作家・翻訳家の西崎憲さんが編集長をつとめる「文学ムックたべるのがおそい」の第3号が刊行されたので、さっそく購入して読んだ。
冒頭、小川洋子の巻頭エッセイ「Mさんの隠れた特技」で衝撃を受ける。エッセイと書いたが、これは小川洋子の世界だ。どこまでが現実でどこからが空想なのか。その境界面の曖昧さが「Mさんの隠れた特技」にはある。読み始めはなんでもない話だったのに、最後にはちょっと怖い。小川洋子のこの作品を読むためだけでも、「たべるのがおそいVol.3」を買うべきだと思う。
第3号の特集は、『Retold 漱石、鏡花、白秋』と題し、3人の気鋭の作家たちが夏目漱石、泉鏡花、北原白秋を《Retold》つまり《再話》するという企画だ。《再話》とは耳慣れない言葉だが、現代の作家が、漱石や鏡花や白秋になりかわって、彼らの残してきたような作品を書いてみるということだ。夏目漱石を《Retold》するのは作家で詩人の最果タヒ、泉鏡花を《Retold》するのは作家の倉田タカシ、北原白秋を《Retold》するのは作家の高原英理である。それぞれに漱石、鏡花、白秋の作品世界を醸しつつも新しい世界を構築しているように感じた。
創作、短歌、エッセイ、翻訳のラインナップにも注目作家が目白押しで、よくこれだけの作品が集まったと驚く。
創作は、やはり今村夏子だ。「白いセーター」は、クリスマスイブに婚約者の姉から子どもたちの面倒を見てくれと頼まれた主人公が、子どもたちとのちょっとしたトラブルから孤立感を深めていく様子を描く短篇。あまり付き合いのない親戚の子どもを預かる中でちょっとした事件が起きて、なんとなく関係が気まずくなるのは、私たちの日常でも普通に起きていることなのだけれど、今村夏子が描くとやはり不穏な空気感が漂ってくる。トラブルについて、姉も姉から事情を聞いた婚約者も主人公を責めたてたりしない。たぶん、ふたりはちょっとしたトラブルをそれほど真剣には考えていないのだろう。しかし、主人公は自分から自分を追い詰めてしまっている。こういう不器用な人を描くのが、今村さんは上手いなと思う。
そして今回、収録されている作品の中では翻訳の2作もオススメだ。
セサル・アイラ/柳原孝敦訳「ピカソ」は、その書き出しでやられた。
ある日、魔法の牛乳瓶から現れた精に、ピカソを手に入れるのとピカソになるのとどちらがいいかと訊ねられ、そこからすべてが始まった。
「ピカソを手に入れるのとピカソになれるの、どっちがいい?」ってなかなかな選択肢だ。主人公は牛乳瓶の精の問に対して延々と考える。本作にはそれが延々と描かれている。ピカソになれたとしたらどうする? ピカソを手に入れたらどうする? 主人公はピカソ本人のエピソードだったり、ピカソの絵にまつわるエピソードだったりを思い返しながら悩むのだ。そして、最終的な答えにたどり着くのだけれど……。
翻訳作品はもう一編掲載されていて、台湾の作家黄崇凱(こう・すうがい)/天野健太郎訳「カピバラを盗む」である。
この作品は、台湾の“頭がいかれた総統”が中国に宣戦布告してしまい台湾全土が混乱状態にあるという架空の状況を舞台として、主人公たちがその混乱の中ワンパク・サファリパークからカピバラを盗み出すという物語だ。タイトルの「カピバラを盗む」から、ジョン・アーヴィング「熊を放つ」を想像した。主人公たちは、サファリパークから盗み出したカピバラを自宅で飼い始め、散歩にも連れ出したりする。カピバラに《ガビー》と名前をつけ、案外人懐こいガビーは街で人気者になったりしている。その裏で、台湾と中国の緊張関係は続いているのだが、主人公たちをはじめ台湾の人たちにもそれほどの緊張感が感じられない。でも、ここに描かれている彼らの姿こそが、現在の台湾の真実の姿を反映しているのかもしれない。
その他、星野智幸「乗り換え」やその他の掲載作品のどれを読んでも面白い。ふだんは読まないような短歌ですら興味深く、魅力的である。じっくりと読み込むのもいいし、枕元において寝る前に気になった作品やお気に入りの作品を拾い読みするのもいい。次の第4号が出るまでの間、長く楽しみたい1冊である。
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