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「同志少女よ、敵を撃て」逢坂冬馬/早川書房-少女は戦争という狂気の世界でスナイパーとして生き抜いていく

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第11回アガサ・クリスティー賞を受賞したデビュー作品。受賞が決まったことがTwitterで流れてから、選考委員をはじめ早川書房のアカウントやゲラ読みやプルーフ読みしたと思われる書店員さんや書評家さんたちから次々と絶賛のツイートが流れてくるようになり、その前評判の高さに期待が高まっていた。と同時に、あまりに前評判が高すぎるような気がして、実際に読んだら案外ハマらないかもとも思っていた。

しかし、すべては杞憂であった。評判通り、いや評判以上に面白かった。私が勝手に抱いていた期待値の高いハードルをやすやすと超えてきた。

舞台は第二次世界大戦最中の独ソ戦。その戦闘の最前線で戦った若き女性狙撃兵の成長と苦悩、そして戦争がもたらす狂気が描かれていく。巻末にあるロシア文学沼野恭子さんの「推薦のことば」にも記されているが、独ソ戦を戦ったソヴィエトの女性兵士たちの証言を集めたノーベル文章作家スヴェトラーノフ・アレクシエーヴィチの「戦争は女の顔をしていない」(三浦かおり訳/岩波現代文庫)に出てくる女性狙撃兵の同書では語られなかった戦地での物語を具現化したような物語は、まさに“戦争のリアル”を描ききっていると感じる。

物語のプロローグは1940年5月。イワノフスカヤ村という小さな村に暮らすセラフィマは、忍び寄る戦争の足音もまだ知らぬままでいた。母とともに猟師として暮らすセラフィマだが、ある日その平穏な暮らしが一変する。村がドイツ兵によって全滅させられ、ドイツ狙撃兵“カッコー”によって母は命を奪われる。彼女自身はドイツ兵の慰みものとなる寸前、ソ連赤軍によって命を救われるが、その指揮をとっていたイリーナの行為に憎悪し、母を殺したカッコーとイリーナへの復讐を胸に刻む。

物語の主人公はセラフィマ。生まれ故郷をドイツ兵たちに破壊され、家族の思い出をイリーナによって奪われた。その憎きイリーナによって、彼女は一流のスナイパーとして訓練され、同じくイリーナに訓練されたシャルロッタ、ヤーナ(ママ)、アヤ、オリガとともに第39独立小隊として戦闘の前線へと足を踏み入れていく。

第二次世界大戦独ソ戦においてソヴィエト軍が女性兵士を多数戦線に投入していたことは、アレクシエーヴィチ「戦争は女の顔をしていない」をはじめとする文献等に記されている。「同志少女よ、敵を撃て」は、その歴史的事実や戦争の記録を背景にして、将来の夢や希望、愛情に満ち溢れていたはずの少女たちが、戦争によって家族や故郷を失い、その復讐のために過酷な訓練を生き抜き、さらに過酷な戦場へと駆り立てられて、敵兵と戦うというプロセスの中で、女性としてだけでなく人間としての根幹となる部分を少しずつすり減らし、兵士の顔へと変貌していく姿が描かれている。第39独立小隊の少女たちがどのように変貌を遂げていくか。そして、戦争が人間をどのように変えてしまうのか。その異常な世界の中で壊れずにいることがいかに困難であるか。「同志少女よ、敵を撃て」にはそういうさまざまな要素が盛り込まれていて、単なる戦争小説ではない世界が小説世界に存在している。

セラフィマたちが戦った戦争は、いつか終わりを迎える。ドイツはソヴィエト戦線で敗北しベルリンも陥落する。戦争が終わった後、スナイパーとして、マシーンとして戦ってきた少女たちはどのように生きる目的を見出すのか。なにより彼女たちは、この過酷な戦場を生き延びることができるのか。生き延びた先に何があるのか。ラストに描かれる少女たちの未来に戦争の愚かさを感じざるを得なかった。