タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「秘密」多田尋子/講談社-結婚できる機会があるのに結婚しなかった女性。結婚とは何か。結婚すれば幸せなのか。結婚に対する価値観を問われているような短編集

 

 

書肆汽水域刊「体温」講談社刊「体温」に続いて、講談社刊の「秘密」を読んだ。書肆汽水域「体温」に収録されている「秘密」を含む4篇が収録されている。

毀れた絵具箱
遠い華燭
雑踏
秘密

東京の美術学校に通う朋子は、仕方なく出席した美術関係者の集まりで画材屋に勤める藤倉と出会う。藤倉は、一方的に朋子に思いを寄せ、彼女が授業で使う画材を安く売ってくれたり、帰省するときにはアパートから駅まで送り迎えしてくれたりと、過剰と思えるほどに接してくるようになる。朋子は、藤倉の存在を鬱陶しく不気味に感じているが、きっぱりと拒絶することもなく彼の好意に甘えてしまっていた。(「毀れた絵具箱」)

雑な言い方をしてしまうと、「毀れた絵具箱」はストーカー小説である。藤倉は、画材店の客である朋子に一方的に惚れ込み、宴会の帰りにわざわざ彼女を家まで送り、頼んでもいないのに画材や荷物の運搬を手助けする。朋子は遠回しに藤倉を拒絶するのだが、彼は「ぼくはきらわれていることをようく知ってます」と意に介さない。それどころか、藤倉は朋子に「結婚してほしい」と告げるのだ。朋子が先輩の酒井に頼んで恋人のフリをして断っても「ぼくは絶対にあきらめませんよ」と言う。

藤倉のような粘着質の男は、同じ男性である私からみても気持ち悪い。朋子も彼に付きまとわれるのは迷惑なのだが、何かと世話をしてもらえているので強く拒絶することができなくて、そこにつけこまれている。藤倉の巧妙さは、ある一線を踏み越えてまで執着しないところだ。物語が進んでいくと、藤倉は一時的に朋子の前から姿を消す。それにより朋子は、嫌いだったはずの藤倉の存在が逆に気になってしまう。そうして、常に藤倉は自分の存在を朋子に意識させ続けていく。実に厭な感じの作品だった。

「遠い華燭」は、これまで読んできた多田尋子作品の中ではじめての男性主人公の作品だった。大学生の耕司がようやく就職を決めたところから物語ははじまる。彼には、淳子という恋人がいるのだが、この淳子がなかなかに曲者で、耕司を振り回す。淳子は同じ大学生で、耕司よりも優秀だし家庭環境にも恵まれている。性格は真面目だが、それゆえに何を考えているのかよくわからないところがあって、耕司を困惑させる。

淳子は自立しているようでいて、実は依存性が高く関わった人間に重いと感じさせる女性だ。耕司の就職活動や、働き始めてからの仕事ぶりにも「帰りが遅い」「なぜ残業するのか」などとよく口を出す。耕司は次第に彼女への気持ちが冷めていく。そんなときに同じ会社の先輩社員友子と出会う。耕司からみた朋子は、真に自立した女性で淳子とは正反対の女性だった。

恋人の行動に悩まされ、このまま関係を続けるべきか悩む耕司は友子に相談相手になってもらっているうちに恋愛感情を抱くようになる。淳子との関係を続けるか、彼女と別れて友子を選ぶか。最終的に彼が下した決断は正しかったのか。優柔不断な男の末路を考えさせられる。と同時に、この物語の本当の主役は友子なのだということもわかってくる。

デパートの店員として働く網子は、お店が終わった帰り道で野島という若い男に声をかけられる。彼は、その直前にデパートの閉店間際に飛び込んできてネクタイピンを買っていった客だった。その出会いをきっかけに網子は野島と付き合うようになる。ふたりは付き合いを重ね、結婚を意識する年齢になっていく。野島は結婚を願望していたが、網子の方には結婚に踏み出せない事情があった。(「雑踏」)

本書のあとがきで著者は、「この作品集には、機会があったのに結婚する生きかたの方をえらべなかった女たちがたまたまそろってしまった」と記している。「雑踏」の網子は収録されている4篇に登場する『結婚をえらべなかった女性』の典型的なケースといえるかもしれない。網子が野島との結婚に踏み出せない理由はいくつかある。デパートに入社して間もない頃に出会った吉野という先輩社員の生き方への憧れ。父親もわからないまま網子を身ごもって出産し、そしてまた違う男の子どもを身ごもった末に子宮外妊娠で命を落とした母海子の存在。

表題作となっている「秘密」の主人公素子も、自分の出生の秘密とその秘密を共有する兄との関係から自分は結婚しないと決めて生きることを選ぶが、そこは「雑踏」の網子との共通項かと思う。網子や素子のように、自分の置かれた環境や過去の秘密を理由にして結婚を諦める女性は、おそらく今の世の中にはほとんど存在しないだろう。そもそも、「雑踏」「秘密」が書かれた1990年から1992年ころでも、そんな古臭い考えで結婚を諦める女性はほとんどいなかったと思う。

「毀れた絵具箱」の朋子や「遠い華燭」の友子のように、自分や相手の気持ちや態度から結婚に至らなかった女性たちがいる一方で、網子や素子のように自らの育ってきた環境によって結婚そのものを考えられない女性がいる。本書に登場するのは、結婚に対するさまざまな価値観だ。物語は女性の結婚観として描かれているが、同じことは男性にもいえることだと思う。結婚とはなにか。何が本当の幸せなのか。そんなことを考えたくなる短編集だった。

 

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「体温」多田尋子/講談社-『男性の存在感』が描かれる4つの短篇を収録する作品集

 

 

書肆汽水域から刊行された「多田尋子作品集 体温」で、多田尋子という作家の存在を知った。30年以上前に書かれた作品であり落ち着いた大人の恋愛を描く短篇小説は、古さを感じさせるが、それでいてどこかに新しさも感じさせて、「こんな作家がいたのか」という驚きがあった。

多田尋子の過去作品を読んでみたいと思った。残念ながら新刊書店で入手するのは困難で古書価も高いので購入するのは難しいが、幸いにして地元の図書館に蔵書があったので予約した。まず、書肆汽水域版でも表題作となった「体温」を含む短編集「体温」(講談社刊)を読む。

表題作を含む4篇が収録されている。

やさしい男
焚火
オンドルのある家
体温

「やさしい男」は、25歳以上年の離れた男性と結婚した組子が主人公。彼女は、夫の俊男が30年以上前から暮らしてきた公団住宅で、夫と息子の洋一と暮らしている。俊男には精神を病んだ常子という前妻がいて、彼は彼女をずっと支え続けてきた。常子は、俊男にだけは暴力的で攻撃的な態度をみせてくるような状態で、彼は常に彼女に振り回されてときに怪我をしたりもしてきたが、彼女を見捨てることはしなかった。常子と離婚し組子と再婚した今になっても、入院している常子の見舞いに行っている。それは、組子にとっては不愉快でもあるが、同時に好きなところでもあった。

『やさしい男』とは俊男のことだ。彼の存在をどう読むかによって、この作品の印象はだいぶ異なってくると思う。俊男の常子に対する気持ち、組子に対する気持ちは、やさしいという言葉だけでは片付けられない。彼のやさしさを否定的にみれば、優柔不断で八方美人である。計算高いととらえる人もあるかもしれない。ここまで善人にはなりきれないとも思う。一方で、自分との生活の中で精神を病んでしまった常子を献身的に支え続ける俊男を責任感の強いやさしい男としてとらえる人もいるだろう。読者にさまざまな印象を与える作品だと感じる。

「焚火」の主人公葦子は、幼稚園につとめる独身の女性である。物語は、彼女がまだ若いころに出会った園児の父西野との関係を描く。といっても不倫というわけではない。お互いに相手のことは思っているけれど、恋愛に発展するわけではなく、良き相談相手の関係だ。ときどきふたりであって酒を酌み交わし食事をする。それ以上の関係にはならない。そこがいい。妻子のある男と独り身の女が出会い恋に落ちる。その先にはお決まりのようにセックスがあり、ドロドロした恋愛模様が展開する。そんなお決まりのような『大人の恋愛物語』ではなく、地に足のついたリアルな大人の関係が、葦子と西野の関係として描かれているのだ。落ち着いた気持ちで読める。

「やさしい男」の俊男、「焚火」の西野、「体温」の小山は、いずれも組子や葦子、率子にとって尊敬する存在、頼れる存在の男性である。だが、「オンドルのある家」の梶は真逆の存在だ。物語は、寝たきりの伯母と暮らす季子が30年ぶりの友人ふじ子を駅で待っている場面からはじまり、季子の過去が描かれる。季子は、明確に自分の意志を持って生きるタイプの女性ではない。周囲に流されるように生きてきた。彼女を翻弄するのが梶であり、典型的なダメンズである。

「やさしい男」「焚火」「オンドルのある家」と並べてみると「体温」については、書肆汽水域版の作品集で読んだときとは違う印象を受けた。それは、本書全体を通じて描かれるテーマ性によるものだろうと思う。

私は、本書の4つの短篇の共通性は『男性の存在感』だと感じている。主人公はいずれも女性で、女性の目線で物語は記されているが、そこに描かれるのは主人公たちと対峙する男性たちの姿だ。精神を病んだ前妻への責任を果たそうとする俊男。葦子の良き理解者として大人の対応でこたえてくれる西野。どうしようもないダメンズの梶。亡き友の妻だった率子の相談相手として彼女に優しい愛情を注ぐ小山。4人はそれぞれに違うキャラクターであり、読者はさまざまな感情をもって彼らのことを読み解こうとする。共感するところもあるし、嫌悪するところもある。男の良いところ、悪いところ、強いところ、弱いところがみえる。

作品としてはやはり古いし、特にケレン味があるわけでもない。オーソドックスなスタイルの小説だと思う。だが、その飾らないところが逆にいま読むと新鮮なのだと、改めて感じた。

 

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「体温」多田尋子/書肆汽水域-誰かに依存しているようでいて、しっかりと自分自身で自立している女性たち。30年以上前に書かれた作品なのに、むしろ新しさを感じる短編集。

 

 

1932年長崎県生まれ。日本女子大学国文科を卒業。1985年に短編小説「凪」を「海燕」に発表し小説家デビューする。1986年に「白い部屋」で第96回芥川賞候補となり、その後「単身者たち」「裔の子」「白蛇の家」「体温」「毀れた絵具箱」で計6度候補なる。著書に『体温』『秘密』『仮の約束』(いずれも講談社刊)などがある。

巻末に記された略歴にあるように、著者の多田尋子は54歳で小説家デビューするや芥川賞候補に史上最多となる6回も候補にあがった作家である。

本書「体温」は、多田尋子の数ある作品の中から、芥川賞候補になった「体温」「単身者たち」に「秘密」を加えた3篇が収録されている。大人の恋愛小説集だ。

「体温」の主人公率子は、8年前に夫に先立たれ、1年前には父親を亡くして娘とふたりで暮らすシングルマザーだ。夫の同僚だった小山からアパート建築の件で世話になっているうちに、いつしか互いに恋愛感情を持つようになる。だが、その関係は一途に燃え上がるような恋愛ではなく、互いが互いの立場や気持ちを汲んで、冷静に対応する関係性だ。そんな関係が、ときに読者を不安にさせ、一方で安心させる。激しく盛り上がる恋愛ではないが、こういう恋愛もあるだと感じさせる。

「秘密」には、ある複雑な家庭事情を共有する兄妹が登場する。主人公となるのは妹の素子だ。ふたりが共有する事情によって、素子は自分は一生結婚はしないと決めている。製薬会社が発行する育児雑誌の編集員として働く素子は、同じ編集室の森下から告白を受けるが、それを断ってひとりでいることを選択する。そこには、彼女なりに考えた強い信念があり、その信念の土台となっているのが彼女自身の複雑な境遇なのである。

「単身者たち」の主人公計子は、2ヶ月ほど前に同居していた母親を亡くした40過ぎの独身女。ある日、偶然入った古道具屋で店番を募集していることを知り雇ってもらうことになる。古道具屋の主人原口は、昼間はほとんど絵を描いてすごしているような人物で、店で働くうちに計子は少しずつ彼を意識するようになっていく。そして、少しずつ原口の過去を知っていく。

3つの作品に登場する主人公たちは、それぞれがさまざまに事情を抱えてひとりで生きることを決めた女性たちだ。彼女たちは、近くにいる男性(亡夫のかつての同僚、同じ秘密を共有する兄、古道具屋の訳ありな主人)に頼って生きているように見えるが、実際は自分自身の足でしっかりと立ち続けている。それゆえに、そこに描かれる物語は、恋愛小説でありながら男女の艶めかしさはむしろ希薄で、大人同士の落ち着きを強く感じさせる。

率子や素子や計子に共感できる読者は、もしかしたら少ないかもしれない。だが、共感はできなくても理解はできるのではないか。彼女たちが抱えるそれぞれの事情は、私たち読書の中にも同じように抱える人があるだろうし、自分自身が同じでなくても、そういう事情を持った人がいるということを想像し理解することはできるだろう。

彼女たちの事情を理解できるからこそ、3つの物語は読んでいて心に刺さってくるのだと思う。「自分だったら?」と考えながら作品の世界に入り込むから、先が気になるし、彼女たちの考え方や行動に、あるときは共感できたり、あるときは反感を覚えたりする。それは、彼女たちが特別な人間なのではなく、どこにでもいる普通の人間だからなのだと思う。彼女たちの存在が身近に感じられるからなのだと思う。

本書に収録された作品はどれも、そんなふうに、いつの間にか主人公たちや他の登場人物たちと意識が同調してしまうような小説だった。多田尋子という作家の存在は、これまで不勉強でまったく知らずにいた。今回この作品集によって、約30年ぶりに多田尋子の作品が私たちの知るところとなり、作家の存在をリアルタイムで知ることのなかった新しい読者を発掘することは幸せなことだと思う。

昨年(2018年)、横田創「落としもの」に出会ったときに「こんなすごい作家がいたのか!」と驚いた。またこうして、今度はまったく違う作風の多田尋子という作家がいたことを教えられた。どちらも、書肆汽水域の功績だと思う。これからも書肆汽水域に注目していきたいと思っている。

 

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「隠された悲鳴」ユニティ・ダウ/三辺律子訳/英治出版-『儀礼殺人』という特異な因習を題材にしたサスペンス小説。伝統の影にある人権の問題。

 

 

少女に恨みがあるわけではなかった。ただほしかったのだ、必要だったのだ。

物語は、この不穏な書き出しからはじまる。そして、3人の男たちによってひとりの少女が犠牲になる。それは、男たちが自らの願いを叶えるための儀礼殺人だ。彼らは、自分たちの目的のために“仕事”をする。

「隠された悲鳴」は、アフリカ大陸の南、ジンバブエナミビア南アフリカザンビアに東西南北を囲まれた内陸の国ボツワナが舞台のサスペンス小説だ。著者のユニティ・ダウは、ボツワナ初の女性最高裁判事であり、弁護士、人権活動家としても精力的に活動してきた人物。現在は、現役の外務国際協力大臣であり、2018年には国際会議に出席するため来日もしている。

最高裁判事、外務国際協力大臣といった要職を歴任してきた著者が、ボツワナに根深く残る儀礼殺人という野蛮な儀式について、小説(フィクション)という形で書いたのが「隠された悲鳴」だ。

儀礼殺人の犠牲者として、ひとりの少女ネオが3人の男たち(ディサンカ、ボカエ、セバーキ)によって選ばれ殺害される。3人はそれぞれに地位のある者たちだ。警察は、この事件が儀礼殺人であることを知り、「少女はライオンに食い殺された」として捜査を打ち切る。捜査の中では、少女の血に濡れた衣服が発見されていたが、その証拠品も闇の中へと葬られた。

事態が再び動き出すのは5年後。国家奉仕プログラムの参加者(TSP)としてハファーラ村の診療所に派遣されたアマントルが、倉庫で『ネオ・カカン』とラベリングされた箱をみつけたときだった。その箱に入っていたものこそ、5年前にこつ然と消えてしまった事件の証拠品だったのだ。

ネオの衣服が発見されたことで事態は一気に混乱する。村人たちは、5年前の事件の真相を求めて警察に訴えるが、警察としては儀礼殺人という真実を公にしたくない。儀礼殺人が弱者の人権を蔑ろにした野蛮な行為であることはわかっている。しかし、儀礼殺人は、権力者や地位の高い者が、自らの願いを叶えるために弱者である少女を犠牲にする行為だ。だから、この事件が儀礼殺人だと認めることは権力の側としてできない。

物語は、事件をどうにか闇に葬りたい権力側と真実を明らかにしたい村人たちとの対立を軸にして進行する。富裕層と貧困層の対立と言い換えてもいい。

その中核を担うのがアマントルだ。彼女は貧困層である村人の代弁者として、権力者との交渉役を担う。アマントルや、彼女を支える弁護士のブイツメロ、イギリス人学生のナンシー、検察官のナレディとともに真実を求めて動き、政府の代表者たちをコートゥラという集会の場につかせる。

権力者や富裕層のような強者が、貧しい弱者である村人たちを一方的に支配し犠牲を強いる。読者である私たちは、儀礼殺人という特異な伝統に気を取られがちだが、この物語が読者に訴えるのはそういう特殊性の土台にある伝統を重んじる社会構造が、私たちにとってもけっして他人事ではないということだ。

ユニティ・ダウは、「文化や伝統を守るということが弱い者を傷つけることになる」ということに疑問を呈するためにこの本を書いたという。儀礼殺人の犠牲となる少女は弱者であり、彼女が犠牲になったときに警察権力の言い分を受け入れざるを得なかったハファーラ村の人たちも貧しい弱者だった。儀礼殺人は人権問題であり、女性差別の問題でもある。最高裁判事として、国務大臣として、長くボツワナの人権問題の解決に取り組んできた著者が「隠された悲鳴」という小説に込めた想いを、私たちは自分たちの問題として考える必要があるのではないだろうか。

 

「鳥肉以上、鳥学未満」川上和人/岩波書店-商店街で手に入る鳥肉の様々な部位を観察し、ときに味わいながら鳥類の進化や生態に迫る!?

 

 

我が家では、かなりの頻度で鶏肉をつかった料理が並ぶ。唐揚げ、焼き鳥、照り焼き、蒸し鶏、煮物、鍋料理。使う部位も多様で、もも肉、胸肉、手羽元、手羽先、砂肝、レバーなどなど。鳥料理は安価で手軽に作れるので重宝している。

川上和人「鳥肉以上、鳥学未満」は、鳥肉の様々なパーツ(部位)を題材に、その特徴などをあげながら鳥の生態などを解説していく。著者は、森林総合研究所の主任研究員であり、これまでに「鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ」(新潮社)などの著書がある。

ふだん、何も気にすることなくただ「美味い!」と食べている鳥肉だが、胸肉には胸肉の、もも肉にはもも肉の、砂肝には砂肝の、ぼんじりにはぼんじりの役割がちゃんとある。食べて美味しいだけではなく、鳥が鳥として生きるための意味がちゃんとある。

例えば胸肉。鳥の体で一番の大きさを占めていて、その役割は翼の打ち下ろしだ。鳥は、翼を力強く打ち下ろすことで上昇する力(揚力)と前に進む力(推進力)を得て大空を自由に飛び回ることができる。鳥にとって胸肉はもっとも重要な部位である。だが、鳥肉の供給者であるニワトリは空を飛ばない。飛ばないニワトリが大きな胸肉を有するのは、食肉として提供するための品種改良の結果であり、そのおかげで私たちは美味しい胸肉を食べることができるのだ。

こんな調子で他の部位についても、思わず「へぇ」といってしまいたくなる雑学が記されている。

もも肉は複数の筋肉が集まって構成されていること。

歯のない鳥類にとっての咀嚼器官が砂肝であること。

胸肉が空を飛ぶための筋肉であることを確認するにはモスチキンがオススメであること。

なんとなく知っていたけど深くは知らずにいたことや、はじめて知る筋肉の役割など、鳥肉ひとつとっても、1冊の本が書けてしまうくらいに話題が豊富にあるのだと感心した。

余談だが、私は鳥肉の部位ではもも肉と砂肝が好物である。胸肉は、調理すると少しモサモサするので苦手だったのだが、最近ネットで知った調理方法を試したところ驚くほど柔らかく仕上がったので、これからも時々作ってみようと思っている。

ねぇ、今日ケンタッキーにしない!?

「ゴビ 僕と125キロを走った、奇跡の犬」ディオン・レナード/夏目大訳/ハーパーコリンズ・ジャパン-砂漠を走る過酷なウルトラマラソン。そのレースの最中に出会った一匹の犬のためにディオンは奔走する

 

 

灼熱の砂漠を数日をかけて250キロも走るなんて人間技ではない。運動嫌いで歩くことすら億劫な私には考えられないことだ。しかし、この本の著者ディオン・レナードは、そういうマラソン大会をいくつも走ってきた。まさに鉄人である。

ディオンは、そのとき中国の新疆ウイグル自治区にいた。これから7日間をかけて250キロを走破するウルトラマラソン大会に出場するのだ。本書の第1賞は、彼が空港に降り立ち、ウルトラマラソンのスタート地点となる場所へ向けて慣れない中国の地で悪戦苦闘する場面から始まる。

彼が出場するのは、ゴビ砂漠を含む250キロのコースを7日間かけて走るウルトラマラソンだ。大会期間中の食料など必要なものはすべて持参して走る。砂漠での気温は50度を超えることもあるという。想像しただけで息が切れる。なにより、そんな過酷なマラソン大会に自分からエントリーして(おそらく参加費用もかかるのだろう)出場することが信じられない。

大会がスタートして2日目の朝、ディオンはその日のレースに備えて気持ちを集中させていた。

「犬だ!」
「かわいい!」

周囲から聞こえてくる声に足元を見るとそこに一匹の犬がいた。その犬は、前日の夜にも見かけた犬だった。体高は三十センチくらい。砂のような茶色の体に大きな黒い目。口のまわりだけ黒く縁どられたようになっていた。

犬は、ディオンの足元にいて、尻尾を振りながら彼を見つめていた。そして、2日目のレースがスタートすると、なんと犬も彼の後を追って走り出したのだ。ディオンは困惑するが、犬はずっと彼のあとをついてくる。結局、そのまま2日目のレースを犬とともにゴールすることになった。

こうして、ディオンはその犬とウルトラマラソンを走り続けることになる。コースの途中にある川を渡るときには抱き上げ、灼熱の砂漠を走るときには運営スタッフに犬を託し、車でゴール地点まで連れて行ってもらった。ディオンはいつの間にかその犬が好きになっていた。ゴビと名前をつけられ、レースのパートナーとなった犬は、最終的に全行程の半分にも及ぶ125キロを一緒に走り続けていた。

ゴビがディオンを好きになったように、ディオンもゴビを好きになった。レースが終わったとき、彼はゴビをスコットランドに連れて帰ろうと考える。

中国から犬を国外に連れ出すこと、海外からイギリス国内に犬を連れ入ることは簡単なことではない。検疫の必要性など、費用も時間もかかる。ディオンは、ひとまずレースの運営スタッフであるヌラリにゴビを預け、ゴビをイギリスに招き入れる方法を探る。費用についてはクラウドファンディングを活用した。多くの人々の支援と協力を得てゴビを入国させる準備を整えるが、そこで事件が起きる。ゴビがヌラリのところから逃げ出して行方不明になってしまったのだ。ディオンは、ゴビを探すために中国に向かう。

たまたまレース中に出会った犬のために、ディオンをはじめとした多くの人々が奔走する。ゴビは、血統書付きの高価な犬というわけではない。どこで生まれたかもわからない雑種の犬だ。なのに、ディオンは懸命にゴビのために動く。その姿は、多くの読者からは「どうしてそこまで?」と思える行為かもしれない、だが、犬好きからみると彼の行為は共感できる行為だ。もし、自分が同じ愛する犬に対して同じような立場になったら、きっとディオンと同じ行動をしたかもしれない。

ディオンだけではない。彼を支え、一緒にゴビのために奔走する人々にも感動する。妻のルシア、レース仲間のリチャード、ゴビの捜索やディオンの北京滞在、イギリスへの出国などを全面的にサポートしたキキ、ゴビ捜索チームに参加したボランティアたち、そしてクラウドファンディングの支援者たち。彼らの中の誰が欠けても、ゴビはディオンと一緒にイギリスに来ることはできなかっただろう。

ディオン自身の生い立ちや両親(とくに母親)との関係であったり、ゴビがヌラリのところから逃げ出してしまった経緯など、読んでいて物足りなさを感じるところも多々ある。ディオン自身が意図的に書き込もうとしなかったのかもしれない。ゴビの脱走についても、ヌラリやその家族に不信や疑念を感じているのだが、そのことを深く追求することはしていない。そこは、ディオンの優しさなのかもしれない。

灼熱の砂漠を走る過酷なウルトラマラソン。その過酷な状況で出会ったディオンとゴビ。極限状態だったからこそ生まれたひとりと一匹の信頼関係が世界を動かしたという事実。表紙に写る健気なゴビの姿が、たくさんの勇気と多くの感動を呼んだのだと思うと、生き物の力ってすごいなとあらためて感じる。

「僕のワンダフル・ジャーニー」W・ブルース・キャメロン/青木多香子訳/新潮文庫-魂の目的を果たしたはずのトビーは、クラリティを愛し守るためにまた生まれ変わる。

 

 

僕は魂の目的を果たしたのだ。

前作「野良犬トビーの愛すべき転生」のラストで、トビーが何回も転生を繰り返して愛し続けた少年イーサンと、最後の犬バディとして永遠の別れを迎えたとき、彼はそう感じた。これで、自分の使命は終わったのだと思った。

W・ブルース・キャメロン/青木多香子訳「僕のワンダフル・ジャーニー」は、「野良犬トビーの愛すべき転生」の続編となる物語だ。イーサンがこの世を去り、老犬として余生を過ごすバディ。イーサンを愛するために生まれてきた彼にとって残りの人生はイーサンとの日々を思い出しながらゆっくりと過ごすだけだと思っていた。

イーサンと暮らした家で、ハンナと暮らすバディ。その家には、イーサンとハンナの子どもたち孫たちが集まってきた。そこには、まだ幼い女の子クラリティもいた。イーサンとハンナの孫娘だ。バディにとって彼女は小さな存在だった。やがて、バディは最後の時を迎える。犬がこの世でするはずのことはやり尽くしたと思っていた。ただ、小さなクラリティのことは少し気がかりだった。

もう転生することはないと思っていたのに、気づけばまた子犬として生まれ変わっていた。トビーは困惑する。イーサンを愛するために生まれ変わってきたはずで、そのイーサンはもういない。なら、どうして自分は転生したのだろう。

それは、クラリティのためだった。ある日、彼の前に彼女は現れる。ちょうどイーサンが車に乗り始めたのと同じくらいの年頃に成長したクラリティだった。彼はすぐにわかった。

今や私にははっきりとわかった。私の目的は想像していた通りだった。つまり、クラリティの世話を続けることだった。だから、私はまた子犬に戻ったのだ。まだやることがあったからだ。

こうして彼は、モリーとしてクラリティと暮らすことになった。

クラリティは孤独な少女だ。母親との折り合いも悪い。それでも、いやだからこそ、モリーはクラリティを愛し、彼女を守らなければならなかった。クラリティが悲しんでいるときはなぐさめ、怒っているときは安らぎをあたえる。

モリーがいなければ、クラリティはもっとダメな人間になってしまったかもしれない。彼女を救ったのは、モリーであり、彼が転生したマックスであり、トビーだった。彼がかつてイーサンを愛して見守り続けたように、クラリティを愛して見守り続けたことで、彼女はギリギリのところで踏みとどまり、彼女の人生を生きることができたのだ。

クラリティを見送り、トビーの役目は終わる。セラピードッグとして余生を送りながら、トビーはイーサンとの日々を、クラリティとの日々を思い出す。そして、彼も最後の時を迎える。前作から続いた長い物語をすべて読み終えたとき、心に浮かんだのは「ありがとう。おつかれさま」という言葉だった。

 

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野良犬トビーの愛すべき転生 (新潮文庫)

野良犬トビーの愛すべき転生 (新潮文庫)