タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「黄色い家」川上未映子/中央公論新社-幸せな家族を作り出すのも、その幸せを崩壊させ少女を狂わせるのも、すべて“金”



 

 

偶然みかけた小さなネット記事でわたし-伊藤花は“吉川黃美子”という名前を目にする。それは、およそ20年ほど前、花がまだ若かった頃に同じ家で、他のふたりの少女と一緒に生活したあの“黃美子さん”だった。花の脳裏に忘れていたあのときの記憶がよみがえる。

「黄色い家」は、それぞれに居場所もなく頼るものもないひとりの女と3人の少女が寄り添いあって生きてきた日々を、少女のひとりである伊藤花の視点で描く作品である。読売新聞に2021年7月24日から2022年10月20日まで連載されたもの。

主人公であり語り部でもある花は、東村山市の外れにある小さくて古い文化住宅に母とふたりで暮らしていた15歳の夏休みに黄美子さんと出会う。ある朝目覚めると母親はいなくなっていて、隣りには黃美子さんがいた。黃美子さんは、突然に花の前に現れ、中学生活最後の夏休みを、花は黃美子さんと過ごした。そして、やはり突然に姿を消した。

高校生になり、アルバイトで稼いだお金を根こそぎ母親の愛人に盗まれてしまった花は、再会した黃美子さんと暮らすことになり、ふたりで小さなスナックを開く。そして、ふたりの少女と出会う。加藤蘭と玉森桃子。こうして、黃美子さんと花、蘭、桃子の4人は一緒に生活するようになる。

それぞれに生活環境も境遇も違う4人がひとつ屋根の下でともに生活し、疑似家族を形成していく。ここまでならば、過去にも似たような作品はあったかと思う。「黄色い家」が、読んでいて強烈に胸に刺さってくるのは、語り部である花のお金に対する執着心が物語の根幹に如実に伝わってくるからだ。

さらに、疑似家族を形成する4人それぞれの個性も、作品世界をある種異様な形へと向かわせている。黃美子さんも、花も、蘭も、桃子も、それぞれに複雑な家庭環境や人間関係を抱えていて、個性がそれぞれにぶつかり合っている。本来ならば混じり合うはずがない、混じり合ってはいけない4人が、疑似家族を形成したことで、4人の世界はそれぞれに歪みだし、その歪みが限界に達したときに4人の楽園であった黄色い家は崩壊する。崩壊に至るまでのプロセスが、読んでいて痛々しくあり、切なくあり、滑稽でもあるのだ。

黃美子さんと花が開いた小さなスナック『れもん』は、順調なすべり出しをみせるが、ある事件によってすべてが一瞬にして失われる。4人での生活を守るために、花は危ないシノギに手を染めることになる。そして、蘭や桃子も巻き込んで、花は底なし沼にはまるようにシノギの仕事の深みへと沈み込んでいく。その先には、けっして幸せなど待ち受けてはいない。その先にあるのは、ただ壊れゆく黄色い家と4人の暮らしがあるばかりなのだ。

シノギに手を出し、大金を手に入れることで花は狂っていく。彼女が次第に狂っていくプロセスが、読んでいて一番苦しく、一番胸に迫る。花が、そして黃美子さんや蘭や桃子がどうなってしまうのか。終盤になればなるほど、その苦しさに苛まれながら、ページをめくる手が止まらなくなった。

最後まで苦しくて切なくてどうしようもない物語だった。でも、これが人間の本質なのかもしれないと感じた。