タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「ネルーダ事件」ロベルト・アンプエロ/宮崎真紀訳/早川書房(ポケットミステリ)-1973年。激動のチリでカジェタノはパブロ・ネルーダと出会う。それがすべての始まりだった。

 

 

南米チリの作家ロベルト・アンプエロの私立探偵カジェタノ・ブルレを主人公とするシリーズの第6作にあたるミステリ作品。

タイトルにもなっている“ネルーダ”とは、チリの詩人でノーベル賞作家のパブロ・ネルーダのこと。物語は、カジェタノが探偵稼業を始めるきっかけとなったパブロ・ネルーダまつわる事件について語られる。

カジェタノは、〈カフェ・デル・ポエタ〉のテーブルでコルタードとサンドイッチの食事をしながら、パブロ・ネルーダとのことを思い出していた。はじめて会った日のこと。彼の自宅を訪れたこと。そこでカジェタノは、ネルーダから人探しの依頼を受ける。相手の名前は、ドクトル・アンヘル・ブラカモンテ。ブラカモンテは医師で、癌患者の治療のための薬草を研究していた。

ネルーダの依頼を受けたカジェタノは、ブラモンテの行方を捜してメキシコへ飛ぶ。そして、そこからキューバ東ドイツボリビアと世界中を飛び回ることになっていく。

本書に描かれるのは、1973年のチリの激動の時代を背景とした物語だ。パブロ・ネルーダから依頼された人物の捜索を通じて、カジェタノはネルーダとの親交を深め、彼の人間としてのさまざまな面を知っていく。

まだ探偵としての活動はしていなかったカジェタノが、探偵業の基本を学ぶのがネルーダから渡された1冊の本、ジョルジュ・シムノン推理小説というのが面白い。カジェタノは、シムノンの小説を読み、そこに書かれていることから捜査について学んでいく。

メキシコでブラカモンテの行方を探すカジェタノは、彼がキューバにいるのではないかという情報を得る。彼にはベアトリスという妻があり、ティナという娘がいたことがわかる。そして、ベアトリスとティナが東ドイツにわたっていることを知る。東ドイツでティナの行方を突き止めたカジェタノは、彼女の自宅で入手した一枚の写真からベアトリスがボリビアにわたっていたことを知る。こうして、彼はチリ、メキシコ、キューバ東ドイツボリビアと旅を続けてながらネルーダの求める人物を探す。

カジェタノの人探しと並行して描かれるのがチリの社会情勢である。

当時、チリの大統領はサルバドール・アジェンデだった。ネルーダは大統領の要請を受けてフランス大使を務めていた。アジェンデ大統領時代のチリは社会主義国家であり、経済的には混迷した国だった。国民の不満が蓄積される中、1973年9月に軍事クーデターが起こってアジェンデ大統領は死亡し、ピノチェト軍事政権が誕生することになる。

そういう時代背景の中で物語は進んでいくのだが、そこには緊迫するチリの社会情勢の変化とパブロ・ネルーダというノーベル賞作家の女性遍歴が対照的に描かれている。本書は、「ジョシー」「マリア・アントニエタ」「デリア」「マティルデ」「トリニダード」という5つのパートで構成されている。ジョシー、マリア・アントニエタ、デリア、マティルデは、それぞれネルーダの恋人、最初の妻、二人目の妻、三人目の妻の名前である。(トリニダードについてはネタバレになる部分があるので割愛)

物語中に、ネルーダが彼女たちについて記したモノローグがある。これは著者による創作だが、カジェタノの人探しの物語とネルーダのモノローグがクロスすることで、読者はこの小説が単なるミステリではなく、パブロ・ネルーダというノーベル賞作家の人間的な一面を描き出そうとした伝記小説的な意味合いも含んでいると感じるだろう。

南米文学というとすぐに『マジックリアリズム小説』を思い浮かべてしまうし、チリの作家であれば、「精霊の家」のイサベル・アジェンデが思い浮かぶのだが、今回ミステリ小説である本書を読んでみて、当たり前のことなのだが南米の小説にも多様なジャンルの面白い作品があることを知った。

私立探偵カジェタノ・ブルレを主人公とするシリーズは、本書翻訳刊行時点(2014年)でチリ本国では第7作まで刊行されていた。翻訳されているのは本書のみである。本書がカジェタノが探偵業を始めるきっかけの事件を描いているならば、他のシリーズ作品では、彼が探偵として成長し活躍している姿が描かれているに違いない。『はじめての海外文学』での紹介をきっかけにして本書が少しでも多くの人に読まれ、シリーズの他の作品が翻訳されるのを期待したい。