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永井隆「長崎の鐘」(青空文庫)-1945年8月9日午前11時2分長崎の空に原爆は落ちた

長崎の鐘

長崎の鐘

 

1945年8月6日に広島に落とされた原子爆弾は、一瞬にして十数万人にも及ぶ犠牲者を出した。そして、3日後の8月9日には長崎に2発目の原子爆弾が投下された。

本書は、長崎医科大学(現在の長崎大学医学部)の助教授として勤務していた永井隆医学博士が書き記した長崎の原爆被害の記録である。原爆投下直前の8月9日の長崎医科大学の様子から始まる記録は、戦時下の混乱の中、いつもと変わらぬ1日を始めていた人々の生活が、原子爆弾の炸裂により一変する様を淡々した描写で記していく。

 

午前11時2分に原子爆弾が炸裂した瞬間の様子を、永井博士は様々な人たちの目を通す形で記していく。爆心地から3キロほど離れた場所で草刈りをしていた人、出先から浦上に帰る途中だった人、爆心地から7キロのところにある国民学校の先生、8キロ離れた長崎港近くの地区に住む少年、2キロの場所でひいていた牛と一緒に被爆した人。それぞれがそれぞれの場所でその瞬間を迎えた。

永井博士が勤務していた長崎医科大学は、爆心地から2キロほどの場所にあって、大きな被害を受けた。多くの教授、看護師、学生が犠牲となった。永井博士自身も大きな怪我を負ったが命は生き永らえ、その日のうちに被爆者の救援活動に従事している。

永井博士を始めとする長崎医科大学の医療従事者たちは、原爆投下後の地獄を見る。

玄関車寄せに群がっていた人々は? と見おろす広場は、所狭いまでに大小の植木がなぎ倒され、それにまざって幾人とも数えきれぬ裸形の死人。橋本君は思わず両手で目をおおった。地獄だ、地獄だ。呻き声ひとつたてるものもなく、まったく死後の世界である。

強大な原爆の破壊力を目の当たりにして、人々は絶望する。アメリカがこれほどに強力な兵器を安々と投入してくるのに対し、我が国は竹槍で戦おうとしている。その呆れ果てるような滑稽さ。

永井博士たちが、被災者たちの治療に奔走する中、日本はポツダム宣言を受け入れ無条件降伏する。8月15日には天皇陛下による終戦の詔が発せられ、戦争は終わる。終戦の報に接し、永井博士は泣き崩れる。「日本が戦争に負けてしまった。負けるはずのない戦争に負けてしまった」という現実は、永井博士だけでなく、日本国民全員にとって重い現実であった。

2016年に公開され、ロングランを続けている映画「この世界の片隅に」の中でも、ラジオの玉音放送終戦を知った主人公すずが、日本の敗戦に激怒し泣き崩れる場面がある。当時の日本国民の意識と思想を知ることができる場面だ。御国のために戦い続けることを是としてきた人々にとって、終戦とは喜びではなく、絶望であったのだ。

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国敗れて何の患者ぞや。今日は一億が泣いているのだ。一人や二人の患者の生死が問題になるものか、そんな患者を助けたところで、今さら日本が立ち上がるものじゃなし。

敗戦の絶望から永井博士は、治療を求める患者を冷たくあしらってしまう。しかし、すぐに考えを改める。赤十字とは、敵味方の区別なく人間の命を救うことが使命ではないか。個人の命を尊重することにすべての礎があるはずではないか。

原爆の威力は、時間の経過とともに人間の身体を深く蝕んでいく。放射線の影響で発症する原爆症だ。十分な医療設備も治療薬も揃わない中で懸命の治療が進められる。

被爆した人々がもがき苦しむ姿は、悲惨であり、地獄絵図である。永井博士自身も被爆し大怪我を負っていて、動けなくなることがある。それでも、人々はたくましく生き延びようとしている。互いに助け合い、食べ物を分け与える。人間とは、逆境にあって本当の力を発揮するのだと、本書を読んで感じる。

被災者の支援を進める中で、永井博士は戦争がいかに無益な行為であるかを思い知る。もう二度と悲惨な戦争を繰り返してはいけないと願う。原子爆弾が悲劇をもたらす場所は、浦上を最後としなければならないと願う。

永井博士の、広島、長崎で原爆により命を失った人々の、今なお原爆の後遺症に苦しむ人々の願いである平和をこれからも未来にわたって続けていくこと。それが、今を生きる私たちに課せられた使命なのだと強く感じた。

 

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

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