ガタガタ書評ブログ

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キム・エラン他/矢島暁子訳「目の眩んだ者たちの国家」(新泉社)-2014年4月16日のセウォル号沈没事故があぶり出した韓国の深い闇

2014年4月16日韓国。300人以上の修学旅行生(高校生)と一般客100名以上、乗員乗客合わせて476人を乗せて仁川港から済州島に向けて航行中だった大型旅客船セウォル号が沈没した。およそ300人の犠牲者のほとんどは、高校生だった。

本書「目の眩んだ者たちの国家」は、セウォル号事故とその後の韓国政府・行政機関の最悪の事故対応が招いた韓国史上最悪の出来事に絶望し憤った作家、詩人、評論家、学者たちが、その思いのすべてをぶつけ書き記した鎮魂と批判と絶望の記録だ。

セウォル号事故は、単なる海難事故というレベルではなく、韓国の政治行政の問題を露呈した事件であった。本書のタイトルにもなっている作家パク・ミンギュの寄稿「目の眩んだ者たちの国家」には、こう書かれている。

さてもう一度、セウォル号は事故だ、という命題に戻ってみよう。あまりに事故、事故と言うので、そう言ってみただけだが……。そうだ、そろそろ重なった二枚のフィルムを剥がすときが来た。セウォル号は、初めから事故と事件という二つのフレームが重なった惨事なのだ。つまり、セウォル号は、

船が沈没した「事故」であり
国家が国民を救助しなかった「事件」なのだ。

 

パク・ミンギュは、「目の眩んだ者たちの国家」の中で、セウォル号の惨事を「事故」として矮小化したい人たちがことさらに「事故、事故」と繰り返し、いくつもの嘘を重ねていくことに憤る。彼らが既得権にしがみつき見苦しく嘘を吐く姿と、沈みゆくセウォル号の船内で「僕の救命胴衣を着なよ」と数少ない希望を分け合いながら死んでいった子どもたちとの違いに憤る。

詩人のキム・ヘンスクが寄稿した「質問」には、「皆で一緒に悲しもう。しかし皆で一緒に愚者になることはない」という9.11に対するスーザン・ソンタグのメッセージを引き、セウォル号ではそこに「申し訳ない」と「恥ずかしい」の言葉を加えるべきだと記す。

「申し訳なさ」と「恥ずかしさ」が、この惨事の中で私たちの節度をかろうじて保たせている感情なのだと思います。悲しみの共同体の中で、人間の魂がかろうじて息をしているのです。

本書を読んでいる2018年7月の最中、西日本では記録的な豪雨による大災害が起きた。死者は200人以上となり、多くの被災者が住む場所を失った。その未曾有の大災害が起きているときに、国民の命を預かり守る責任を負ったこの国の為政者たちがとった行動に、私たちは驚き、呆れ、絶望した。彼らが行っていたことは、キム・ヘンスクの言葉を借りれば、まさに犠牲となった人々に「申し訳なく」「恥ずかしい」行為である。そして、彼らを選んだ私たちも「申し訳なく」「恥ずかしく」思わなければいけないことだ。

本書に書かれているのは、2014年4月のセウォル号事件を受けて適切な対応を怠り、それをごまかすために嘘を塗り重ねた韓国政府への絶望と批判である。しかし、ここに書かれていることのほとんどは、この国にも当てはまることだと思う。少なくとも私は、本書を読んでいて、まるで今この国で起きていることへの批判であり絶望なのではないかと感じた。