ガタガタ書評ブログ

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ディストピア小説の代表的傑作。焚書による思想の弾圧が生み出す悪夢-レイ・ブラッドベリ「華氏451」

本書「華氏451度」はブラッドベリの代表作のひとつである。近未来社会を描いているためSFとして分類されているが、内容的には極めて社会的であり、オーウェルの「一九八四年」にも通じる管理社会の恐怖を描いた作品であると思う。

華氏451度〔新訳版〕

華氏451度〔新訳版〕

 

主人公ガイ・モンターグは、焚書官という役人である。この時代、紙の本は法律によって禁止されていて、法律に違反して本を所有したり読書したりすることは重大な犯罪とみなされている。モンターグの仕事は、住民からの通報などに基づき、本を所有している人物の家に立ち入り、その書物を燃やすことなのだ。

本が禁止された世界で人々の楽しみはテレビである。壁一面がテレビ画面となっているテレビ部屋に入り浸り、視覚的な効果以外には何ら思想的背景も存在しないテレビ映像をただひたすら見るだけ。そんな世界の中で人々は自ら思考する能力を次第に失っており、ある意味洗脳された愚民のような存在に陥っている。

自らの職務に忠実な模範的な役人であったモンターグだが、ある日ひとりの少女クラリスと出会うことで変化が生じる。クラリスはモンターグに対してその仕事の有する意義を尋ね、自らの考えを語る。モンターグもはじめは、クラリスの意見に反駁を感じたものの、次第に自らの立場や仕事、妻との関係や上司との関係などに疑問を感じるようになる。

クラリスが自立した考えを有する素地となっているのは、書物による知識の集積である。モンターグは、ある日取り締まり現場から1冊の本を持ち帰り、隠れて読み始める。そして、次第にそこに書かれている様々な物語や思想に感化されるようになっていく。しかし、そのことを妻に密告されて自らが取り締まられる側となってしまい、命の危険を感じたモンターグは上司を殺害して逃亡する。
 
本書には、書物という言論メディアを封殺し、国家の意のままにコントロール可能な映像メディアのみを用いて国民を管理する社会が描かれている。国民の考える力を奪い、国家に忠実な思想を有する国民を育成する。それは、オーウェル「一九八四年」で描かれる世界観と共通するものだ。

ただ、ブラッドベリ自身は、本書のテーマについてはそのような管理社会の危険性を描いているのではなく、テレビによる文化の破壊を描いているという見解を述べているようである。

日本でもテレビが一般家庭に普及しだした頃に評論家の大宅壮一が「一億総白痴化」と評してテレビの普及による国民の知的レベルの低下を懸念したことがある。確かに、テレビ放送が開始されて半世紀以上の年月が経過した現在、少なくとも日本のテレビ界においては、ある意味でくだらないとされる俗悪な番組が隆盛を極めていることは否めない。

テレビメディアから何を得るか、何を考えるかは、各自の思想や感情により異なるとは思うが、今のテレビメディアには、そこから何かを得ようという有意性はあまり感じられない。そういう意味で、テレビは娯楽のための手段であり、知識形成への寄与には繋がっていないと思うし、そういう役割であると割り切れば何も目くじらを立てるような俗物でもないと思う。

だが、本書が示したようなテレビ以外のメディアの禁止と迫害があれば、国民の愚民化政策などはあっという間に達成できてしまうかもしれないという恐怖は感じた。そして、今はインターネットという新しいメディアが巷間を席巻している。インターネットメディアを題材にしたとき、ブラッドベリがどのような作品を生み出したのか気になるところだ。

華氏451 [DVD]

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