ガタガタ書評ブログ

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

澤西祐典「フラミンゴの村」(集英社)-振り向けばフラミンゴ。それは妻が変身した姿だった。

「文字の消息」でその魅力を知り、「別府フロマラソン」でユニークな想像力に驚かされた澤西祐典のデビュー作が、本書「フラミンゴの村」である。

 

s-taka130922.hatenablog.com

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物語は、ベルギーのとある村が舞台。アダン氏という男性の手帳に記された驚くべき出来事の記録をもとに、数々の証言を集めて記されたという形式で書かれている。

24.Juin
私が何を犯した? 子供らには、妻は使いに出ていると告げた。が、そろそろ限界。しかしどう伝える? 妻がフラミンゴになったなどと。
少なくとも(絶対に)家族以外の者に、知られる訳にはいかない。
 注:(絶対に)は本書では差し込み表記

アダン氏の手帳に記された言葉に読者は驚くだろう。「妻がフラミンゴになる」とはどういうことなのだ、と。

なぜ妻がフラミンゴになってしまったのか、カフカの「変身」でグレゴール・ザムザが毒虫に変身した理由がわからないように、中島敦の「山月記」で李陵が虎に変身した理由がわからないように、アダン氏の妻がフラミンゴに変身した理由はわからない。ただただ、アダン氏の困惑だけがそこにある。

だが、物語はそれで終わりではない。アダン氏は、わが妻だけでなく、村中で妻たちがフラミンゴに変身してしまったことを知るのである。残された男たちは、この事態に困惑し、必死にフラミンゴの存在を隠そうとする。それはやがて村を二分する争いへと発展し、混乱の度合いを深めていく。

フラミンゴというギミックに目を奪われがちだが、本書の面白さは、19世紀末という時代的な背景、キリスト教への信仰という宗教的な背景の上に、女性たちが変身したフラミンゴという耽美で官能的な美しい鳥が存在することで浮かび上がる物語の背徳的なイメージではないかと感じる。その背徳感が、物語の中盤から後半に起きる様々な事件と混乱に拍車をかけているとも感じる。

「フラミンゴの村」、「別府フロマラソン」、「文字の消息」と澤西作品を読んでみて思うのは、その想像力(創造力でもある)のすごさだ。先日、赤坂にある『双子のライオン堂』で行われたトークイベント(聞き手は書評家の倉本さおりさん)で、澤西さんは自分の創作について、「身の回り半径5メートルのことが書けない」と話していた。作家には、自分自身の至近の話を私小説として描き続ける作家と、想像によって完全なるフィクションの世界を構築する作家があると思う。澤西さんは明らかに後者の作家だ。

澤西さん自身は、芥川龍之介を研究し、近代日本文学を専門とする。なるほど、澤西作品には、芥川龍之介中島敦に通じる世界観があるように思う。さらに言えば、個人的な感想としては、海外幻想文学安部公房のようなマジックリアリズム的な、不条理な世界観を感じる。そういう世界観をもつ小説が好きなら、読んでみてほしい作家である。