ガタガタ書評ブログ

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ニール・ホール/大森一輝訳「ただの黒人であることの重み~ニール・ホール詩集」(彩流社)-「ただの黒人」というレッテルで突きつけられる差別。それはアメリカだけの問題なのか?

 

重いのは黒人とは何かを白人が決めること
「ただの黒人」とは誰かを決める、その決め方自体が
社会によって決められ、その社会は、ほとんど、白人が作る

これは、ニール・ホールの詩集「ただの黒人であることの重み」に収録された表題作の一節。この一節に衝撃を受けた。

〈差別〉とは何か。私たちの周りには差別が溢れている。人種差別、性差別、職業差別、障がい者差別、貧困が生み出す格差も差別といえるだろう。あらゆる差別が私たちの周りには存在していて、意識/無意識に関わらず、私たちは誰かを差別している。

例えば無意識にでも、「◯◯のくせに」と考えたり言葉に発したりしたことはないか、と自分に問いかけてみる。

「女のくせに」
「外国人のくせに」
障がい者のくせに」

「◯◯のくせに」という強い差別でなくても、「◯◯なのに」と考えることはある。毎年夏に行われる某チャリティ番組を見ながら「障がい者なのに頑張っている」と涙を流すのは、「同情という名の差別」にはならないか?

「ただの黒人であることの重み」は、アメリカに今なお深く強く存在する人種差別の問題を突きつける。詩篇という形で記された言葉の数々は、ただ言葉を連ねただけの文章よりも心に刺さる。そこにある言葉の奥底に、アメリカの黒人が抱えている積年の苦しみがある。