書肆侃侃房15周年記念プレゼント企画に当選していただいた中の1冊。「歌集」というものを読むのはこれがほとんど初めての経験になる。
《短歌》というと、万葉集とか百人一首とかの学校の古典の授業で習ったものを思い浮かべる。『五・七・五・七・七』の31文字で表現される《和歌》というやつ。その印象のためか、どうにも《短歌》というものには苦手意識があって、現代歌人も含めて「歌集」という作品集を手にとることはなかった。現代歌人としてもっとも有名な穂村弘さんでさえ、「エッセイ集」は楽しく読んできたが「歌集」は読んだことがないし、かつて一世を風靡した俵万智さんの「サラダ記念日」も読んだことがない。
この歌集「ビットとデジベル」も最初は読むつもりはなかった。そもそも、書肆侃侃房15周年記念のプレゼントで最初に希望した5冊の中には「歌集」は含まれていなかったのだ。当選が決まり書肆侃侃房のスタッフさんから「希望した中に在庫切れの本があるので別の本を選び直して欲しい」と依頼されて、この歌集を選んだのだ。
なぜこの歌集を選んだのか。それには2つ理由がある。ひとつは、書肆侃侃房からはたくさんの歌集が出版されていて気になる作品があったこと。もうひとつは、本歌集の作者がフラワーしげるさんだったこと。フラワーしげるとは、作家であり翻訳家である西崎憲さんの歌人としてのペンネームである。
歌集「ビットとデジベル」を読んでみて感じたのは、「短歌というのはけっこう自由なものなのだな」ということだった。
巻末あとがきで作者が、
本書に収められた語列が何に近いかというとたぶん短歌だろうと思われるし、これは歌集という呼称で呼ばれることになるはずである。
と記しているように、本書に収録されている《短歌》は、私がかねてより抱いていた短歌のイメージとは大きくかけ離れたものだった。それは、最初の一首から始まっていた。
おれか おれはおまえの存在しない弟だ ルルとパブロンでできた獣だ
《短歌》を定型的に考えてきた私にとっては、この一首だけで十分だった。定型にとらわれず自由に言葉を選び形成する。そういう自由さが《短歌》にもあっていいのだ、という衝撃をこの一首から受けた。定型にとらわれない自由な短歌も『自由律俳句』と同じように『自由律短歌』と呼ぶらしいが、本書に掲載されている《短歌》は、まさしく『自由律短歌』である。
旋律が自由というだけではない。他にも、
子供を殴った夜にしずかにやってくる金色の夢のななふし
目的地があるから迷うのだと猫の背に乗った人が笑いながら
父は立てなくなったと小さな人の列が叫びながらふとんの横を通る
母親のために世界を滅ぼしてやることもてきず死んでゆくのを見ている
といった短歌では、一部分の文字や文字列を反転させたり斜めに印字したりしている。音として耳から入ってくる短歌とは別に視覚的な印象を強く読み手に与える短歌にもなっていて、そのあたりは何やら深い意味がこめられているのでは、と想像が膨らむ。
表現的なテクニックに限らず、複数の短歌が連続していることでストーリー性があらわれてくるもの(いわゆる《連歌》になるのだろうか?)もあるし、ひとつの《短歌》から複雑な心象風景や大きなイメージを感じさせるものもある。
なるほど、《短歌》というのは読み手がその歌から自由にイメージを感じとることで、表現される世界の大きさを自由に変えられる文学なのだな、と本書を読んでみて強く感じた。《短歌》に対するイメージが大きく変わった。そうなってくると、現代歌人たちの「歌集」にも興味がわいてくるというものだ。いずれ折を見ては「歌集」を手にとってみようと考えている。
サラダ記念日 (河出文庫―BUNGEI Collection)
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