タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

澤西祐典「文字の消息」(書肆侃侃房)-静かに降り積もる『文字』に埋め尽くされた街。ゆっくりと砂糖になっていく身体。朽ち果てた災いをもたらす船。想像力によって描かれる幻想世界は、どこか現実的でもある。

『文字』の力がこれほどに静かに心を締め付けてくるとは思いもしなかった。

澤西祐典「文字の消息」は、表題作の他、「砂糖で満ちてゆく」と「災厄の船」を含む短編集だ。著者にとっては、本書が3冊目の著作になる。

「文字の消息」は、S夫妻からフミエさんに宛てた書簡の形式で構成された作品。

前略
……そちらでは文字が降らないのですね、驚きました。まだ文字に埋もれていない土地があるなんて、なんだか夢のように感じられます。

この書き出しに惹きつけられる。『文字が降る?』『文字に埋もれる?』。いったいどういうことだ、と思わずにはいられない。そう思った瞬間に、読者は物語の世界に取り込まれる。

S夫人は、あるとき家の台所の壁に黒い点のようなかたまりを見つける。虫だと思ったそれは『と』という文字に似ていた。あたりを見回してみると、同じような黒いものが部屋のあちこちにある。それは『す』であり『く』であった。部屋のいたるところに文字があった。

文字は次第に街を覆い始める。S夫人は、街や部屋にあふれる文字を使ってフミエさんに手紙を書き始める。いつしか、S氏も文字を使って手紙を書くようになっていく。

「文字の消息」に描かれるのは、『文字』によって侵食されていく世界のいいしれぬ不安感であるが、それ以上に人間の心が蝕まれていく恐怖だ。そして、恐怖に蝕まれていく中で強くなっていく人間の力だ。

街が文字に侵されていく中で、S夫人は不安と恐怖に苛まれていく。それと対比するように、S氏の手紙は最初ぎこちなく拙いものから次第に成長ししっかりとしたものに変化していく。S夫妻は、それぞれに互いを補完しあう存在であり、客観的に世界を観察する存在なのだ。

「砂糖で満ちてゆく」は、身体が少しずつ砂糖に変化していく難病『全身性糖化症(糖皮病)』を患う母親の介護を担う娘由希子の物語。介護問題を主題とする社会的な内容、という訳ではない。確かに、独身の娘が母親の介護によって生活の自由を失い疲弊していく姿は、家族介護の問題点を描く内容である。だが、この物語にはそれ以上に退廃的であり背徳的な空気が満ちていくように感じる。

「災厄の船」にも、退廃的、背徳的な空気が満ちている。不穏であると言いかえても構わない。ずっと昔から入り江に浮かんでいる巨大な帆船。荒廃し幽霊船といわれるようなその船は、近づいた者におぞましい災厄をもたらすと噂される『災厄の船』だ。その災厄の船を巡って、人間のエゴがひしめき合う様は、これも他の2編と同様に社会の病理のようなものを描いていると読める。

「文字の消息」、「砂糖で満ちてゆく」、「災厄の船」は、いずれもイマジネーションにあふれ、非現実的な世界である。だが、そのファンタジックな世界の奥底には、私たちの周りで起きているさまざまな現実が見えている。それゆえに、本書を読み終えたときには、不安、恐怖を感じるのだ。

読み心地のいい作品とは言えない。むしろ、読み終わったら、いや読んでいる途中から、何やら全身がゾワゾワとして、厭な気持ちになるかもしれない。不安な気持ちになるかもしれない。それこそが、「文字の消息」という短編集がもつ『文字の力』なのだ。

 

文学ムック たべるのがおそい vol.5

文学ムック たべるのがおそい vol.5

 
小辞譚: 辞書をめぐる10の掌編小説

小辞譚: 辞書をめぐる10の掌編小説

 
別府フロマラソン

別府フロマラソン

 
フラミンゴの村

フラミンゴの村