タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

アン・ファイン/墨川博子訳「フラワー・ベイビー」(評論社)-#はじめての海外文学 落ちこぼれクラスの生徒たちに与えられたミッションは三週間の疑似育児体験!?

 

『悪ガキ』、『落ちこぼれ』が集められた四-Cでは、サイエンス・フェアのテーマに選んだのは〈児童発達〉だった。その内容は〈フラワー・ベイビー(flour baby)〉、つまり“小麦粉の赤ん坊”である。こうして、ひとりあたり三キロの小麦粉の袋を赤ん坊に見立てた四-Cの生徒たちの奮闘の三週間がはじまる。

〈フラワー・ベイビー〉の課題には5つのルールがある

1.いつも清潔にし、濡らさないこと。汚れたりしないように注意すること。
2.体重を週二回測定すること。軽くなったり重くなったりしないように。
3.昼夜を問わず、いかなるときも一人にしてはいけない。
4.毎日育児日記をつける。
5.フラワー・ベイビーがちゃんと世話されているかは監視される。ただし、誰が監視しているは非公開。

〈フラワー・ベイビー〉は、正しく世話をしなければならない。その辺に置き去りにしたり、汚してしまったりしてはいけない。となれば、必然的に世話をする生徒たちの自由が犠牲になる。〈フラワー・ベイビー〉に振り回されて募っていくイライラを爆発させる生徒も現れてくる。

かと思えば、〈フラワー・ベイビー〉を預かるビジネスを立ち上げる生徒も現れてくる。実に商魂たくましい。

サイモンは〈フラワー・ベイビー〉を育てる中で、自分の父親のことを考えるようになる。彼の父は、生後六週間になるサイモンを置いて家を出ていってしまった。以来、サイモンは母親と暮らしてきた。サイモンは、〈フラワー・ベイビー〉の世話をしながた、なぜ父が家を出ていったのかを考える。

サイモンは〈フラワー・ベイビー〉を通じて赤ん坊を育てることの楽しさも知っていく。サイモンは、まるで本物の赤ん坊に接するように〈フラワー・ベイビー〉に接する。その中で、次第に〈フラワー・ベイビー〉を愛しく感じるようになっていく。

フラワー・ベイビーを小脇にかかえこむと、サイモンは川面を見つめた。
「おれは、おまえが本物の赤んぼうでもかまやしないと思う。たとえ、やることが増えてもだ。おまえが泣きわめいても、おむつをよごしてばかりいても、店ですごいかんしゃくを起こしても。そんなの、かまわないさ」
フラワー・ベイビーをのぞき見ると、脇の下で、心配もなく気持ちよさそうにしている。フラワー・ベイビーの鼻のあたりと思えるところ、サイモンは指で突っついた。
「おれにはわからないんだ。どうして赤んぼうが虐待されるのか」

子どもを産んで育てることは大変なことだ。ときにはイライラして、つい手をあげたくなってしまうこともあるだろう。だけど、サイモンが〈フラワー・ベイビー〉と接する中で感じたように、どんなに赤ん坊が手に負えなかったとしても、子どもに対する愛情は失われることはないのだ。だからこそ、サイモンは子どもを虐待する親の存在が信じられない。

「フラワー・ベイビー」を読んでみて感じたのは、この本は子ども向けに書かれているけれど、むしろ大人が読むべき本なのだということ。どの生徒に自分が共感できるかで、自分が子育てに向いているのかを考えることができるのではないかということだった。

本当にいろいろと考えさせられる作品である。『はじめての海外文学vol.3』の推薦本として選ばれたこの機会に、老若男女を問わず多くの人に読んで欲しいと思った。