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「翻訳文学紀行Ⅴ」ことばのたび社-さまざまな言語で書かれた文学作品の翻訳を通じて、まだ見ぬ世界への扉を開く翻訳同人誌の第5号

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大阪を中心に活動する翻訳同人「ことばのたび社」が毎年文学フリマ大阪に合わせて刊行しているのが「翻訳文学紀行」です。今回レビューするのは、最新刊の「翻訳文学紀行Ⅴ」となります。

「翻訳文学紀行」は、毎号バラエティ豊かな言語の海外文学を翻訳して紹介してきました。創刊号では、ポーランド語、朝鮮語、ドイツ語、チェコ語、ペルシア語。第2号では、ドイツ語、ルーマニア語朝鮮語、日本語(古文)、スペイン語。第3号では、ドイツ語、トルコ語、イタリア語、スウェーデン語、中国語。第4号では、台湾華語、チェコ語、フランス語、ハワイ語ジョージア語。そして、最新の第5号では、スワヒリ語、中国語、ドイツ語、ポーランド語、チェコ語となっています。ドイツ語やフランス語など商業出版でもおなじみの言語もありますが、ジョージア語やスワヒリ語といった言語の作品も紹介しているのが特長的です。

「翻訳文学紀行」の特長的なところはもうひとつあります。それは、翻訳掲載する作品について、翻訳者が自ら版権の獲得などの交渉を行うということです。翻訳者が、自分が訳したい作品、読者に届けたい作品を自ら選び、その翻訳するための権利を自分で相手方と交渉しているのです。これは、けっこう大変なことではないかと思います。また、版権が存在するため重版がかかりにくいのも特長かもしれません。

翻訳同人誌を文学フリマなどに合わせて作って販売している同人サークルはけっこうあります。その多くはすでに著者が亡くなって時間が経過しており、権利関係がフリーになっている作品をみつけて翻訳しています。版権獲得まで自ら手掛けている同人は珍しいのではないでしょうか。

第5号の収録作品は次の5編です。

「バレンズィ」E・ケジラハビ著/小野田風子訳(スワヒリ語文学/タンザニア
文天祥詩選」文天祥著/村田真由訳(中国語文学/中国)
「ロンボ[抄訳]」エスター・キンスキー著/中村峻太郎訳(ドイツ語文学/イタリア)
「私はバリケードを築いていた[抄訳]」アンナ・シヴィルシュチンスカ著/山本悠太朗訳(ポーランド語文学/ポーランド
「ベター・ライフ」ミハエラ・クレヴィソヴァー著/家田恭訳(チェコ語文学/チェコ

「バレンズィ」は、村の子どもたちから“ズィカンボナじいさん”(ズィカンボナ:なぜ埋葬しなければならないのか)と呼ばれる男とその妻バレンズィ(村の子どもたちからは“ニョコニョコ”(ニョコニョコ:ちくしょうめ)と呼ばれている)の物語です。夫婦には戦争で死んだ息子がいて、そのことが夫婦に暗い影を落としているという背景があります。この作品の特長は、小説内での時間の流れにあって、過去と現在が短い作品の中で行きつ戻りつしながら描かれます。夫婦の息子が戦争に行く日。彼の死を知った日。さらに時が流れ老いたふたりが寄り添い暮らす日。短い中に夫婦の人生が凝縮され、胸に迫ります。著者のケジラハビはヴィクトリア湖に浮かぶケレウェ島に生まれ、タンザニア最高峰のダルエスサラーム大学で学び、そこで教鞭をとりながら作品を発表しました。アフリカを舞台にした作品はこれまでにも読んだことがありますが、スワヒリ語で書かれた文学作品というのは初めてで興味深く思いました。

文天祥詩選」は、南宋王朝末期の政治家であり詩人であった文天祥が遺した、「六歌」から4首、「己卯の年の十月一日、燕京に連れてこられて五日が経った。牢獄に囚われ、深く心に感じるところがあって、この十七首を歌う」から10首、「元夕」から1首、「鏡にうつして、髪と髭が抜け落ちた自分の姿を見た、この悲しさに涙を流す」、「自らなげく」から2首、「思うところ」の計19首を掲載しています。文天祥という人物についてはまったく何も知らなかったのですが、訳者あとがきによると日本でも戦前は小学生の国語で教えられるほどの人物だったようです。文天祥南宋王朝末期、敵国モンゴルとの戦争に敗れて囚われの身となるも、モンゴルへの帰順することを拒んで処刑されました。南宋王朝に忠義を貫いたことから戦前の日本で忠君愛国の人として教材になっていたとのことです。「文天祥詩選」では、忠君愛国の人としての文天祥ではなく、ひとりの人間として、戦争で離れ離れになった家族への愛情や囚われの身となった自らの孤独など、心の揺れ動きが記された詩篇が紹介されています。そこには、文天祥の人間らしさが刻まれているのではないでしょうか。

「ロンボ」は、1976年にイタリア北部で発生したフリウリ地震と、その地震にまつわる人々を描く長編小説の冒頭部分を訳出した抄訳作品です。“ロンボ”とは、地震の発生のほんの少し前に生じる地中の物音などの自然現象のことです。「ロンボ」は、フリウリ地震の予兆から始まり、地震の発生、さまざまな人々の関わりが描かれます。小説というよりは、ドキュメンタリーを読んでいるような印象を受けました。著者のエスター・キンスキーはドイツの作家で、それゆえ「ロンボ」はイタリアを舞台にしてドイツ語で書かれた作品ということになります。エスター・キンスキーは、ドイツ語圏を代表するネイチャーライティングの書き手として注目を集めている作家だと、訳者はあとがきで紹介しています。自然と人間の関わりを描かれた本作は、その代表的な作品ということでしょう。「翻訳文学紀行Ⅴ」では抄訳として一部分のみの紹介にとどまっていますが、全訳される機会があれば読んでみたいです。

「私はバリケードを築いていた」は、そのタイトルからも想像されるように戦争を描いています。描かれているのは、第二次世界大戦末期、1944年のワルシャワ蜂起です。著者のアンナ・シヴィルシュチンスカも蜂起に参加し、病院で負傷者の看護にあたっていました。「私はバリケードを築いていた」は、ワルシャワ蜂起から30年後に書かれた詩集になります。「翻訳文学紀行Ⅴ」にはその一部が紹介されています。蜂起の始まりから家族への思い。銃弾が飛び交う中で、街が、文化が、そして人々が壊されていく恐怖。今もなお世界で戦争が繰り返されている中、およそ80年前のワルシャワで起きていたことを記したアンナ・シヴィルシュチンスカの詩篇は、戦争の愚かさや虚しさを伝えていると感じます。

「ベター・ライフ」は、チェコの作家ミハエラ・クレヴィソヴァーによるノワール小説です。著者は、現代のチェコ・ミステリーを代表する作家とのことです。今回「翻訳文学紀行Ⅴ」に収録されている作品の中では、一番読みやすい作品になるかと思います。“トゥエンティーズ&サーティーズ”という店のオーナーであるフェリクスが、ひとりの女性客に不穏な気配を感じています。その女の狙いは何なのか、普通に客として応じてよいものか。彼の運命はどうなってしまうのか。短いながらもハラハラする作品です。チェコ文学というと、チャペックから現代文学まで広く翻訳されていますが、ミステリー小説は初めて読みました。訳者あとがきによると、チェコ・ミステリーはまだ歴史も浅く、ここ20年から30年で発展してきているジャンルとのこと。なかなか馴染みのないチェコ文学ですが、こうしたエンタメジャンルの作品が、今後日本でも紹介されていってほしいなと思います。チェコのミステリー小説、読んでみたくないですか?

ということで「翻訳文学紀行Ⅴ」のレビューでした。私のレビューで興味をもっていただけたなら幸いです。同人誌なので、一般の書店での購入は難しくなっています。一部の本屋さんで取り扱っているところもありますので、ネットで検索して探してみてください。