タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

金子薫「双子は驢馬に跨がって」(河出書房新社)-囚われた親子。旅する双子と驢馬。その先に見えるのは希望なのか、絶望なのか。

二人の男が閉ざされた部屋に囚われている。年かさの男は「君子危うきに近寄らず」、若い男は「君子」である。二人には名前がないから、この物語の中では「君子危うきに近寄らず」と「君子」と呼ばれている。二人は、一応『親子』と思われるが、二人とも自分の名前も含めて記憶を失っているので、その関係が正しいのかはっきりしない。

二人は、双子が来るのを待っている。双子が驢馬に跨がって、自分たちを助けに来てくれると信じている。それを希望に、この閉ざされた空間で毎日同じ白米と鶏肉の入った南瓜スープを食べて生きている。

二人が待ち望む双子は、みつることみという。双子は、旅に出る運命をもって生まれた子どもだった。双子は、学校で飼われていた驢馬のナカタニと出会う。そして、双子と驢馬は旅に出る。旅の中で双子と驢馬は、ナカタニが昔飼われていたU夫妻の家に立ち寄り、さらに養豚業を営むSを訪ねる。そして、あっという間に月日は流れていく。

理不尽な囚われ生活を送る二人の男と、彼らを助けるために旅をする双子と驢馬。しかし、それぞれの希望と旅路はなかなかクロスしてくれない。そもそも、「君子危うきに近寄らず」と「君子」の物語と双子と驢馬の物語は、本当につながっているのか?

読んでいると次第に不安になってくる。この物語にはゴールが存在するのだろうか。双子によって「君子危うきに近寄らず」と「君子」は、本当に救い出されるのだろうか。

囚われの身である「君子危うきに近寄らず」と「君子」の日々は、双子という希望だけでつながれている。二人は、双子が正しく自分たちが囚われている場所にたどりつけるように部屋の壁に地図を描く。だが、その地図は監禁者によって真っ黒に塗りつぶされてしまい、二人は絶望へと突き落とされる。「君子危うきに近寄らず」は、少しでも「君子」を勇気づけたいと、トイレの壁に碁盤のマス目を描き、自分がかつて父から教えられたように、囲碁を教え込んでいく。

囚われた二人に対して、双子と驢馬の旅はどこか悠長である。双子は、旅をする中で多くの人々と出会う。道中あちこちに立ち寄るたびに長居をして、旅はなかなか先に進まない。それでも、囚われた人を助けるという目的に向かって旅は続く。

双子と驢馬の長い長い旅の果てに、この物語のラストが待ち受けている。160ページにわたって並行して語られてきた「君子危うきに近寄らず」と「君子」の物語と双子と驢馬の旅の物語の終焉は、ある意味、読者を戦慄させる展開かもしれない。それまでに語られてきたことのすべてが、もしかするとこのラストに向けた壮大な前フリだったのではないか。

私は、一瞬あっけにとられ、そして笑ってしまった。双子の旅のプロセスなどから「もしかして?」と少し想像していた展開でもあったけれど、本当にそうなるとは!

このラストをどう評価するか。楽しんで終わるか、呆れるか、それとも腹を立てるか。いずれにせよ、読者の中でこの物語が永遠に続いていくことは間違いない。