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日航ジャンボ機墜落事故から30年。妻を、子供を、両親を亡くした夫や息子たちの記録-門田隆将「風にそよぐ墓標~父と息子の日航機墜落事故」

8月は鎮魂の季節である。
ヒロシマナガサキ、そして終戦の日へと続く戦争の記憶とその犠牲となった人々へと鎮魂がある。そして、もうひとつ忘れてはいけない大きな事故がある。日航ジャンボ機墜落事故だ。

風にそよぐ墓標?父と息子の日航機墜落事故?

風にそよぐ墓標?父と息子の日航機墜落事故?

 

今年(2015年)は、1985年に起きた日航ジャンボ機墜落事故から30年目の節目の年である。すでに事故を改めて検証するドキュメント番組などが放映され、事故当日の8月12日前後にはニュースなどでも大々的に取り上げられるだろう。

単独機の事故としては史上最悪となる520名の犠牲者を出した日航機墜落事故は、30年が経過した今でも、多くの人びとにとって、事故の記憶が色褪せることのない、衝撃的な航空機事故とである。

事故関連のノンフィクションは、これまでにも、夫を亡くした妻、子供を亡くした母親など、女性の目線から事故を描いた作品が多数出版されてきた。本書は、遺された女性側からのアプローチではなく、妻を亡くした夫、父や母を亡くした息子からの視点で書かれたノンフィクションであり、事故から25年目の2010年に刊行されたものだ(なので、本書中は“事故後25年”として書かれている)。

著者は、女たちが多くを語る中、男たちはなぜ黙して語ろうとしなかったのかという疑問から本書をスタートさせたという。

本書には、事故に関わった様々な男たちが登場する。

奇跡的に生存した4名の生存者の救出にあたり、生存者のひとりをヘリコプターに運びあげた自衛隊員であった作間さん(事故を報道する写真でもっとも有名なものだろう)。

遺族としてだけではなく、遺体の検視作業にも協力した歯科医の男性や父や母、あるいはその両方を事故で失った息子。

それぞれがそれぞれの事情によって事故と関わり、その後の25年(2010年当時)を生きてきた。事故当時に話題となった、生存者を救出する自衛隊員を撮影した写真、迷走する機内で備え付けの紙袋に妻にあてた遺書をしたためた会社員、機体損傷後に混乱することなく、冷静に対処する客室乗務員とそれに従う乗客たちの姿を写真に残した父親。残存するこれらの品々が残された遺族に与えた影響は、新聞やニュースの報道などからは伺い知ることはできない。

著者は、そうした遺族本人に直接話を聞き、彼らが抱えてきた苦悩や25年が経過して落ち着いてきた現在の心境を記録する。

事故当時小学生、中学生だった子供たちは、既に亡くなった父親と同じくらいの年齢になった。それぞれが自分の家庭を持ち、父親と呼ばれる存在になっている。父親と同じ目線に立った今だからこそ、あのとき事故機の中で必死に絶望と闘いながら、それでも残される家族のことを懸命に思い続けたであろう父や母の気持ちがわかるようになってきたと、彼らは口をそろえて言う。

日航ジャンボ機墜落事故以降、日本の航空会社は安全運行を絶対的な使命として航空業務に取り組んできた。それは、世界中の航空会社が同じだと思う。それでも、航空機事故がなくなることはなく、今でも事故は起きているし、あわや事故になりそうな事態も起きている。

最近は格安航空会社の参入などで空の交通はますます盛んになってきている。しかし、安さを求めるあまり、利益を求めるあまりに安全性を揺るがしてしまっては全く意味がない。日航機墜落事故は、空の安全を守る上でいつまでも忘れてはならない教訓なのだと、航空関係者は常に心にとどめて安全確保に全力をあげてほしいと思う。

なお、本書は2015年5月に遺族からの出版差し止め請求が最高裁で認められて、現在は絶版になっている。(2012年に「尾根のかなたに」と改題出版された文庫版は、Amazonで在庫あり。かつKindle販売されている)

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尾根のかなたに 父と息子の日航機墜落事故 (小学館文庫)

尾根のかなたに 父と息子の日航機墜落事故 (小学館文庫)

 
尾根のかなたに 父と息子の日航機墜落事故 (小学館文庫)

尾根のかなたに 父と息子の日航機墜落事故 (小学館文庫)