タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「失われたスクラップブック」エヴァン・ダーラ/木原善彦訳/幻戯書房-「読みやすさ」の裏側にある努力と工夫――翻訳って、ほんとうにすごい仕事だ!

 

 

『失われたスクラップブック』を読み終えて、「確かにこれは翻訳大賞だ」と感じた。

私が本書を読み始めたのは、この作品で木原善彦さんが2回目(!)の日本翻訳大賞受賞という知らせを受けてからで、最終候補の5作に残った段階で読むつもりではいたのだけれど、難解なイメージのあるポストモダン小説ということもあってちょっと後回しになっていた。だが、読んでみて、確かに難解ではあるが意外に(というと失礼かもしれないが)読みやすいと気づき、読了までに時間はかかったものの最後まで挫折することなく読み切ることができた。難解な構成の作品をこれだけ読みやすく翻訳してくださった翻訳者・木原善彦さんの手腕に脱帽するしかない。

物語は、語り手の一人称で展開する。なるほど、これは視点人物によるモノローグとして書かれる作品なのだなと思いながら読み進めていくとすぐに違和感を覚える。

「あれ? 語り手が変わってる?」

そう、本書では物語が進む中で唐突に予告なく語り手が変わるのだ。それも1回や2回ではない。十数人の語り手が次々と登場してくるのである。しかも、その切り替わりのタイミングが読者には一切知らされない。視点人物が切り替わるときに改行するとか、章が変わるとか、そういう明確なポイントはなく、なんなら文の途中で変わっていたりする。

多くの読者はこの視点人物が頻繁に変わっていく構成に戸惑うだろう。途中で展開についていけなくなって読むことを挫折する読者もあるだろう。人称代名詞が「僕」から「俺」になったり、語りのスタイルがモノローグから記者会見のようなスタイル(しかも記者側の発言はなく、何らかの質問に対する回答だけが書かれる)に変化したりと、読者の足元をすくうような展開が続く。読みながら「今誰が話しているのか」を探り続けることになるのだが、そういう展開でも混乱せず読み進められるのは、翻訳の工夫の賜物だと思う。

この作品には明確なストーリーが存在しない。断片的な語りの連続によって、作品全体がひとつの「スクラップブック」のように構成されている。後半に入って、ある街の環境汚染問題が軸になってくるのだが、そこでは、公害の原因を作った会社の姿勢や臭いものに蓋をするように何事かを隠蔽しようとする自治体や行政の動き、それを受けた住民たちの不安や恐怖、怒りが混然一体となって描かれる。いろいろな人のいろいろな思いがごちゃ混ぜになって展開するカオスな状況の描写になるのだが、ここで前半の次々と語り手が切り替わって展開してきた多層性が生きてくるように感じた。

ポストモダン文学に馴染みがない私にとって、この作品を読むことは挑戦といってもいいくらいの体験だったが、読了後には翻訳文学の奥深さと、その可能性を体感できたように思う。

最後に改めて木原善彦さん、2回目の日本翻訳大賞受賞おめでとうございます!