タカラ~ムの本棚

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自ら知ろうとすることで本当の事がわかってくるのではないだろうか-早野龍五・糸井重里「知ろうとすること」

2011年3月11日に東日本大震災が発生し、福島第一原発事故が発生した。日本で起きた未曾有の原発事故では、情報が錯綜し、隠蔽され、誇張されることで、多くの人々を混乱させ、その混乱は約4年半が経過した今でも完全に終息し、払拭されたとは言い切れない。

知ろうとすること。 (新潮文庫)

知ろうとすること。 (新潮文庫)

 
知ろうとすること。(新潮文庫)

知ろうとすること。(新潮文庫)

 

原発事故直後の情報が錯綜して混乱する中で、ひとりの科学者が自らのツイッターで発信する情報が注目された。東京大学大学院・早野龍五教授のツイッターだ。当時、原発事故に関するツイートが福島の状況を正しく伝えず、必要以上に不安を煽るような内容のものが目立っていた中で、早野教授のツイートは、冷静に事実としてのデータを流し続けていた。

早野教授のツイートには、不安を煽るような内容も、その逆に、無意味に安心を訴える訳でもない。日々、様々なところから発表されるデータを集約し、分析した結果を事実として公表する。その結果からどう判断するかは、そのツイートを読んだフォロワーの判断だ。だからこそ、早野教授のツイートは、信頼されたのだろうと思う。

本書でも、対談相手である糸井重里氏が早野教授のツイッターをフォローした理由をこう話している。

糸井 ぼくが早野先生をフォローし始めたのは震災の直後、3月13日頃だと思います。あの頃、ぼくはテレビをつけっぱなしにして、ツイッターに一日中張り付いてました。ネット上でいろんなことを声高に主張している人がたくさんいて、ちょっと怖いくらいでしたよね。そんな中で、早野さんは冷静に事実だけをツイートしていて、ああ、この人は信頼できる人だ、と思ったんです。
-- 第2章 糸井重里はなぜ早野龍五のツイートを信頼したのか p.45冒頭より引用

このあとに糸井氏は、「本当に問題を解決したいと思ったときには、やっぱりヒステリックに騒いだらダメだとぼくは思うんです」と続けている。

この糸井氏の発言は、当時早野教授のツイッターをフォローした多くのフォロワーに共通した気持ちなのだろうと思う。少なくとも、私はそうだった。

ここで告白しておくが、私の母方の実家は福島第一原発から半径20キロ圏内に位置する。事故の直後から数ヶ月ほどは親戚一同合わせて10人くらいが、関東にある狭い我が家に避難していたこともある。その後、彼らは福島に戻ったが、もちろん自宅には帰れずに少し離れたいわき市で暮らすようになった。その避難生活は、事故から4年以上経過した現在もまだ続いている。

身内に原発事故避難者を持つ身であるからこそ、当時の私は事故の被害がどうなっているのか、将来の影響はどうなるのかといった情報を求めていた。だけど、テレビで流れる情報は、東電や政府が流す情報をただ右から左に流しているだけだったし、ツイッターその他ネット上の情報は、正確な分析もされておらず、かつ感情的なバイアスがかかっている分、ただただ不安を煽り立て、あたかも福島が今後一生人間の住めない死の土地になったかのような根拠のない噂話や福島の農産物がまるで毒物であるかのような内容ばかりでウンザリさせられていた。そんな中で、早野教授のツイートだけが、ほとんど唯一と言っていい信頼できる情報だったのである。

事故から4年以上が過ぎた今は、不必要に福島を貶めるような、風評被害を煽るようなことを発言する人は少なくなってきている。これも、早野教授を始めとする多くの人たちが、事実をデータとして記録し、積み上げてきた成果だと思う。もちろん、すべての不安が払拭された訳ではない。でも、少なくとも福島が「人の住めない場所」ではなく、福島の農産物が「毒物」ではないということは、誰も疑いはしないと思うし、疑ってほしくないと思う。

今、福島をはじめとする東北の被災地は確実に復興の歩みを進めている。中でも福島は、震災による物理的な被害だけではなく、原発事故を契機とする様々な被害を経験し、ある意味マイナスからのスタートになった。本書の中でも、早野教授が当初の取り組みは「マイナスからゼロ」に戻す取り組みであり、次が「ゼロからプラス」への取り組みとなると語っている。

福島が完全に元の姿を取り戻すには、まだまだ永遠とも思えるほどの長い歳月を必要とする。もしかすると、元の姿には戻れないかもしれない。でも、そのことを「悪いこと」として考えてはいけないと思う。元の姿には戻れなくても、元の姿よりももっと素晴らしい福島が、未来に待ち受けていると信じたい。もっと素晴らしい福島を、もっと素晴らしい東北を、もっと素晴らしい日本を作るためにも、事実を正しく知り、正しく理解し、正しく判断することが必要なのだ。知ろうとすることを怠り、自分の感情だけで勝手な判断をしてはいけない。すべては「知ろうとすること」から始まるのだ。