●ある小学生の感想
何年前になりますかね、この新美南吉の名作童話「ごん狐」に関する、とある小学生の感想がネット上で物議を醸したことがあったんですが、覚えてますか?(というか知ってましたか?)
その小学生の感想というのが、簡単に言っちゃうと、
- ごんが撃たれたのはあたりまえ
ということだったらしいです。
へぇ〜〜〜!
こりゃまたなんとも大胆で、それでいて素直で率直な感想ですこと。でも、なんでその小学生はそんな感想をもったんでしょうか?
●「ごん狐」ってこんなお話です
よ〜く知られたお話かと思いますけど、念のため「ごん狐」のストーリーをおさらいしときましょう。
いたずら好きの子狐ごんは、兵十が川で捕まえたうなぎやきすを全部逃がしてしまいます。しばらくして、ごんは、兵十の母親の葬式が行われていることを知り、あのとき逃がしたうなぎが、病気の母親に食べさせようと兵十が捕まえたものと悟り、自分のいたずらを反省します。反省したごんは、魚や栗、まつたけをそっと兵十の家に持っていくようになります。ですが、兵十にとってそれは不思議なことでした。その日もごんは、いつもように栗を兵十の家に届けました。でも、そこで兵十にみつかってしまいます。いたずら狐のごんを見つけた兵十は、火縄銃をとってごんを射殺しました。ところが、ごんの入った家の中に栗があるのを見つけた兵十は、すべてはごんのやったことだったのだとわかるのですが、時すでに遅くごんは死んでしまいました。
というお話ですね。子供の頃に読んだ記憶が蘇ってきましたか?
ちなみに私、どうしてなのかは自分でも不明なのですが、「ごん狐」なのに頭に浮かんでくるのが岩崎書店版「モチモチの木」の表紙なんですよね。なんでですかね?
「ごん狐」を読んだたいていの人は、
「いたずらものとはいえ、自分がしたことを反省して栗やまつたけを届けていたのに、最後は撃たれて死んじゃうなんてかわいそう」
という感想を持つと思うんですよね、ネットに点在しているレビューとかも、概ねごんに同情的で、図式的には、
- ごん=いいやつ、兵十=わるいやつ
みたいな感じになってる。よくよく考えれば、兵十の方が被害者とみられるのが当然なはずなのにね。
●兵十視点で物語を見れば
件の感想を抱いた小学生ですが、どうも人間側=兵十の視点でこの物語を理解したのではないかという気がします。
「ごん狐」は、基本的にごんの側から見た物語です。主人公はごん。つまり、「ごん狐」はラストで主人公が不慮の死を遂げて幕を閉じるお話なのです。この視点で考えると、読者としては主人公ごんの身に起きた不幸を悲しみ、ごんに同情的な感想を抱くのは当然です。
では、兵十サイドから「ごん狐」を見てみましょう。
兵十は、病気で身体の弱った母親に食べさせたくて、腰まで水につかりながら捕まえたうなぎを、いたずら狐のごんによって全部逃されてしまいます。兵十はどれほど落胆したことでしょう。ごんにしてやられて、手ぶらに家路についた兵十の気持ちは察するにあまりあります。
「うわぁ、ぬすと狐め!」と兵十はどなりつけました。子狐はびっくりした様子でうなぎを振り捨てて逃げようとします。兵十は、うなぎを首に巻きつけたまま逃げていく子狐を追いかけましたが、やがて見失ってしまいました。
「ちくしょう、逃げられたか」
兵十は、肩で荒く息をしながら悔しがります。そして、がっくりと膝を落としました。
「あのうなぎは、病気のおっ母に食わせてやるはずだったのに・・・」
うなぎは、おっ母の大好物なのです。うなぎを食べて、少しでもおっ母に元気になってもらいたい。兵十はそう考えていたのです。それが、小賢しい一匹のいたずら狐のおかげで叶わなくなってしまいました。
「ちくしょう、ちくしょう」
兵十は、地面に拳を何度も打ちつけます。いつしか拳には血が滲み、泥と交じり合って真っ黒になりました。そして、その拳には兵十の悔し涙がポタポタと落ちていました。
兵十のおっ母が静かに息を引き取ったのは、その日から数日後のことでした。
母親の葬式も無事に済ませた兵十は、天涯孤独の身となります。反省したごんがいわし屋からいわしを盗んで兵十の家に投げ込んだことで、盗人の濡れ衣を着せられてぶん殴られたりして碌な目にあっていません。兵十の人生はどん底です。
その後も、毎日のように栗やまつたけがいつの間にか家に置かれているという不思議な現象が兵十を襲います。いったい誰がこんなことをしているのか。兵十からすれば、ただただ気味の悪い事件です。百姓仲間の加助に話すと、それは神様の仕業だといいます。その場ではなんとなく納得した兵十でしたが、相変わらず気味の悪いには変わりありません。
母親を失い、孤独の中にある兵十の身に巻き起こる怪奇現象は、彼のメンタルを少なからず蝕んでいたに違いありません。彼の精神は、もはや崩壊寸前の状態。現代社会であれば、うつ病を発症して休職になる寸前といったところまで追い詰められていたのかもしれません。
その原因はすべて、いたずら狐のごんの所業によってもたらされたことです。
鬱屈が積もりに積もったある日、あの日おっ母のためのうなぎを逃がしてしまったごんが自分の家から出てくる姿を目撃した兵十は、爆発します。火縄銃を手に取ると、至近距離からごんを射殺しました。ところが、ごんが出てきた家の中を見ると、そこには栗が。そうです、そこで兵十は栗やまつたけを運んでいたのがごんだったと知るのです。
「おや」と兵十は、びっくりしてごんに目を落としました。
「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
兵十は火縄銃をばたりと、とり落としました。青い煙が、まだ筒口から細く出ていました。
ごんの死骸を見下ろしながら、兵十はつぶやきます。「ごん、お前はバカだ」
「なんで、黙ってこそこそと盗人みたいなマネしたんだ。おれは、すっかりお前が悪さをしに来たんだと思っちまった。だから撃っちまったんだぞ」
だけど、兵十の言葉にごんはもうこたえることはありませんでした。
「兵十!どうしたんだ!」
銃声を聞きつけたのでしょう、近くに住む加助が駆けつけてきました。そして、兵十の足元で息絶えているごんを発見します。
「兵十、お前が、やったのか?」
「ごんが・・・お前が・・・わ、悪いんだぞ・・・」
兵十は、声を震わせながら、ようやく言葉を吐き出します。彼の精神状態は、もう限界を超えていました。
「大丈夫か?兵十!」
加助がそう言って兵十の肩に手を置いた瞬間のことです。
「ギャハハハハハ!!」と兵十が狂ったように笑い始めました。それは、彼の精神状態が一気に崩壊した瞬間でした。
「・・・・」
加助は、発狂し笑い転げる兵十をただ見守るしかありませんでした。
その後、兵十がどうなったのかは、村人の誰も知らないことです。
●結論:結局、誰も幸せになんてなれなかったのです
自分の悪事を反省して、少しでも兵十に喜んでもらいたいと思っていたのに理解されないまま射殺されてしまったごん。ごんを射殺してしまったことで罪の意識に苛まれ、精神を病んでしまった兵十。「ごん狐」という童話には、そんな恐ろしいストーリーが描かれているのです。
「ごんは撃たれて当然」という感想を持った小学生は、「ごん狐」の本質をあと一歩のところまで掴んでいたのです。ですが、そこはまだ子供。ごんを射殺したことで兵十が苦しむことになる精神的トラウマまでは、読み取ることができなかったようです。でも、それは、人生の経験を積んだ大人になってから気づくこと。人間は、正義を貫いたつもりでも、心のどこかでは苦悩し、トラウマを抱えているものです。そうしたトラウマを克服して生きていかなければならないのが、この社会というものなのです。
あの小学生が、もう少し大人になって、「ごん狐」を読み返したときに、この物語の本質に気づくことができるだろうか。そんなことを考えながら、静かにペンを置きたいと思います。