アーネスト・ヘミングウェイ「老人と海」は、今回読んだ光文社古典新訳文庫版で170ページにも満たない短い作品なのだが、読むほどに味わいを増すような深い作品である。
今回、書評サイト「本が好き!」の掲示板企画「祝☆創刊10周年!本が好き!光文社古典新訳文庫祭!!」に乗っかろうと思って、数ある光文社古典新訳文庫のラインナップから本書を選んだ。理由としては単純に「短いから」なのだが、読み終わってみれば、「この本を読んでよかった」と感じている。
知らない人はほとんどないと思われるが、念のため「老人と海」のストーリーを紹介しておこう。
主人公の老人は漁師だ。ずっと不漁が続いていて、もう84日間一匹も魚を釣れていない。40日目まで同行してくれていた少年も、両親に言いつけられて別の船に乗り換えてしまい、それ以降は老人がひとりで船を操り漁に出ていた。
85日目のその日も、老人はひとり海へと漕ぎ出す。沖に出て、仕掛けを海に落とす。太陽が昇り、時が過ぎていく。そして、ついに大物が老人の餌に食いつく。そこから始まる老人と魚の戦いは、実に躍動感にあふれており、スリリングである。力と力のぶつかり合い。互いに相手の様子を伺い、老人は魚を相手に長い戦いを展開する。格闘を始めてから3度めの日の出を迎え、老人はついに獲物を手中に収める。疲労困憊。精根尽き果てた老人は力を振り絞って魚を釣り上げ、船の横腹へとくくりつける。それですべてが終わるはずだった。だが、老人の試練はそこからが始まりだった。血の匂いを嗅ぎつけた鮫が老人の船に襲い掛かってきたのだ。鮫は、老人の獲物に牙をつきたて、その肉を大きく抉り取っていく。一匹目の鮫は退治したが、すぐに二匹目、三匹目の鮫が襲い掛かってくる。老人の必死の戦いも虚しく、魚は見るも無残な状態へと食い荒らされていく。
長らく不漁にあえいでいた老漁師が、ようやく大きな獲物を釣り上げたのに、凶暴な鮫に襲われて釣り上げた魚をあらかた食べられてしまった。
「老人と海」の基本ストーリーは実に単純である。文章も余計な修飾を取り払われてストレートだ。それだけに、読んでいてまっすぐに物語の迫力を感じられるように思う。老人がたったひとり巨大な獲物と闘う場面は、手に汗を握るような臨場感があり、読みながら自分が老人と一体化したような気分がなる。そして、魚を釣り上げてホッと一息ついたのもつかの間、今度は鮫との戦いが始まる。なにゆえに神(=作者ヘミングウェイ)は老人にかくも厳しい戦いを強いるのであろうか。
「老人と海」は、ヘミングウェイ晩年の作品である。1952年に刊行された本作は、1953年にピュリッツァー賞を受賞し、翌1954年にはヘミングウェイがノーベル文学賞を受賞する。この受賞記録だけを見れば、この時期のヘミングウェイは作家として最高に円熟していたと言えるかもしれない。しかし、実人生における1954年は受難の年で、本書巻末の年譜には次のように記されている。
1954年 55歳
サファリを終了し、ベルギー領コンゴからウガンダへ。観光用のセスナ機が送電線に触れて墜落。翌日、治療を受けるために乗り込んだウガンダのエンテベ行きの飛行機が離陸時に炎上、さらなる大怪我を負う(以上1月)。ケニアで山火事を消そうとして火傷を負う(2月)。アフリカを発ってヨーロッパへ。しばらく休養してから、ハバナへ帰る。10月にノーベル文学賞受賞の報に接してスピーチ原稿を書くが、健康上の理由で授賞式には欠席。スウェーデン駐在のアメリカ大使が代読した。
2回の飛行機事故に火傷が1回。よく生きていられたと関心してしまう。これらの事故以降は体力の低下や躁鬱病、アルコール依存などに悩まされることになり、1961年に自殺することになる。
「老人と海」執筆以降にヘミングウェイを襲った事故や病気は、もちろん作品とは無関係である。だが、たったひとり巨大なカジキや鮫と戦うタフガイである老人が、すべての戦いが終わり家に戻ったあと、少年の傍らで眠る姿は、同じようにタフガイとして生きてきたヘミングウェイの晩年の姿を想起させるような気もする。まるで、老人を描くことで自らの老いを見つめようとしているようだ。
はじめて読んだ十代の頃には、この老人の生き様があまりピンと来ていなかった。「頑張って釣った魚を鮫に食べられてしまってかわいそう」レベルの拙い感想しかなかった。すっかり中年の域に達して読み返してみると、少しだけ老人の気持ちが理解できるような気がする。きっと、これから十数年、数十年先になり、この老人と同じくらい自分が年齢を重ねて読み返したら、またきっと違う印象が得られるのだろう。名作とは、こうして読む時代や世代によって印象を変えるのだと思う。