タカラ~ムの本棚

読んだ本の感想などをボチボチと綴るブログ

「四隣人の食卓」ク・ビョンモ/小山内園子訳/書肆侃侃房-裏庭に置かれた大きな食卓は、コミュニティにおける適度な距離感の必要性を象徴していると感じた

 

 

ご近所との付き合いは大事だ。向こう三軒両隣に住む隣人は、いざというときに頼りになる存在でもある。『遠くの親戚より近くの他人』という言葉もあるし、戦中には“隣組”という制度があって、「隣組」という流行歌もある(♪とんとんとんからりと隣組~格子を開ければ顔なじみ~、という歌詞の歌)。最近だと映画「この世界の片隅に」の挿入歌にも使われた。

しかし、ご近所のコミュニティが大切である一方で、あまりに互いの距離感が近いと無用なトラブルにも発展しかねない。また、個人や家庭のプライバシーが重要視される時代にあっては、他人の家庭に差し出口を挟むような行いは嫌がられるばかりで感謝はされない。隣人同士の付き合いは適度な距離感と互いのプライバシーを尊重する気遣いが大事になってくる。

ク・ビョンモ「四隣人の食卓」は、少子化対策の切り札として国家が建設した集合住宅を舞台に、そこに入居して暮らし始めた4組の家族の物語だ。

『夢未来実験共同住宅』と呼ばれる若い夫婦向けに国家が整備したこの集合住宅は、商業施設もない人里離れた山間部に建設されている。公営住宅ゆえの低家賃というメリットはあるが、入居条件は厳しく設定されており、さらに入居する家族には、『入居10年以内に3人の子どもをもうけること』というミッションが設けられていた。

高い競争倍率を勝ち抜けて集合住宅に入居した家族は4組。

有名企業に勤めるシン・ジェガンと専業主婦の妻ホン・ダニには、ふたりの息子(4歳のジョンモクと3歳のジョンヒョプ)がいる。
同族経営の会社に親族採用で雇われているコ・ヨサンと専業主婦の妻カン・ギョウォンには、4歳の息子ウビンとまだ乳飲み子の娘セアがいる。
会社員のソン・サンナクの妻チョ・ヒョネはフリーのイラストレーターとして在宅で仕事をし、まだ1歳5ヶ月の娘ダリムの子育てと仕事の両立に苦しんでいる。
薬局の補助スタッフとして働くソ・ヨジンは、映画監督を目指すも挫折し今では専業主夫をしている夫チョン・ウノとの間に5歳になる娘シユルがいる。

この4組の家族が、表向きは平和なコミュニティを形成しながら、それぞれに家庭的な問題や仕事の問題を抱え、ときに過剰とも言える隣人からの干渉や人間関係、なし崩し的に決まってしまったコミュニティ内のルールや子育てに関する意見の食い違い、さらには韓国社会が抱える男性優位の社会構造や家父長制による女性の生きづらさなど、複雑な事情が絡み合う中で、次第に不穏な方向へと展開していくというストーリーになっている。

国家プロジェクトとして建設された実験的共同住宅、10年以内に3人の子どもをもうけなければいけないという人道的に疑問符がつくようなミッションなど、舞台背景としての「四隣人の食卓」はおおよそリアリティとはかけ離れている。しかし、描かれている4家族の物語は、絵空事ではなく韓国、いや日本の地域コミュニティの中で現実に起きていることと共鳴していると感じる。私も読んでいて、自分の周りでも、ここまでの話はなくても現実にこれに近いような話はあるのかもしれないなと考えてしまった。

平和であるはずのコミュニティを象徴するのが、裏庭に置かれた大きな“食卓”だ。物語は、新たに入居してきたチョン・ウノとソ・ヨジンを歓迎する歓迎会の場面から始まるのだが、すべてを読み終えてから改めて読み返すとすでにこの場面から不穏さを醸していると感じる。和気あいあいとしてみえる“四隣人の食卓”からは、互いを尊重し支え合おうという繋がりよりもこの先に待ち受けるコミュニティの崩壊への第一歩がここからはじまるのだということを強く感じてしまう。

「訳者あとがき」の中で訳者がこの大きな食卓について、実際に体感してみようと家具店を回ったりしたが見つけられなかったという話を著者にしたときのことが書かれている。著者は訳者のエピソードを聞くと「なかなかないですよね」と笑いながらこう言ったという。

「食卓って、大きくなればなるほど、真ん中に広がるのは空白なんです」

大きな食卓を大勢の家族同士が夫婦も子どもたちも一緒になって囲んで和気あいあいと食事を楽しむ。そう書くとなんて平和な光景だろうと思うが、著者が言うとおり、大き過ぎる食卓の中心には、誰もどこからも手が届かない。届かない以上、そこには何も置くことはできず、ただぽっかりと空白だけが広がる。そのぽっかり開いた空白はけっして埋まることはないのだ。その埋まらない空白は、他人が踏み込んではいけない、家庭や個人の事情であり、その空白を正しく意識してコミュニティを形成しなければ、待ち受けるのは隣人トラブルであり、コミュニティの崩壊なのだ。

適度な距離感と相手のプライバシーを尊重する気持ち。大きな食卓の空白が意味するのはそういうことなのかもしれない。