みけねこてんちょうの活躍をぜひ楽しんでほしいと思います。

冒頭にも書いたように、この絵本は『ひるねこBOOKS』が企画・編集協力した初めての作品となります。

『まちの小さな本屋さん』というのは、『ひるねこBOOKS』のことなのかな、と想像しながら読んでみると楽しいですね。この絵本に登場する店長さんが、『ひるねこBOOKS』の店長さんをモデルにしているかはわかりません。でもきっと、どこかに共通点があるんだろうと思います。


■ひるねこBOOKS(HP)
■ひるねこBOOKS TwitterFacebookInstagram
■みけねこてんちょう購入ページ(ひるねこBOOKSのWebショップ内)

Amazon等のネットショップでは取扱いがありません。ネットでご購入の場合は上記から可能です。もしくは、『ひるねこBOOKS』他取扱いのある書店で!
★2018年7月時点での取扱い書店リストはこちらのページで確認できます。

追記
この絵本は、千葉県松戸市にある『せんぱくBookbase』のクラウドファンディング支援に対するリターンとしていただきました。
普段、絵本を手に取る機会はほとんどありませんが、今回こうして読む機会をくださった『せんぱくBookbase』のみなさんに改めて感謝です!
■せんぱくBookbase(HP)
■せんぱくBookbase TwitterFacebookInstagram

金子薫「双子は驢馬に跨がって」(河出書房新社)-囚われた親子。旅する双子と驢馬。その先に見えるのは希望なのか、絶望なのか。

二人の男が閉ざされた部屋に囚われている。年かさの男は「君子危うきに近寄らず」、若い男は「君子」である。二人には名前がないから、この物語の中では「君子危うきに近寄らず」と「君子」と呼ばれている。二人は、一応『親子』と思われるが、二人とも自分の名前も含めて記憶を失っているので、その関係が正しいのかはっきりしない。

二人は、双子が来るのを待っている。双子が驢馬に跨がって、自分たちを助けに来てくれると信じている。それを希望に、この閉ざされた空間で毎日同じ白米と鶏肉の入った南瓜スープを食べて生きている。

二人が待ち望む双子は、みつることみという。双子は、旅に出る運命をもって生まれた子どもだった。双子は、学校で飼われていた驢馬のナカタニと出会う。そして、双子と驢馬は旅に出る。旅の中で双子と驢馬は、ナカタニが昔飼われていたU夫妻の家に立ち寄り、さらに養豚業を営むSを訪ねる。そして、あっという間に月日は流れていく。

理不尽な囚われ生活を送る二人の男と、彼らを助けるために旅をする双子と驢馬。しかし、それぞれの希望と旅路はなかなかクロスしてくれない。そもそも、「君子危うきに近寄らず」と「君子」の物語と双子と驢馬の物語は、本当につながっているのか?

読んでいると次第に不安になってくる。この物語にはゴールが存在するのだろうか。双子によって「君子危うきに近寄らず」と「君子」は、本当に救い出されるのだろうか。

囚われの身である「君子危うきに近寄らず」と「君子」の日々は、双子という希望だけでつながれている。二人は、双子が正しく自分たちが囚われている場所にたどりつけるように部屋の壁に地図を描く。だが、その地図は監禁者によって真っ黒に塗りつぶされてしまい、二人は絶望へと突き落とされる。「君子危うきに近寄らず」は、少しでも「君子」を勇気づけたいと、トイレの壁に碁盤のマス目を描き、自分がかつて父から教えられたように、囲碁を教え込んでいく。

囚われた二人に対して、双子と驢馬の旅はどこか悠長である。双子は、旅をする中で多くの人々と出会う。道中あちこちに立ち寄るたびに長居をして、旅はなかなか先に進まない。それでも、囚われた人を助けるという目的に向かって旅は続く。

双子と驢馬の長い長い旅の果てに、この物語のラストが待ち受けている。160ページにわたって並行して語られてきた「君子危うきに近寄らず」と「君子」の物語と双子と驢馬の旅の物語の終焉は、ある意味、読者を戦慄させる展開かもしれない。それまでに語られてきたことのすべてが、もしかするとこのラストに向けた壮大な前フリだったのではないか。

私は、一瞬あっけにとられ、そして笑ってしまった。双子の旅のプロセスなどから「もしかして?」と少し想像していた展開でもあったけれど、本当にそうなるとは!

このラストをどう評価するか。楽しんで終わるか、呆れるか、それとも腹を立てるか。いずれにせよ、読者の中でこの物語が永遠に続いていくことは間違いない。

吉田修一「国宝」(朝日新聞出版)-厳しい芸事の世界を生き抜いた男の壮絶な半生。それはまさしく大舞台の主役を張る役者の人生物語だった。

※NetGalleyから入手した発売前のゲラを読んでのレビューになります。本書の発売は、9月7日の予定です。

最後の場面。三代目花井半二郎が『阿古屋』の幕がまさに降りようとしたそのときの場面に強く惹きつけられた。役者の道を突き詰め、貫いてきた三代目の鬼気迫る迫力。そこに至るまで語り尽くされてきた物語の数々。それを思い出し、胸の奥を鷲掴みにされたような感動があった。

吉田修一「国宝」は、上巻にあたる「青春篇」と下巻にあたる「花道篇」を通じて、ひとりの女形歌舞伎役者の人生を描き出す。その役者とは、三代目花井半二郎。長崎の侠客一家立花組の組長立花権五郎の息子立花喜久雄として生まれ、その父をヤクザの抗争の中で失う。その後、ある事件をきっかけに大阪の歌舞伎役者二代目花井半二郎の家に預けられることになった喜久雄は、二代目の息子俊介とともに、歌舞伎役者としての道を歩んでいくことになる。

喜久雄の役者人生は、けっして順風満帆とはいかない。それでも、喜久雄は花井東一郎という名前をいただき、花井半弥こと俊介とともに、切磋琢磨しながら芸の道を歩んでいく。良きライバルであり親友でもある喜久雄と俊介。しかし、芸事の世界は人気と実力がすべてだ。やがてふたりの間には決定的な溝が生まれていくことになる。

世間を知らず、芸の精進におのれの人生の全てをかける喜久雄の姿は、読者の心にグイグイと迫ってくる。「どうだ、どうだ」と、「これでもか、これでもか」と喜久雄は、読者に全身全霊をぶつけてくる。それはまさに、現実の役者が舞台で魅せる芝居の迫力なのだ。

立花喜久雄、三代目花井半二郎の人生という大芝居を迫力のある舞台に仕立てているのは、本書の語り口調であることは間違いない。講談師の演目のごとく語りあげる文体があるからこそ、喜久雄や俊介、徳次、市駒、綾乃といった登場人物たちに命が吹き込まれ、さらに花井半二郎、花井白虎、姉川鶴若、吾妻千五郎といった役者たちにもその生命が染み渡っていく。物語の登場人物たちひとりひとりに与えられた命が、まるで本物のように立ち上ってくるのだ。

圧倒的な生命力を感じさせるからこそ、立花喜久雄の人生、三代目花井半二郎の役者魂は読者に感動を与えるのだ。そして、冒頭にも記した「国宝」という物語の大団円を迎えたとき、その感動は最高潮に達するのである。

ですからどうぞ、声をかけてやってくださいまし。ですからどうぞ、照らしてやってくださいまし。ですからどうぞ、拍手を送ってくださいまし。
日本一の女形、三代目花井半二郎は、今ここに立っているのでございます。

この壮絶なる役者魂に心からの拍手を贈ろう。腹の底から「三代目!」と声をかけよう。そしてなにより、この物語を生み出した吉田修一に最大の賛辞を贈ろう。

ミック・ジャクソン/田内志文訳「こうしてイギリスから熊がいなくなりました」(東京創元社)-差別や偏見、過酷な労働。虐げられ続けた熊たちは、やがてイギリスから姿を消した。

とてもユーモラスなのに、漂うのは悲しくて切ない。読んでいてときに苦しくなる。

ミック・ジャクソン「こうしてイギリスから熊がいなくなりました」には、8篇の短編が収められている。それはすべて『熊』にまつわる物語。イギリスにかつて存在した熊が、なぜ姿を消してしまったのか。その顛末をめぐる物語。

現在、イギリスには野生の熊はいないというのはどうも事実らしい。かなり昔にさかのぼれば野生の熊が生息していた時代もあるのだが、現在はイギリスや隣接するアイルランドにも野生の熊はいないそうだ。

もちろん、「こうしてイギリスから熊がいなくなりました」は、イギリスで野生の熊が絶滅した経緯を記したノンフィクションではない。本書はファンタジーだ。物語に描かれる熊たちは、電灯もオイルランプもない時代に暗闇の中に現れる『熊精霊』に姿を変えた悪魔であり、死者の罪を食べる『罪喰い熊』であり、サーカスの道化師であり、人間が嫌がる過酷な下水道の掃除を担う清掃人である。ときに人間を脅かす存在であり、ときに人間の代わりとなる存在であり、なにより人間から差別され怖がられ嫌われる存在である。

この物語に描かれる熊たちが暮らす環境はとても厳しい。富める人間たちから虐げられ、最低限の生活の中で懸命に生きている。『熊』を主役として寓話的に描かれているが、そこには貧富の格差に喘ぎ、ギリギリの生活の中で差別され、搾取されている貧者たちのリアルが映し出されている。衆目の差別にさらされ、嫌悪の対象とされ、与えられる仕事は汚れたものばかり。社会の底辺に暮らし、最低の生活から抜け出す術をもたない者たちの姿が、『熊』の姿形を借りて描かれているのが本書なのだ。

寓話とは、現実への痛烈な批判であり皮肉である。「こうしてイギリスから熊がいなくなりました」に収められている8篇の物語は、どれも面白く、中には声を出して笑ってしまうような話もある。だけど、そうして笑いながら読み進めていくうちに、少しずつ心に切なさが突き刺さってくる。自分を熊に置き換えて読むと、とても身につまされる。

もしかすると著者は、こうして笑いながら本書を読んでいる私たちにこう訴えているのかもしれない。

「あなたは、この『熊』たちを笑える側の人間なのか?」
「あなたも、この『熊』たちと同じ側に立っているのではないか?」

深く考えすぎだとは思う。楽しい本は楽しく読めばよいと思う。でも、そこに描かれていることの意味を考えることも本を読むときには大切なことだと教えられた気がする。

 

10の奇妙な話
 
10の奇妙な話

10の奇妙な話

 

 

 

ペティナ・ガッパ/小川高義訳「イースタリーのエレジー」(新潮社)- #新潮クレスト・ブックス #創刊20周年 ジンバブエを舞台にして描かれる様々な人間模様

ジンバブエは、アフリカ南部に位置する国だ。南アフリカ共和国の北側に位置する内陸国で、長くイギリスの植民地であり、ローデシア紛争を経て1980年に『ジンバブエ共和国』として独立した。ムガベ大統領による長期独裁、インフレ率2億パーセントなどというハイパーインフレーションを引き起こしたことでも知られている。

イースタリーのエレジー」の著者ペティナ・ガッパは、ジンバブエ出身の作家である。ジンバブエ大学で学び、オーストリアグラーツ大学、イギリスのケンブリッジ大学に留学して国際商取引法に関する博士号を取得、ジュネーブの国際貿易機関に勤務と著者略歴に記されていることから、相当のエリートということになるのだろう。

イースタリーのエレジー」には、13篇の短編が収録されている。

軍葬ラッパが鳴り終えて
イースタリーのエレジー
アネックスをうろうろ
ロンドンみやげ
黄金の三角地帯の真ん中で
ムバンダワナのダンスチャンピオン
ジュネーヴにて、百万ユーロの賞金
ララパンジから来たメイド
ジュリアーナ叔母さんのインド人
ロージーの花婿のひび割れたピンク色の唇
妹いとこランバナイ
妥協
真夜中のホテル・カリフォルニア

舞台となるのはもちろんジンバブエだ。独立前後の混乱、長期独裁、ハイパーインフレと国の情勢はけっして明るいとはいえない。人々の暮らしも厳しい。しかし、本書に収録された短編にはユーモラスで思わず笑ってしまうような作品もある。

たとえば「ジュネーブにて、百万ユーロの賞金」は、ジュネーブの国連事務局にあるジンバブエ共和国政府代表部の領事官をしている男に『重要なお知らせ』というメールが届いたことから始まるドタバタを描く。誰もがピンとくるだろう。そのメールは詐欺メールだ。

「ご当選のお知らせとお祝いを申し上げます」とはじまるメールは、「百万ユーロの賞金に当選しました。いますぐご返信ください」と続く。インターネットの詐欺メール、迷惑メールの類を知っている人なら内容も見ずにゴミ箱行きにするようなメールだ。しかし、受け取った男はこれを信じてしまう。すぐに返信し、そこからズルズルと詐欺の被害の中へ落ちていく。

不安定な国内の政治情勢、経済情勢から、周辺のアフリカ諸国に比べてもジンバブエ後進国だ。貧富の差も激しく、誰もが、どうにかして貧困から脱出したいと願う。「ジュネーブにて、百万ユーロの賞金」をはじめ、収録作品に共通しているのは、人間としての欲深さであり、欲深さが見え隠れする中で過ぎていく人々の日常だ。

読んでいる間、ジンバブエで生きることのつらさや息苦しさのようなネガティブさは、ほとんど感じなかった。ところどころに記されるインフレのこと、政治情勢のことがかすかに遠くにジンバブエの状況を感じさせるが、主に描かれるのは人間関係のちょっとドロっとした一面であったり、ユーモラスな一面だったり、どこにでもありそうな、どこででも起きていそうな日常で、共感できるところも多かった。