タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

ジョージ・オーウェル/山形浩生訳「動物農場」(早川書房)-1940年代に書かれたこの作品が、そのまま今の世界への批判になっている怖さ

 

ドナルド・トランプ氏がアメリカ大統領に就任してから、彼の国ではジョージ・オーウェル「1984年」がベストセラーランキングの上位にランクインしているという記事を読んだ。

www.cnn.co.jp

動物農場」は、「1984年」と並ぶジョージ・オーウェルの代表作である。今回、新訳版が刊行されたのを機会に読んでみた。

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今村夏子「あひる」(書肆侃侃房)- #書肆侃侃房15周年 一見すると牧歌的な作品の中から立ち上がってくる不穏さ

あひる

あひる

 
あひる

あひる

 

 

表題作になっている「あひる」については、掲載された文学ムック「たべるのがおそいvol.1」のレビューで書いたので、今回は単行本書き下ろしとなる2つの短編について書いてみたい。

s-taka130922.hatenablog.com

 

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【書評】ステファン・グラビンスキ/芝田文乃訳「狂気の巡礼」(国書刊行会)−暗闇の中で内と外の境界面を歩いているような気分になる

狂気の巡礼

狂気の巡礼

 

 

第三回日本翻訳大賞の最終選考作品6作に残った中から、今回読んだのはステファン・グラビンスキ「狂気の巡礼」である。そのタイトルにあるように、人間の狂気に満ちた短編が収録された作品集だ。

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【書評】スティーヴン・ローリー/越前敏弥訳「おやすみ、リリー」(ハーパー・コリンズ・ジャパン)-読んでいてこんなに辛かった本は初めてだった。でも、こんなに愛おしくなった本も初めてだった。

おやすみ、リリー

おやすみ、リリー

  • 作者: スティーヴン・ローリー,越前敏弥
  • 出版社/メーカー: ハーパーコリンズ・ ジャパン
  • 発売日: 2017/04/15
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログを見る
 

 

《まえがき》このレビューは、ハーバー・コリンズ・ジャパンの読者モニター募集に当選していただいた「おやすみ、リリー」のサンプル本を読んで書いています。「おやすみ、リリー」製品版の発売は、4月15日の予定で、すでにアマゾンその他ネット書店での予約が始まっています。

今回、本書の読者モニターに応募したのは、私自身、子どもの頃からずっと犬を飼ってきたからです。

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【書評】ヴィンス・ヴォーター/原田勝訳「ペーパーボーイ」(岩波書店)-そして、少年は成長する

ペーパーボーイ (STAMP BOOKS)

ペーパーボーイ (STAMP BOOKS)

 

 

子どもの頃の経験は、その子を大きく成長させるだけでなく、大人になってからの素敵な思い出や生きる糧となる。

ヴィンス・ヴォーター「ペーパーボーイ」は、少年のひと夏の経験を描く物語だ。

1959年の夏、メンフィス。ヴィクター少年は友人ラットの代わりに1ヶ月間新聞配達の仕事をすることになる。ヴィクター少年は、吃音症のためうまく喋ることができない。言葉を発するときには、いつも「ssss(スススス)」と歯の間からゆっくり息をもらしながらそっと言うようにしている。

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【書評】アリス・フェレル/デュランテクスト冽子訳「本を読むひと」(新潮社)-流浪の自由民であるジプシーと“本を読む人”との交流の物語。幸せの形はひとそれぞれの価値観で決まるものだと思う。

本を読むひと (Shinchosha CREST BOOKS)

本を読むひと (Shinchosha CREST BOOKS)

 

 

21世紀のこの時代に、現実にジプシーなんて存在するのだろうか。まずはそこが気になって、ネットで『ジプシー』を検索してみた。

アリス・フェレル「本を読むひと」は、フランスのパリ郊外と思われる場所でキャンピング・カーを根城にして暮らすジプシーの一家と、一家に本を読み聞かせることで彼らの生活に変化を与えようとする図書館員の女性エステールとの交流を描いた物語だ。アンジェリーヌを女家長とするジプシーの一家には、5人の息子と4人の嫁(長男は独身)、彼らの子どもたちがいる。彼らは流浪の民であるが故にあらゆる面で不利益を被っているけれど、特にそれが不満というわけでもなく、自分たちが置かれた環境と今の生活に満足しているように見える。

図書館員のエステールは、そんな彼らに本を読んで聞かせるところからはじめていく。最初は子どもたちに本を読み聞かせ、次第に大人たちもエステールの来訪を受け入れるようになっていく。

本書の邦題は「本を読むひと」であるが、原題を直訳すると「恩寵と貧困」となるという。《恩寵》とは、エステールがジプシーたちに与える本を読み聞かせることであり、子どもたちを学校に行かせようと奔走する行為であるし、《貧困》とはアンジェリーヌたちが置かれている立場である。物質的な貧しさであり、社会からさまざまに阻害された権利の貧しさである。

ここで、私にはある疑問がわいてきた。アンジェリーヌたちは、本当に貧しいのだろうか、と。

確かに彼らは貧しい。住む場所もなく、仕事もなく、子どもたちを学校にも通わせられない。だが、それを貧しいとするのは、私たちの価値観で彼らを見ているからだ。安住の地を有し、毎日仕事をし、子どもたちには十分な教育の機会を与えてあげられる。私たちが当たり前にできることができていないから、ジプシーを貧しいと決めつけてしまうのではないか。そう考えると、エステールの行為がアンジェリーヌたちにとって、本当に価値のある行為だったのだろうか。

貧乏人と思われて平気なジプシーなど、めったにいるものではない。

という書き出しでこの物語ははじまる。この一文にこそ、アンジェリーヌたちとエステールの価値観の相違が込められているのではないか。

冒頭に「21世紀の現代にジプシーは存在するのか、ネット検索した」と書いた。結果から言えば、今の時代でもジプシーと呼ばれる人たちは存在する。しかし、彼らの存在は好意的に見られてはいない。ジプシーは、ホームレスと同等の存在であり、観光客などにたかって物乞いをして生きているような人たちだというネガティブな話が多い。ただ、ジプシーたちの生き方というのは過去から現代に至るまで、おそらくほとんど変わっていない。自らの定住の地を持たず、仕事も持たず、自由に生きる。ただ、それを受け入れる社会が大きく変わったのだと思う。私たちの価値観の変化が、ジプシーたちを哀れんだり、嫌悪したりするようになったのだ。

ひとつ思い出したことがある。それは、私が母から聞いた話だ。母の実家は商売を営んでいて、日頃から人の出入りの多い家だった。母がまだ幼い子どもだった頃、彼女の実家にはよく薄汚れた乞食のような人が出入りしていたという。今の時代なら、商店にホームレスが頻繁に出入りしていたら問題になるだろう。だけど、母の実家の商店では、特に拒むこともなく、乞食が庭先で寝ていたりしても誰も文句を言わず、乞食を追い出そうともしなかったそうだ。むしろ、家族の食事のついでに乞食に握り飯を食べさせたりもしていたらしい。さすがに、商売の邪魔になるときには追い出したりもしたそうだが、乞食もそこは心得ていて、商売に迷惑をかけるようなことはなかったという。

「今ならそんなこと絶対にしないけどね。あのときはそれが普通だった」

と、母はちょっと苦笑いしながら、懐かしそうにこの話をしていた。そのことを、このレビューを書きながら思い出した。

【書評】アーサー・コナン・ドイル/阿部知二訳「恐怖の谷」(東京創元社)-ホームズ長編作品再読のラストは、ホームズ・シリーズでも屈指のエンターテインメント小説だった

《お知らせ》書評サイト「本が好き!」で、「古今東西、名探偵を読もう!」という掲示板企画を立ち上げています。名探偵が好きなみなさんのご参加お待ちしています!

掲示板企画に連動して(と言いつつ完全に遅れているのだが)、シャーロック・ホームズ・シリーズ」作品を個人的に読み返している。今回は、その第4弾にして、ホームズシリーズの長編4作品のラストとなる「恐怖の谷」を読んでみた。

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