ガタガタ書評ブログ

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あの事件から10年-川名壮志「謝るなら、いつでもおいで」

今年(2014年)7月、長崎県佐世保市で世間を震撼される事件が起きた。市内の高校に通う女子生徒が、同級生の女子生徒を殺害し、死体の首と左手首を切断した猟奇事件である。女子高生が事件を起こしたこととその計画性、猟奇性が世間に戦慄を与えた。

 

今回の事件を知って、同じ佐世保市で10年前の2004年に今回の事件と同様、あるいはそれ以上の衝撃を世間に与える事件が発生したことを思い出した人もいるだろう。「佐世保小6女児同級生殺害事件」と呼ばれる、小学6年生の少女が同級生の少女を学校内で殺害した事件である。

 

本書「謝るなら、いつでもおいで」は、事件の被害者である御手洗怜美さんの父親であり、毎日新聞佐世保支局長であった恭二さんの部下だった著者が、事件発生からの少年審判に至るまでの経緯やその過程で起きた様々な出来事、事件から10年の間の被害者遺族、加害者家族への取材にもとづいて記したノンフィクションである。

 

事件は、2004年6月に起きた。午前の授業が終わり給食の時間となったとき、担任が怜美さんと少女が教室にいないことに気づく。直後、少女はカッターナイフを握りしめ血で汚れた姿で現れ、怜美さんの遺体は学習ルームで発見される。少女は、怜美さんの背後から首を切っていた。

 

事件発生直後から、毎日新聞佐世保支局は混乱の只中に巻き込まれる。事件の被害者が支局長の娘であったこともあり、事件報道に携わるメディアとしての役割と被害者遺族に関わる人々という役割を担うことになったのだ。佐世保支局は、支局長の御手洗さんを筆頭に、著者を含む記者2名と事務職員という小所帯。地方の小さな支局にとって、その事件はめったにない大事件である。それが、身内に起きたのだ。

 

本書からは、被害者遺族、加害者家族、マスコミ、少年審判に関わる弁護士、裁判官、事件に翻弄され為す術のない教師たちのそれぞれの不安、混乱、狂騒が伺える。12歳の少女が起こした事件に対する法律の限界。誰もが経験したことのなかった事件への対応の困惑。身内の事件に対してもドライに対応しなければならない新聞記者としての苦悩と葛藤。マスコミの世界に身を置く著者にとって、事件は心を深くえぐる。次々と明るみに出る加害少女の心の闇が、怜美さん殺害へと向かっていく恐ろしさ。

 

私が本書を読んで感じたのは、マスコミに対する不信感だ。この事件では、同じ新聞記者の家族が被害者となった。毎日新聞は、被害者遺族が取材攻勢にさらされないように気を使っていたようだが、通常の事件において被害者遺族に不躾で強引な取材を繰り返すマスコミが、身内は必死に守ろうとしたのだとしたら、なんともやりきれない気分になる。我々第三者は、被害者本人や遺族のプライベートな部分を知りたいと望んでいるのだろうか?マスコミは、本事件の遺族に対応したように、すべての被害者、遺族の取材をもっと自粛するべきだ。

 

逆に、本書を読んで救われた気分になったところもある。それは、第2部に書かれた御手洗さん、加害少女の父親、怜美さんのお兄さんへの取材にもとづいて書かれているところ。中でも、怜美さんのお兄さんの話は、読んでいて胸が詰まった。本書のタイトル「謝るなら、いつでもおいで」の文字は、怜美さんのお兄さんの筆によるもの。そこに込められた妹への想いと加害少女への想いが深く、痛い。

謝るなら、いつでもおいで

謝るなら、いつでもおいで