タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

ののの(太田靖久/書肆汽水域)-私的に現時点で2020年のベスト。こういう作品との出会いがあるから読書は楽しい

 

 

またすごい本に出会った。

私にはいくつか好きな本のタイプがある。

読んでいる間、ずっと気分が高揚し、物語の世界を存分に楽しませてくれるエンタメ小説。何もかも忘れてとにかく楽しみたいときにはそういう本を読む。小説世界に没頭できる本がいい。

一方で、なかなか一筋縄ではいかないようなタイプの本も好きだ。読んでいる間、頭の上にずっと「?」が浮かんでいるような本。途中までは普通の本だなと思わせておいて、ある瞬間に「あれ?」となり、そのままゆっくりと物語の世界に引きずり込まれてしまうような本だ。これも、エンタメ小説とはまた違う意味で、小説世界に没頭できる。

「ののの」は、まさに気づいたら物語の世界に引きずり込まれていて、その世界に没頭できる本だった。

「ののの」は、太田靖久さんの初単行本となる短編集だ。太田さんは、2010年に新潮新人賞を受賞してデビューした。後に芥川賞を受賞する小山田浩子氏との同時受賞である。その後、本書にも収録されている「かぜまち」や「ろんど」などの作品を文芸誌に発表してきた。また、「ODD ZINE」というインディーズ文芸ZINEを自ら企画・編集して発行したりといった活動もしている。

本書は、新潮新人賞受賞作「ののの」を表題作とする短編集で、表題作のほか、「かぜまち」と「ろんど」の2篇が収録されている。どの作品も、読み始めはゆっくりと立ち上がり、すーっという感じで動き出す。だが、落ち着いていられるのは最初にうちだけだ。物語は次第にその本性をあらわしてくる。読者は、自分が物語の中で迷子になりかけていることに気づく。「あれ?」と思ってからが物語の真骨頂だ。

私はこの「あれ?」と思う瞬間が好きだ。

「ののの」は、男子中学生が事故死する場面から始まる。物語を語るのは死んだ男子中学生の弟(僕)。彼は、自営業の両親と兄の4人家族だ。もっとも、兄は冒頭で死んでいて、母親の存在は物語の中では一切触れられない。

兄の葬儀が行われた葬儀屋の横には、フェンスで囲まれた国有地があって、そこに野晒しにされた白い本の山がある。白い本の山に頂上には、目がひらがなの「の」の形をした巨大な鳥がいて、僕はその鳥を「のの」と呼ぶ。そして、「のの」がいる白い本の山を「のののやま」と呼び、それが少し省略されて「ののやま」と呼んでいる。

白い本の山? 目が「の」の字の鳥? 次々と「?」が浮かんでくる。この物語の世界に足を踏み入れる瞬間だ。ワクワクする気持ちと不安な気持ちが入り乱れるこの瞬間がいい。

「思い出になるのは、自分で思い出したことがあるだけよ」
「なあケンジ、絶対に懐かしがるなよ」

と、「ののの」の僕は出会った女性や父親にそう言われる。思い出になるのは自分で思い出したことだけ? 絶対に懐かしがるな? 頭の中の「?」はますますと増殖を続ける。増殖に増殖を続け、最後の最後まで油断できない。何度もページを戻り、書かれた文章を読み返し、頭の中を整理する。とても疲れる読み方を求められるが、それは心地の良い疲れでもある。その疲れを楽しむために「ののの」はある。

本書を構成する3つの短篇には、ふたつの共通する要素があると思う。

ひとつは、思い出や記憶(メモリー

「ののの」に登場する白い本の山は、記憶の蓄積、思い出の蓄積を意味していると読むこともできる。僕の兄が死んだこと。僕の父が死んだこと。ふたりの記憶が、白い本の山のどこかに埋もれているのではないか。そんな思いが読んでいるうちに頭に浮かんでくる。思い出すから思い出になる。絶対に懐かしがるな。思い出にばかり囚われて、自分自身を見失うなという強いメッセージのようにも思えてくる。

もうひとつの要素は、時間。「ののの」の中でも、「かぜまち」の中でも、時間は確実に経過していく。時間が経過すれば、それだけ思い出や記憶は蓄積されていく。そして、人も街の風景も変わっていく。

「ののの」の僕も、「かぜまち」の僕、ミツメ、モモナ、浅海も、少年少女の時代から時を重ねて、それぞれに大人になっていく。大人になる中で、ひねくれてみたり、素直になってみたりする。そのひとつひとつが思い出であり、記憶になっていく。時間を重ねるということは、思い出や記憶を重ねるということでもあり、そういう意味でこのふたつは、本書を語る上で外せない要素だと思う。

「かぜまち」と「ろんど」は、それぞれに異なる時期に異なる文芸誌に掲載された短篇だが、ふたつの作品は互いに強く結び付けられた物語になっている。「かぜまち」の中で僕やミツメが暮らしてきた町は、あるときを境に人の住めない場所になってしまう。空き地に積み上げられた黒い袋。海岸沿いにある汚染された建物。人の住めない場所と自分たちが暮らす場所をはっきりと区分するように建設されていく白い壁。それは、3.11後のフクシマを想起させる。

物語を「ろんど」に移す。父親によって組み立てられ、娘が操縦するドローン『ろんど』を語り手とする物語。自らの意思を有するかのように、もしくは得体のしれない何かに操られるように、『ろんど』は『母』と呼ぶ娘の庇護から離れ、空をさまよう。『ろんど』は、延々とどこまでも連なる白い壁を飛び越えて、人々の記憶からも地図上の記録からも失われた町へ降り立つ。

白い壁。壁に隔たれた人の住めない場所。『ろんど』が降り立った場所は、「かぜまち」で人が住めなくなった場所のさらに長い時間を経過した世界だ。あまりに長い時間が過ぎて、その場所は人々の記憶から完全に消去されている。誰も思い出さないから思い出にもならないし、誰も懐かしがることもない。「ののの」に出てきた、

「思い出になるのは、自分で思い出したことがあるだけよ」
「なあケンジ、絶対に懐かしがるなよ」

とも見事にリンクする。

本書には、神楽坂にある『かもめブックス』の書店員・前田隆紀さんによる解説冊子「人間という「不確かさ」の上を爆走する繊細な小説」が付属している。短編集「ののの」を読み終えて、前田さんの解説冊子の最初の一文を読んだ瞬間に思わず大きく唸ってしまった。

一見スルッと読み飛ばしてしまえそうな文章にも「何か意味があるのではないか?」と立ち止まってしまうのが太田靖久さんの小説です。

これこそが、読者(主に私)にたくさんの「?」を突きつけ、何度もページを戻っては読み返すという心地よき疲労を生み出す正体だと思ったからだ。

前田さんの解説冊子を読むと、短編集「ののの」を理解し楽しむためのポイントがわかる。ただ、(発行元の書肆汽水域・北田さんの受け売りだが)まずは解説冊子を読まずに、「ののの」を読んでもらいたい。まずは、太田靖久作品の世界の道標を持たない丸腰の状態で「ののの」の世界に足を踏み入れて欲しい。読んでいて苦しくなることもあるだろう。無理だと思ったら引き返せばいい。時間は気にする必要はない。ゆっくりと読み進んでいけばいい。いつかゴールの頂にたどり着くはずだ。

その頂には、目がひらがなの「の」の形をした巨大な鳥が待っているかもしれない。

 

書肆汽水域の本

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