タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「あの本は読まれているか」ラーラ・プレスコット/吉澤康子訳/東京創元社-(プルーフ版先読み)東西冷戦下、一冊の本によって世界は変わるのか? 出版権200万ドル、初版20万部、世界30ヶ国で翻訳刊行のデビュー作。

 

 

4月刊行予定のラーラ・プレスコット「あの本は読まれているか」を発売前のプルーフ版で読む機会をいただきました。訳者の吉澤康子さん、版元の東京創元社さん、ありがとうございます。

本書は、デビュー作としては破格の200万ドル(約2億円)で出版権が買われたという作品で、初版は20万部。MWAエドガー賞の最優秀新人賞にもノミネートされ、世界30ヶ国で翻訳されたているという。

舞台となるのは、1950年代の東西冷戦時代。アメリカCIAは、ソ連に対してある特殊作戦を画策する。それは、ソ連国内では禁書とされたボリス・パステルナークの「ドクトル・ジバゴ」をソ連国民の手に渡し、国家によって自分たちが迫害されていることを知らしめることだ。

作中にはさまざまな人物が登場する。西側には、ロシア移民の娘でCIAでタイピストとして働くイリーナと彼女の同僚のタイピストたち。イリーナが有するスパイとしての素質を見いだして「ドクトル・ジバゴ」を巡る特殊作戦へと組み入れるべく訓練するCIAのスパイたち。東側には、「ドクトル・ジバゴ」の著者ボリス・パステルナークと彼の愛人オリガ。ボリスの妻や「ドクトル・ジバゴ」の存在を抹殺した当局者たち。

物語は主に、東側はオリガとボリス、西側はイリーナが中心となって展開するが、特長的なのは各章で語り手が入れ替わっていくことだ。

西側のパートはこうなっている。

イリーナが語り手となる『わたし』の章
タイピストたちが語り手となる『わたしたち』の章
CIA諜報員サリーが語り手となる『あたし』の章
CIA秘密工作員テディが語り手となる『ぼく』の章

東側のパートはこうだ。

オリガが語り手となる『わたし』の章
『ボリス』を三人称で描く章

語り手が固定されていないと感情移入がしにくくなるデメリットはあるが、一方で同じ事物に対して複数の視点から描くことで生まれる効果もある。イリーナの視点で彼女の内面が描かれ、タイピストたちの視点でそのときの彼女の外見が描かれる。その対比によって、イリーナがどのような人物なのかが見えてくるように思う。

多くの登場人物、多くの視点で書かれているが、物語の主役は「ドクトル・ジバゴ」だと思う。一冊の本が世界を変えることができるのか? という命題をストーリーの中核に据え、その本に関わる人々の人生が描かれているのだ。

ドクトル・ジバゴ」に関わる特殊作戦を描いているので、本書はスパイ小説として読まれるかもしれない。だが、本書はそれほど単純な話ではない。登場人物たちはそれぞれに、それぞれの役割を果たすために行動を起こす。「ドクトル・ジバゴ」によって人生を狂わされる。「ドクトル・ジバゴ」によって多くの出会いを経て変わっていく。誰もが一冊の本に翻弄される。誰もが一冊の本に執着する。

出版権200万ドルや初版20万部、世界30ヶ国で翻訳といった前評判のハードルがあがりまくっているが、そのハードルを感じさせないほどに読み応えがあった。4月に刊行されたらまた読みたいと思うし、この本を読んだ他の読者からも話を聞いてみたいと思う。