お通夜や葬儀の席というのは、どうにも居心地が悪い。
両親世代が70代、80代という年齢に差し掛かってくると、親戚縁者の不幸には、それなりに遭遇するするもので、そのたびに親戚一同が集まることになる。
お通夜の夜に、通夜振る舞いの席に集まってくれた参列者が帰った後、親戚一同だけが残された斎場で、棺に横たわる故人を横目にどこかいたたまれない気持ちを互いに感じながら一夜を過ごすのは、何度経験しても慣れることがない。
滝口悠生「死んでいない者」は、亡くなった老人のお通夜に集まった親戚一同の一晩の出来事を描いている。
老人の5人の子どもとそれぞれの孫、さらにひ孫たちは、故人の思い出に浸りながら、互いの近況などを語り合い、酒を酌み交わす。親戚同士の気の置けない会話がそこにある。
だが、どこかぎこちなさが見え隠れしているのも事実だ。
幸せで平穏な家庭を築いている家族もある。
長男がひきこもりになっている家族もある。
小学生の時から酒を口にするようになった少年もいる。
若くして結婚したもののうまくいかず家庭崩壊した家族もある。
それぞれに事情を抱えた者同士が、表面上は気さくな親戚同士を演じているという印象が作品から感じられる。それは、著者が意図的に作品に仕組んだものなのか、読み手である私の経験によってもたらされる印象操作なのか。いずれにせよ、読者に感じさせるところは上手いと思う。
「死んでいない者」には、「“死んで”いない者」と「“死んでいない”者」という意味がある。死んでしまってその場には存在しない老人とまだ死んでいない子供や孫たち。それぞれを繋ぐ接点となる場所が、お通夜、葬儀の場なのである。
“死んでいない”者たちは、“死んで”いない者を媒介にしてつながっている。ちょっとスピリチュアルな言い方になるかもしれないけれど、“死者”とは、死してなお“生者”に影響を与え、“生者”同士を繋ぎ止める役割をはたすのだな、とも感じた。