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谷川電話「恋人不死身説」(書肆侃侃房)- #書肆侃侃房15周年 歌の向こう側に何かが見える。その先に何かがある。そんな気持ちにさせられる歌集

恋人不死身説 (現代歌人シリーズ15)

恋人不死身説 (現代歌人シリーズ15)

 
恋人不死身説 現代歌人シリーズ

恋人不死身説 現代歌人シリーズ

 

 

書肆侃侃房は、様々なジャンルの作品を刊行している。「歌集」はその主流であろう。「現代短歌ロード」というWebページを運営していて、「現代歌人シリーズ」、「新鋭短歌シリーズ」、「ユニヴェール」などの短歌叢書を出版していて、以前レビューをアップしたフラワーしげる「ビットとデジベル」は、「現代歌人シリーズ」の1冊だ。

s-taka130922.hatenablog.com

 

谷川電話「恋人不死身説」も、「現代歌人シリーズ」の1冊だ。巻末の解説を、歌人穂村弘が書いている。

 

穂村氏の言を借りれば、谷川電話の短歌は情報の可視/不可視性対する感度が非常に高く、かつ扱い方に特徴があるという。なるほど、本書に掲載されている短歌には、景色や物質がはっきりと見える歌と、何か漠とした掴みどころのない物体として見えざる歌があるようだ。

そういう視点で、本書の短歌を見てみる。穂村氏がとりあげている短歌は、

髪の毛が遺伝子情報載せたまま湯船の穴に吸われて消える
なんとなくきみの抜け毛を保存するなんとなくただなんとなくだけど
音符かなしゃぼん玉かなつぎつぎと視界を通り過ぎていくのは
二種類の唾液が溶けたエビアンのペットボトルが朝日を通す

など。いずれも物質として見えるもの(髪の毛、しゃぼん玉、エビアン)と確かな物質としての存在は曖昧なもの(遺伝子情報、音符)が、時に混在し、時に反発して歌の中をせめぎ合っている。

私が、この歌集で気になった短歌はいくつもあるが、穂村氏と同じ視点で見ると次の短歌があげられる。

部屋干しのTシャツなぜかゆれている生理の痛みも共有したい

部屋干しのTシャツと生理の痛みというまったく無関係と思える物質と非物質が、ひとつの歌の中で融合することで、その向こう側から何かが立ち上ってくるのが見えるような気がしないだろうか。恋人同士なのか夫婦なのか。ふたりの距離感が見えてくるような気がしないだろうか。

情報の可視/不可視の他に、この歌集には男と女の関係も色濃く感じられる歌も多い。むしろ、それが歌集のメインストリームではないかと思えるくらいだ。

そこには、プラトニックな関係性もあれば、情事をあからさまに感じさせる歌もある。端的に言えば「エロい歌」と「エロくない歌」だ。谷川電話自身がそういう意識で歌を詠んでいるかはわからない。読者である私が勝手に妄想をたくましくしているだけかもしれない。でも、読み手に自由に発想させるのが短歌なのだとしたら、そういう読み方をするのも自由なんだと思う。

ビットとデシベル (現代歌人シリーズ)

ビットとデシベル (現代歌人シリーズ)

 
ビットとデシベル 現代歌人シリーズ

ビットとデシベル 現代歌人シリーズ