タカラ~ムの本棚

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そばにいるから気づかない。その存在が消えた後に遺された者が感じる惜別-西川美和「永い言い訳」

いつも、当たり前のようにそこにあるもの。

近すぎるから、かえって目に見えないもの。

失ってはじめて気づくもの。

永い言い訳

永い言い訳

 
永い言い訳 (文春e-book)

永い言い訳 (文春e-book)

 

西川美和「永い言い訳」は、突然の交通事故で妻を亡くした男と、同じく妻そして母を亡くした家族の交流を中心に、愛すべき存在を失った人間の再生を描く物語である。

“鉄人”と呼ばれたプロ野球選手と同じ名前にコンプレックスがあり、津村啓というペンネームで作家として活躍する衣笠幸夫は、ある日妻の夏子をバスの事故で亡くす。そのとき、夏子と一緒にバスに乗っていて、一緒に亡くなったのが友人の大宮ゆき。幸夫は、同じ遺族として大宮家の家族(夫・陽一、息子の真平、娘の灯)と関わるようになる。

幸夫と大宮家の関係は、なんとも奇妙だ。亡くなった妻同士が友人関係にあったとはいえ、幸夫自身は大宮家とこれまで深く付き合ったことはない。だが、大宮家側は、亡くなったゆきを介して、幸夫を知っており、幸夫が忌み嫌う本名で「幸夫くん」と気軽に呼びかけてくる。

亡くなる直前の夏子と幸夫の関係は、お世辞にも良好であったとは言い難い。幸夫は、華々しい文壇の世界でチヤホヤされ、浮気を繰り返していた。夏子と最後に会話を交わした日も、幸夫は出版社の若い編集者と会っていた。

幸夫にとって、夏子はそこにいて当たり前の存在。普段、その存在を意識する必要のない存在。だから、突然目の前から消えたときも、悲しみを実感することができない。

大宮ゆきの夫・陽一は、幸夫とは真逆の人間だ。長距離トラックの運転手として働き、決して教養レベルは高くない。でも、妻を想う気持ちに偽りがない。陽一は、妻の死を心の底から悲しみ、怒り、絶望する。

大切な人を失った時、その悲しみや怒りの遣り場に困ることがある。幸夫は、自分の感情を素直に表に出すことができず、他人からどう見られるかを気にしてしまうような男だ。だからこそ、ストレートに感情を露わにできる陽一の存在が大きいのだと想う。幸夫は、陽一を見守ることで、幸夫自身が人間的に成長し、再生を図っていくのである。

ラストに、陽一が亡き妻ゆきに宛てた手紙と、幸夫が亡き妻夏子に宛てた手紙が記される。それは、互いが互いにとっての惜別をこめた手紙だ。いつまでも妻の思い出に縋ってばかりではいられないと強く思いを込める陽一と、忘れていた夏子への愛情を思い出し、改めてその死を悲しむことができるようになった幸夫。方向性は違っていても、遺された者が抱える惜別の情は、深く切なく心に沁みてくる。