本書は、「孤独のグルメ」の原作者である久住昌之による、“リアル井之頭五郎”とも言うべき食レポエッセイである。
著者は、「男たるものひとりフラリと飯屋に入り、無骨にメシを頼み、無骨にメシを喰らい、後腐れなく店を後にするものである」と言い、その姿はまさに古い時代劇に登場する野武士のようなものだと語る。ただ、本人は至って小心者であるので、はじめての店に入るのに、かなりの勇気を必要とする。
野武士は必ずしもうまい飯屋にばかりあたるものではない。
出先でピンとくる店を探し回った挙句、エイヤと選んだ店が大外れであった時の絶望感。打ちひしがれつつも空腹を満たすために渋々と料理を口に運ぶことの虚しさ。
本書では、偶然見つけた定食屋のメニューにあった「生野菜定食(焼肉付)」の、あまりの寂しさと不味さに驚愕し、同じくフラリと入った中華料理店で出されたラーメンの生温さに辟易する。かと思えば、地方に出かけたときにブラっと入店した地元密着のこじんまりした小料理屋では、常連の酔客との掛け合いにちょっとウンザリしながらも、出された料理はどれも一級の美味さであることに感動する。
食事、特に外食というのは選択にあたってとても悩む問題だ。本書にもあるように当たり外れの振れ幅も大きかったりするし、外れた時のダメージは計りしれない。不味い食事もうまい食事も同じ1食であることには変わりないのだ。ならば、うまい食事を食いたい。
なるほど、ここまで書いて気づいた。いろいろと新しい店にもチャレンジしたいと思いつつ、ついつい馴染みの店にばかり足を運んでしまうのは、結局のところその店の味や雰囲気に安心しているからなのだ。そういう意味では、常連客というのは、食に対して冒険をしない保守的な人たちなのかもしれない。