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「NSA」アンドレアス・エシュバッハ/赤坂桃子訳/早川書房-インターネットと携帯電話が発達し、国民の情報がすべて監視される社会。それがもし第二次大戦中のドイツだったら? 戦慄のラストに震えが止まらない歴史改変SF

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※上下巻まとめてのレビューです

21世紀に生きる私たちは、当たり前のようにインターネットを利用し、パソコン、スマートフォンタブレットを使って、YoutubeTikTokをみたり、検索サイトで情報にアクセスしたりする。家族や友人、知人との繋がりもネットを介した通話やメールで行い、顔も知らない人たちとTwitterFacebookInstagramといったSNSで繋がり合う。こうしたネット上を行き交う個人情報を政府や企業は収集し、ビジネスに活用したり、人民統制に利用したりする。

もし、現代にあるような高度なインターネット環境が第二次世界大戦の時代に存在していたら。しかも、ナチスドイツに利用されていたら。そんな歴史のifを描くのがアンドレアス・エシュバッハの「NSA」である。文庫版ながら上下巻という大作。そこには、恐ろしい世界が記されている。

物語の背景を知るには、小説冒頭のページを一部引用しつつ説明するのが手っ取り早いだろう。(『』部分は引用)

『1851年、チャールズ・バベッジ卿が蒸気とパンチカードで動く「解析機関」を完成させ』たことで、情報の機械処理は進歩し、それにより他の技術も発展した。そして、ドイツ帝国皇帝ヴィルヘルム2世の時代には、ワードルネットの前身であるドイツネット』が誕生。ドイツネットは、第一次世界大戦で重要な役割を果たすが結果的にドイツは敗北する。時代がワイマール共和国に移ると、『大戦中に開発された携帯型電話が急速に普及』して、コミュニティメディアがさかんに利用されるようになる。これがナチ党の台頭に寄与することとなる。ヒトラーが政権を掌握後に新政府に引き継がれた国家保安局(NSA)は、ドイツ帝国時代からワールドネットの活動を監視し、個人口座の動き、アポイントメント、電子書簡、日記の書き込み、ドイツフォーラムでの発言など、ありとあらゆるデータにアクセスが可能だった』

ワールドネットはインターネット、コミュニティメディアはSNSやブログなどに置き換えるとイメージしやすいだろう。国民が受発信するすべての情報が、独裁政権によって完全に掌握された超監視社会を描くのが本書なのである。

この背景を踏まえて物語は進行していく。まず描かれるのは、NSAの存亡を賭けたあるデモンストレーションの場面。プレゼンの相手は親衛隊全国指導者のハインリヒ・ヒムラーである。デモンストレーションの内容は、NSAが持つ情報から一世帯あたりで購入した食品の総カロリー数を算出し、それを世帯人数で割って一人あたりのカロリー数を求めるもの。これにより、平均的な一人あたりのカロリー数を上回る値を出した世帯には、届けられた以上の人間が生活しており、そこにユダヤ人が匿われている可能性があるのだ。そして、若干のトラブルはあったもののNSAの情報からアムステルダムに隠れ住んでいたユダヤ人が発見される。ヒムラーはこの結果に満足し、NSAはドイツを戦勝に導くための有効な組織として認められることになる。

このとき、ヒムラーへのデモンストレーションの現場には、本書の主人公となるふたりの人物がいた。ひとりはNSAのアナリストであるオイゲン・レトケ、もうひとりはプログラムニッターのヘレーネ・ボーデンカンプである。以降、物語はふたりの過去を描く形で、ふたりを中心に展開していく。その中で、レトケとヘレーネには、それぞれにNSAで働くことの意味と、背負ってきた秘密があることが記されていく。

ヒムラーへのデモンストレーションの場面、レトケはどうにかして結果を出そうと必死になり、ヘレーネは自分は作成したプログラムによって罪もないユダヤ人が隠れ家から見つけ出され、強制収容所送りになったことに恐怖する。この場面でのふたりの動きや不安の正体が、その先の物語の中で少しずつ形になり明かされていくところにこの作品の面白さがある。そして、レトケという男の歪な感情や粘質な復讐心であったり、へレームという女性の不安や女性ということで押し付けられることへの苛立ちや諦観といった、先進的な技術によって管理された社会に蔓延る古い価値観というアンバランスさも、21世紀の今にも通じるものがあり、そうした共感できる部分が物語をより身近な世界と結びつけて読ませるのかもしれない。

また、本書を読んでいる間にリアルタイムでロシアのウクライナ侵攻が起き、現代の戦争が情報戦であるということを再認識し、小説世界ほどではないかもしれないが、情報を制することが戦争の趨勢にも関与するのだということを再確認した。情報は、その利用方法、利用するものの倫理によって正義のためにも悪のためにもなる。ありとあらゆる情報が収集され管理されている社会だからこそ、情報が正しく使われているかを私たちは注意しなければならない。

レトケとヘレーネは、それぞれが抱える復讐心と秘密によって暗黙のうちに協力関係を結ぶことになる。そして、ふたりは偶然にアメリカの情報網から戦争の結末を大きく左右するかもしれない重大な情報を手に入れることになる。その情報がヒトラーに伝わり、ドイツの科学者が開発した最終兵器が使用されたとき、「NSA」で描かれる世界は、本格的なディストピアへの加速していく。

ラストシーンに描かれるレトケとヘレーネの運命。そこに多大なる恐怖を感じずにはいられない。そして、不安を感じずにはいられない。本書はSF小説だ。ここに描かれるのは、現実ではない世界だ。しかし、ここに描かれた世界がいつまでもフィクションのままだと自信をもって言っていられるのはいつまでだろうか。もしかすると、フィクションがリアルになる未来だってあるかもしれない。そこまで思わせる強烈なインパクトを与える作品だった。